第20話 忘れてた夢の温度

 弟の遺品の中でひと際多かったのが、バリスタの教本や珈琲豆についての知識本、喫茶器具のカタログなどカフェに関係する書籍だった。

 僕はその書籍のタイトルの幾つかを、既に見知ったものがあった。

 それもそのはず、何冊かは僕が、弟に譲ったものだったからだ。


 僕は喫茶店がとても好きだった。

 安直ではあるのだが、いつか自分の店を持ちたいと、本気で考えていたほどだ。

 小学校の卒業文集には、『僕の夢は自分の喫茶店を持つことです。』と恥ずかしげもなく書いたのを記憶している。


 そう言えば夏のある夜、それを弟に話したことがある。

 とても暑くて、寝苦しい夜だった。

 祖母の家は古いせいか、木造特有の軋む音と、天井の木目の模様が不気味で、怖くて眠れないと嘆く弟を、安心して寝かしつけるために話したのだと思う。

 弟が眠れない夜は、僕は決まって適当なおとぎ話を創作しては、面白おかしく聞かせていた。

 そのいくつかのおとぎ話の中に、当時熱を上げていた『喫茶店』を盛り込んだ、偏屈な話があった。

 即席でいいかげんで、なんてことない話だった。

 でも弟はすごく目をキラキラさせて、余計に眠れなくなるほど気に入ってくれたのだった。

 内容は確か、こんな話だったと思う。



  森が囲む平原に

  ぽつんと一つの喫茶店

  傘のお屋根が目印の

  カエルが店主の喫茶店


  晴れの日カエルは水浴びで

  雨の日だけの営業だ

  店の名前はその名の通り

  誰が名付けた『雨やどり』

  カエルの店主の珈琲は

  おいしいことで評判さ


  噂を聞いてやってくる

  雨が降ったら大行列

  森からお客がやってくる

  雨やどりで大盛況


  焼きたてパンにおいしい珈琲

  雨が降ったら大繁盛

  今年の夏も大成功

  冬眠後にはまた開店


  おはよう目覚めた冬眠後

  今年も梅雨入り準備して

  夏来る前に開店さ


  日照りが続いたその年は

  客が全然来なくてさ

  カエルの店主は鳴きだした

  ぐわーんぐわーんげろりんぱ


  カエルの店主の鳴き声で

  ハンカチ雲が現れた

  ぐわーんぐわーんげろりんぱ  

  とうとうお空も泣きだした

  ぐわーんぐわーんげろりんぱ


  雨が降り出す平原は

  マーガリンみたいな香りと共に

  ぽたぽたぴちぴち

  ちゃんちゃんちゃん

  雨粒鳴りだす音楽で

  カエルの店主は嬉し泣き


  雨がしとしと弱まると

  お空の太陽顔出して

  森からお客がやってきた

  今年も成功大盛況

  雨やどりで大繁盛



 それ以来弟は、家で珈琲の香りがする度、僕も僕も。と言い出したり、街で喫茶店を見かけると、すぐに入りたがったりした。

 高校へ進学した直後、学歴コンプレックスを持つ父は、僕の意に反して、そんな夢など叶うはず無いと、僕の夢に関する本の数冊を破り捨てた。

 そして僕の大学進学はさも当たり前かのように、有名私立大学の資料などを取り寄せては、僕の机に無造作に置いてくのだった。

 父のそんな強固な想いをにわかに察知した僕は、ああ、これはないな。と、隠していた数冊の書籍を弟に譲ったのだった。

 まさかその書籍が、まだ大事に取ってあるとは思わなかった。しかもページのところどころに無数の付箋が貼ってあり、それこそ弟の熱量を感じるほどだった。

 あまり考えたくはなかったが、弟がカフェレストランへの就職を決めたのは、もしかすると僕の影響なのだろうか。

 されど死人に口なし。今更考えても仕方なしと、僕はその書籍たちを処分すべくビニール紐で束ねるのだった。

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