第22話 改竄された死

「つまりわたしは、なんとか君を無理やりにでも入国させなければならなくなったのだ」


 白い猫に揉みくちゃにされて、ピンとまっすぐ伸びていた猫の紳士の髭は、縮れてにクネクネとうねりを見せていた。 


「えっと、それは……つまり、大丈夫なの……? ほら、認証コードが無いと強制的に地獄行きになるんだろ?」


 僕は教科書や童話などで見た、地獄の風景が描かれた『地獄絵図』を思い出した。

 そこには生前行った悪行の内容によって、さまざまな責め苦や量刑が待ち受けており、苦痛に顔を歪める者や、鬼から逃げ惑う人の姿が克明に描写されていた。


 『悪いことをしたら地獄行き』


 子供の頃、よく祖母からそんなことを聞かされていた気がする。

 でも僕は理由もなく地獄行き、というのだけはごめんだ。

 渋い顔をしながら、猫の紳士は言った。


「協会はあくまでも君との関与を避けたいようだ。厄介なことに巻き込まれたくない。と、しきりに主張していた」

「いったい全体、僕が協会になにしたっていうのさ……」

「うむ……、水先案内人にとってそれはとても怠慢で愚かな考えだ。だからわたしは上司に問いただした。その際、ちょっとばかり手荒になってしまい、わたしは協会を追い出されてしまった」


 最近少し感じたのだが、この猫の紳士が言うことはなにか話を盛っていそうで、どうもうさんくさい。


「しかしわかったことがいくつかある。今回、君の認証コードが送信されなかった件についてなのだが、どうやら死神組合が関与している可能性が高いのだ」

「死神組合?」

「ああ。だからどうもきな臭いと、私は言っただろう」


 猫の紳士は、あごをさすった。


「そもそも……わたしら水先案内人は、死神組合にて発行された死者リストを用い、いつ誰がどの死者を案内するかを決定しているのだが……」


 猫の紳士は、じっと僕の顔を見て言った。


「しかし、今回発行されたその死者リストに、君の名はなかったのだ」

「えっ、どういうこと?」


 僕はスイッチをONに切り替えたように、猫の紳士に疑問を投げつけた。


「それなら、僕は死ぬはずではなかったということ? あと、なんで君は案内人として手配されたのさ」

「落ち着きたまえ。少し正確に言うと、君の名は明らかに『あとから書き足された』ようなのだ」


 どういうことなのか、いったい全体つかみどころのない話だ。

 猫の紳士は、てんで理解の追いついていない僕の意に反して続けた。


「死神組合で発行される死者リストは、その仕組み上、改竄かいざんや偽造は出来ないようになっている。だから『あとから書き足された』のは誰がどう見ても明らかだった」


 内ポケットからまた葉巻を取り出した猫の紳士は、店のマッチでシュッと火をつけて続けた。


「普段からわたしら水先案内協会と死神組合は、お互いに粗探しをしていて、何かと難癖をつけてはいがみ合っていた。つまりあまり良い関係ではなかった」


 猫の紳士は甘ったるい白い煙をもわもわっと吐き出した。


「しかし今回、明らかに書き足されていた君の名前を、どうも不審だと思ったわたしの上司は、手違いにせよ抜け漏れが発生して責められても困る。と判断し、わたしを手配した」

「ということは僕の名前が書き足されたのは、死神組合の手違いということ?」

「いやいや……、実は、話にはまだ続きがあるのだ」


 まだあるのか……。この猫の紳士の話し方は妙に回りくどくて、どうも僕の性に合わない。彼との会話はまるで、キャッチボールでボールをキャッチするまではいいのだが、おちゃらけてなかなかボールを投げ返してこない。そんな感じだ。


「それはなんとも、あってはならないことなのだが……」


 僕は固唾を飲み込んで、じっくりと勿体ぶる猫の紳士の言葉を待った。


「君はまだ、死んでいない」

「は? ……えっ!?」


 僕は鳩が豆鉄砲を食ったような、そんな間抜けな顔になっただろう。

 理解に苦しんだ僕を察して、猫の紳士はすぐに言葉を付け足した。


「現世の君は、まだ病室で死の淵を彷徨っているらしいのだ」

「な、そんな……。なら僕は……」

「うむ、つまり君は、まだ生きている」


 僕は混乱をとうとう通り越し、頭の中は真っ白になった。


「じゃ……じゃあ、僕はすぐに戻れるんじゃ……?」


 僕は腰を上げすぐさま現世に帰ろうと立ち上がったが、どうすれば帰れるのかもわからず、結局また腰を下ろした。


「待ちたまえ。もちろんそれも重大なことではある。だが、問題はそこではないのだ。言っただろう、君の名は明らかに『あとから書き足された』のだと」

「死神組合が……僕の名前を書き足した……ってこと?」

「うむ……あくまでも可能性の話だがな。しかしそうなると不思議なのは、ヒトの生死を取り扱うスペシャリストである死神達は、不正行為で簡単にヒトを死に至らしめることが出来る。にもかかわらず、何故君を中途半端に死の淵を漂わせているのか……」


 なんとも物騒な話ではあるが、規律を重んじ、運命の定めに則って行動している彼ら死神にとって、それらは決して起こしてはならない不祥事なのである。

 つまり今回の出来事は死神組合の中でも、悪意ある何者かが企てた陰謀のようなものを感じさせたのだった。


「もしも死神組合が、不正に僕を死に追いやったのなら、バレて処罰される死神組合にはメリットは無いよね……」

「うむ、いずれにせよ死者リストが改竄され、そのまま組合のチェックをくぐって協会に送られている以上、組合の裏で何者かが手を引いているのは間違いないだろう」


 猫の紳士はぐりぐりと灰皿の上で、煙の出ている葉巻を潰した。

 僕はその煙にケホケホむせながら、宙を漂う煙の波紋を仰いで散らした。


「私たち水先案内人は、死していない者に三途の川を渡らせる行為は懲罰を受けてしまう。そうとも知らず、私らはまんまと片棒を担がされたのだ」

「僕はその君ら協会と組合の派閥争いに、何者かの手によって巻き込まれたわけだね……」

「ああそのとおりだ。君は人為的にここへ連れてこられた。……いや『生の運命に抗って』と言った方が正しいだろうか」

「僕は……じゃあ一体これからどうすればいいのさ」


 僕はカウンターにうずくまるようにして、またとない絶望に頭を抱えた。

 死とも言えない不自然で不完全な状態に、死以上の得体の知れない恐怖が、僕をより一層不安に陥れる。


「とにかく、今はあまり言い争っている猶予がない。死神組合は君を捕えようと、何故か躍起やっきになっているようなのだ」

「君の協会は、僕を保護してくれたりはしないのか?」

「わたしが所属していた水先案内協会は、既にこの件からは手を引いた。あとで死神組合と揉めることにでもなったら厄介だからだろうな。それにわたしはこの件で、上司への暴行によって嫌疑けんぎをかけられ、協会から追放されてしまった身だ」

「だ、大丈夫なの? 名誉ある伯爵様なんだろ?」

「見くびるでない。わたしは自ら協会によるトカゲのしっぽ切りに応じたのだ。つまり、これはわたしの独断だ」


 その言葉を聞いて、僕はより一層この猫の紳士で大丈夫なのかと不安を覚えた。

 泥船に乗った気分とは、まさにこのような状況なのだろう。


「まずはすぐにこの場を離れ、なんとかして死者の国へ入国しよう。王に不正を訴える必要がある」

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