同居相手は積読少女

坂神京平(旧・坂神慶蔵)

第一章「浅羽邸へようこそ」

1:積読邸の再会

「家の中には、他に誰も居ないから」


 衝撃的な事実を伝えられ、思考が一瞬停止しかける。


 俺は、玄関へ出迎えに現れた住人を、改めて見詰めた。



 目の前に立つ女の子は、名前を浅羽あさば歌恋かれんという。


 今春から俺と同じ高校に進学する一五歳で、腰まで伸ばした黒髪が綺麗だ。

 華奢なくせ、起伏豊かな輪郭の身体を、今は若葉色のワンピースで包んでいる。



「誰も居ないって……」


 肩から提げていたバッグが、自然とずり落ちそうになった。

 ショルダーベルトを、俺は慌てて掛け直す。


和歌子わかこ小母おばさんは、いったいどうしたんだよ」


「今朝、ヨーロッパへ向かうために飛行機で日本を発ったわ」


 歌恋は、ごく何でもないことみたいに言った。


「あっちで会社にトラブルがあったらしくて……。それでママも仕方なく、パパを手伝わなきゃいけなくなったって」


 そりゃまた、随分と急な話だな! 

 だが落ち着いて考えてみると、妙な兆候は事前にあった。


 祈乃河いのりのがわ駅前に着いた際、こちらから浅羽家には一度連絡を入れている。

 その際、電話口に出たのは、他ならぬ歌恋だった。

 普段なら、家電には小母さんが応対するのに、珍しいなと思っていたのだ。


「どうして、さっき電話で言わなかったんだ」


「どうせ友騎ともきくんがここへ着けば、すぐにわかることでしょう」


 まあ、たしかにその通りかもしれないが。

 現在直面している状況は、適当に片付けて済む事態じゃないと思う。



 ――なぜなら、宿



 と言っても、ここは下宿屋として公に営利活動している施設じゃない。

 あくまで一般住居なのだが、互いの家族に交友がある縁で、高校入学に合わせて間借りさせてもらうことになった。

 部屋代や食費の支払いも、親同士のあいだで話が取りまとめられている。


 でもって、この家には歌恋以外の住人が居ないという。

 つまり、このままじゃ俺とこの子は、二人っきりで同居状態になるわけだ。

 仮に一時的なものだとしても、世間の目で見て好ましいとは思えなかった。

 いくらお互い幼馴染だからって、年頃の男女には刺激が強すぎる……。


 せめて和歌子小母さんから、海外へ出発する前に一言教えて欲しかった。

 それとも、後回しにしなきゃならないほど、余裕がなかったのだろうか。

 あるいは一人娘を信頼していて、問題は何も起きないと思っているのか。



「ねぇ、友騎くん」


 ちょっと考え込んでいると、歌恋が俺の名前を呼んだ。


「何にしろ、とりあえず家に上がったらどうかしら。ずっと立ち話するつもり?」


 家に上がるって……他に誰も居ないのに? 

