第47話:背を見て学ぶのは、おしまい

「槙先輩までいらっしゃったんですね。お疲れ様です。二人の時間を割いてしまって、申し訳ないです」

 気の利いた言葉の一つや二つ返せればいいんだけど、不器用な私はそうすることができない。謝ってばかりだ。それでも

「いや違う違う。っていうか電話したのは西だし」

 美波が気にすることじゃないよ、と先輩は優しい。


「私、先輩たちがいないと何もできなくて、結局役立たずなんじゃないかと思って……」

「美波……」


 先輩を困らせているのは知っている。でも出てくるのは弱音だけで、溢れかえってくるのは申し訳なさと、涙。声が震える。


「マーチングやってたの自分なのに、全然できてなくて。きっと知らず知らずのうちに皆にも迷惑かけてるんだと思います」


 しばらく間が空く。先輩だってきっと、こんな頼りない人が統括をしてたと分かったら、嫌なんじゃないか。そんな考えが頭をよぎる。でもそんな悲観的な考えに至っている暇もなく、突然先輩が叫んだ。


若人わこうどよ学ぶべし!」

「へ?」

 すっとんきょうな声をあげると、先輩が笑う。

「美波ー、これは美波にとって千載一遇のチャンスなんだよ。先輩がいる目の前でチャレンジできるんだから」


 ま、お騒がせな西が、選んだのが美波だったのもあるんだけど。先輩のすごく明るい声に気圧される。ボーンの子が、先輩はおっとりしてるんだけど、いきなりハキハキするようになる時もあると言っていたのを思い出した。言われた時は意味わかんないと思っていたけど、こういうことなのかもしれない。


「来年の今、同じことをやっているんだったら、誰もフォローしてくれないよ?」


 その言葉に、もうすぐ自分たちだけになるのだと実感した。ずっといた先輩だけど、あとほんの少しでサチスイからいなくなってしまう。後ろを振り返ったら、先輩がいることがなくなる。考えただけで背筋がすっとした。それは悪寒とかじゃなく、足りない、欠けた感じ。


 そして前を向いたって先輩がいるわけじゃない。また来年、劇をやるかどうかわからないけれど、やるとなったらもう、私の気がつかなかったところを指摘してくれる先輩はいない。ぎゅっと唇を噛みしめると、先輩の優しい声が聞こえてきた。


「美波はすごいよ。人前で物怖じせずに私たち先輩にもちゃんと指摘できる。いいところは良いって言えるし、悪い所は悪いって言える。簡単なことだと思ってやっているかもしれないけど、なかなかできないことだと思うよ」

 

 それに、と先輩は付け加える。


「西のお墨付き、マーチング統括でしょ。責任は西が取ってくれるから、気負わずやればいいの。それに私、美波のマーチング好きだよ。プリントもちゃんと細かく書いてくれて、わかりやすいし」


 ここだけの話、西ってちょっと感覚的だからわかりづらいとこあるんだよ。内緒話をするように少し声をひそめて先輩はそう言った。それがなんだかおかしくて笑った瞬間に、一筋涙が落ちた。あ、笑ったー、と嬉しそうな声が電話越しから聞こえる。


「今更、西にいいとこどりされていい訳?」


 ずっと頑張ってきたんだったら、最後までやりなよ。そう言われて、返事は「はい」しかないだろう。それじゃあ西に返すね、と言われて感謝する間もなく、西先輩の声が聞こてきた。


「美波? あ、西です。美波のこと本当にうまいと思ったから頼んだんだからそこは自信持って。マーチングやってた一年生は、美波以外でも何人かいるんだし。後ね」


 先輩が言葉を切った。私は息を大きく吸う。冷たい空気が肺を通って、はぁっと吐くと暖かい白い息が口から出てくる。


「中学の時にちょっと嫌なことがあって、私はあまり人前で指導するの好きじゃないの。ずっと避けてて、マーチングの統括になるの怖くて、それで頼んだの」

 知らなかった。そしてもしかしてそれが、先輩が今まで休んでいた原因なのかもしれない。

「そうなんですか……」

 やっぱり、私はうまいこと言えなかった。でも、西先輩は気にした風ではない。

「だからね、美波にやってほしい。私が、美波の方が向いてるって思ったから」


 そう言われて結局、私は自分が続けることを先輩に伝えて電話を切った。体は芯まで冷え切っている。私はくしゃみを一つして自転車にまたがった。今日帰ったら、もう一度マーチングの教本を見直そう。できることをしなくちゃ。そう思いながら。


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