霧の谷

 霧に溶けてしまうから谷に近づいてはいけないよ。子供たちはきつく言われる。

 けれども谷は、死者と会える場所でもあった。霧が、会いたい故人の形を取るという。

 けれど、いくら名を呼んでも、彼女は現れない。

「怒っているの? ……怒っているよね」

 半年前、肝試しだと彼女と谷に降りて、見慣れぬ男に遭遇した。刃物をちらつかせる男から逃げるうちにはぐれ、彼女は里に戻ってこなかった。

 彼女と谷へ降りたと誰にも言えないまま、彼女は死んだとされたのだ。

 正直に話せば、大人たちが探しに行ったかもしれない。

 彼女の手をしっかり握っていれば、はぐれなかったかもしれない。

 

 ごめんね、ごめんね。


 声も涙も何もかも、霧の中へ溶けていく。


(299字)

※Twitter300字SS参加作品。第48回お題「霧」

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