 と、つい声に出して訊き返しそうになったものの、思い止まった。

 変に意識しすぎていると、誤解されたくなかったからだ。


 それに浅羽邸には、すでに俺の荷物が届いているはずだった。

 今後の生活に必要なものを、五日前に地元から発送している。

 下宿の世話になるかどうかはともかく、放置しておけない。


「わかった。それじゃお邪魔させてもらうよ」


 下駄箱の前で靴を脱ぎ、スリッパに履き替えた。

 歌恋が関東こっちで暮らす家に上がるのは、これが初めてだ。

 うながされるまま、家の奥へ伸びる廊下に踏み出す。




 ……すると、五、六歩進んだところで、気になるものが目に入った。


 大きな本棚が、廊下の片側一面にしつらえられているのだ。

 しかも、様々な版型の書籍が溢れ返らんばかりに並んでいた。

 本のジャンルは、旅行記や風景写真集のようなものが多い。


 それを横目で眺めつつ、突き当りまで歩いてリビングへ入る。

 広い室内は、無垢材のフローリングで、ダイニングキッチンと隣接していた。


 ここでも注意を引かれたのは、ソファの背後に本棚が置かれていたことだ。

 スライド式の二重構造になっているタイプで、やはり大量の本が詰め込まれている。

 背表紙に書かれた文字は、民法総則、物権、債権などなど。

 こっちにあるのは、法律関連の書籍らしい。



 そうした光景を目の当たりにして、俺は今更のように思い出した――

 歌恋の父親・浅羽征志郎せいしろうは、無類の読書家なのだ。

 うちの父親と大学時代に交友関係を築いたのも、本がきっかけだったと聞いている。

 爾来じらい、気質は変わりないようだった。



「好きなところに座って。今、コーヒーを淹れるわ」


 歌恋は、キッチンに立って、ポットで湯を沸かしはじめる。


 そのあいだにバッグを下ろし、ソファに腰掛けさせてもらった。

 それから、つい気になって、本棚を半身はんみだけ振り返って眺める。


「我が家の蔵書に興味があるのかしら、友騎くん」


 ダイニングカウンターの奥から、歌恋が問い掛けてきた。

 俺は、すぐに居住まいを正して、逆にたずねる。


「ここにあるのは、征志郎小父おじさんが読む本なのか?」


「居間や廊下に並べてあるものは、だいたいそうね。――ただし、買うだけ買って、まだちゃんと読んでいない本が大半のはずよ」


 歌恋は、豆をきながら、苦笑を漏らした。


「だから、読む本というより、ほとんどがと言った方が正しいかもしれない。まあ、私も父親ひとのことはあまりとやかく言えないけれど」


「そりゃまたどういうことだ」


「私の部屋にある本とかにも、未読のまま棚に並べただけのものが多いの。もう読むんじゃなくて、ほぼ集めること自体が趣味になってるわけ」


「……な、なるほど」


「つまり我が家の本は、俗に言う『積読』ばかりなのよね」



積読ツンドク】――

 購入した本を未読のまま、次々と部屋の中に積んでいく行為のことだな。



 そう言えば幼少期、歌恋が関東へ引っ越す前に住んでいた家も、かなり蔵書は多かった記憶がある。

 今にして思えば、あの頃から征志郎小父さんには、積読の悪癖があったのかもしれない。

 一人娘も、立派に同じ習性を受け継いだようだ。


 話を聞いて唸っていると、歌恋はさらに続けた。


「パパの書斎やにある他の本も、未読のものだらけよ」


「……書庫だって?」


「一階と二階に一部屋ずつ、それと地下にも二部屋――この家の中には、集めた本を納めておく専用の場所があるわ」


 歌恋は、豆の粉末をフィルターへ移すと、ドリッパーをサーバーの上に据えた。

 そこへゆっくり湯を落としていく。


「建物全体の構造も、かなりパパの趣味を反映して作られているの」


「マジかよ。もう単なる趣味とかってレベルじゃないだろこれ……」


「そう? 本屋さんのご子息に請け合ってもらえれば、パパも喜ぶと思うわ」


 ちょっと冗談めかしてから、歌恋はサーバーの黒い液体をカップへ注いだ。


「パパは『お店に負けないぐらい本を揃えたい』って、たまに言ってたから」


「負けないどころか、うちの実家みたいな店と比べたら、とっくにこの家の方が勝ってそうだ」


 それは社交辞令抜きの、率直な感想だった。


 実家の書店は、およそ一年前に店舗を改装して以来、取扱書籍点数が三割以上減少している。

 本の品数を絞って、代わりに特定のコンセプトに沿った雑貨類を売るようになった。

 専門店から、複合型書店に業態転換したのだ。




 やがて、歌恋は二人分のコーヒーを運んでくると、差し向かいのソファへ腰を下ろす。

 正面のテーブルには、版型大小ジャンル雑多な本が積まれていたので、俺もカップを並べる際に横へ除けるのを手伝った。

 それにしても、マジで本が多い家だな。


「……それで、一息入れたら、これからどうしましょうか」


 歌恋は、黒い液面にミルクを注いで、白い渦を描く。

 我が幼馴染ながら、わりと非常事態のはずなのに自然体に見えた。

 こっちが無駄に動揺しすぎなのだろうか。


 俺は、角砂糖もミルクも遠慮して、そのままカップの縁に口を付ける。


「差し当たり、俺の父さんに電話を掛けてみる」


龍平りゅうへい小父さんに?」


 短く「ああ」と答えて、うなずいてみせた。

 今後の方針を検討するには、まずそれが妥当な判断だと思う。


 できれば、歌恋の両親とも今一度連絡を取りたいところだが……

 征志郎小父さんが居るのはヨーロッパで、和歌子小母さんは今頃飛行機の機内のはずだ。

 そちらが後回しになるのは、致し方ない。

 俺の地元だって遠いけど、さすがに海外じゃないからな。


「友騎くんの荷物はどうするの? 受け取ったときに配送業者さんにお願いして、そのまま二階の部屋に上げてもらってあるけど」


「そのへんは後回しだな。とにかく、この状況をなんとかしなきゃ駄目だろ」


 コーヒーカップを皿の上へ戻しつつ、俺は歌恋の質問に答えた。

 微妙に会話の焦点がズレてる気がしたけど、思い過ごしだろうか。



 まあ何にしても、まずは父さんと話し合おう。

 スマートフォンを取り出し、電話帳を開いた。

 番号をタップし、耳元に当てて呼び出しに応じるのを待つ。


<――あー、もしもし?>


 通話状態になると、低音だが妙に飄々ひょうひょうとした声が聞こえてくる。

 電話に出たのは紛れもなく、俺の父親・藤條ふじしの龍平だった。


<どうした、友騎。もう浅羽さんの家には着いたのか>


「それなんだけど、ちょっと予想外の状況になってるんだ」


 俺は早速、い摘んで事情を説明しようとした。

 店の仕事で忙しいかもしれないけど、緊急事態だしかまってられない。


 ……ところが、二言三言話しただけで、すぐに俺は会話を中断せざるを得なくなった。

 急にやり取りの途中で、父さんがこちらの言葉を遮るように口を挟んできたからだ。



<なあ、友騎>


 電話口の向こうから、まったく思い掛けない経緯が伝えられた。


<実は父さんな、ついさっき征志郎からも連絡をもらってたんだ>


「――歌恋の小父さんから? どういうことだよ、そりゃ……」


<そっちが今どうなってるかは、もう概ね伝わってるってことだ>


 一瞬、自分の聴覚がおかしくなったんじゃないかと思った。


 ……もう伝わってる? 


 つまり父さんは、浅羽家の人間が現在、日本国内に歌恋しか居なくて――

 ここで俺と二人っきりだってことを、すでに承知してるっていうのか!? 

 

 いや待て、落ち着け俺。よく考えろ……

 予期せぬ展開に戸惑いつつ、混乱しそうな頭の中を整理しようとした。

 ここまで聞かされた話に基づいて、何とか現状認識に努めてみる。

 しかし、どうにも色々と違和感だらけで、上手く考えがまとまらない。



 と、そこへ追撃を加える如く、いっそう信じ難い事実が打ち明けられた。


<あと、今日はおまえから連絡が来たら、教えておこうと考えていたことがある>


 父さんの口調は、相変わらず飄々として、ごく何でもない世間話でもするみたいだった。




<――歌恋ちゃんって、おまえの許嫁いいなずけだから>

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