第43話:さくらの花が咲けば

 それから私への指導も含めて色々と調整を重ね、特に二部の中でも力を入れている二つのシーンが終わった。


「じゃあ、一時間お昼。とはいえ一時ぴったりから始めたいから、そこのところはよろしく」


 サトがそう言うと、全員が声を揃えて返事をする。練習は一旦休憩してお昼になった。


「西、ご飯いこ」

 という槙の誘いを

「ごめん、練習するわ」


 と断って私は舞台の上に立ち、皆がお弁当持ってホールの外に出て行くのを眺めていた。みんながバラバラとホールの外へ出ていった後、トロンボーンを持って舞台の真ん中に立つ。照明が眩しい。少し目を細めてしまったけれど、やるべきことはそれじゃない。ベルアップをして、さっきの練習でできなかったところ練習していく。『マゼラン』は特に、曲の難易度も高いから厄介だ。


 皆に追いつかなきゃ。自分が休んでいた分を取り戻さなきゃ。考えるのはそればかりで、焦っていた。練習しなきゃ、自分のできていないとこ。そんな気持ちで吹いた音が綺麗になるわけもなく、さらに自分の焦りに拍車をかけていく。


「音が雑」


 心の声が舞台袖から聞こえてきたのかと思った。振り返ったら、いたのはサトだった。分厚いファイルを抱えている。サトも残って、何か裏方の調整をしていたのかもしれない。


「考えて吹いてないでしょ。どこをどうするべきか。さっきと、どこを変えればいいのか。ただ吹いてればよくなるって思ってる。表情も硬い。そのままダラダラ練習するだけなら、お昼食べな」


 いつも通り、音楽になると途端に毒舌になるサト。ごめんと呟くと、サトはそっと首を振った。そして私の横に並んだ。二人で照明を一面に浴びる。 所々に皆の鞄が置いてある以外、客席は空っぽだ。


「去年のコンクール、ホール練ここだったね」


 懐かしそうなサトのその言葉にこくりと頷く。高校生に入って一番最初に行ったホール練習は、このホールだった。懐かしい。あの時はまだ、皆とも出会ったばかり。サトとも、トロンボーンとユーフォニアムで席が近いというだけで、そんなに話すらしていなかったかもしれない。それが今では、部活にまた出て来れるきっかけにまでなっている。改めて時間の流れを感じた。


 「そうだ」と手を叩くサトに、ん? と振り向くと、


「『さくらのうた』のソロ、吹いてよ」


 サトはそう言った。『さくらのうた』がコンクールの課題曲だったのは、2012年。私たちはまだ、一年生だった。


「え?」

「私あのトロンボーンソロ、大好きなの。吹いてみてよ」

「でもまだ私、復帰してすぐだよ? あれは先輩のだし……」


 ソロを吹いていたのは、私ではなく二年生の先輩。隣に座る先輩は上手くて、ずっと憧れだった。だから、そのいいイメージを壊したくない、というかどうしても比べてしまう。サトは苦笑いする私の肩をバシッと叩くと、


「音楽は誰かに奏でられて初めて、音楽になるんだよ。吹きなよ、ほんの数小節でしょ? いい機会だしさ。復帰記念って言うやつ」


 そう言って、拍手を始めた。


『さくらのうた』の曲も終わりに近づいて行くところ、大きく盛り上がった先でホルンのソロが始まる。そこから受け継がれるトロンボーンソロは、何度も聞いた。先輩のブレスの仕方だって覚えている。多分、いや絶対に譜面がなくても吹ける。


 私はサトのリクエストに答えて楽器を構えた。前を見据え、息を吸う。ゆっくりと手を温めるように息を吐き出すのは暖かい音が欲しいから。それでも息のスピードを保つのは、どこかトロンボーンの男らしい、逞しい音でありたいから。


 吹き終わってサトの方を見ると彼女は

「そういう風に丁寧に吹ければ、大丈夫だよ」

 そう言って舞台袖に歩いて行った。その背中に「あのさ」と声をかける。


「毎日うちまで、来てくれてありがとう。全部読んだよ。サトがいたから戻ってこれた。手紙、感謝してる」


 手紙は、帰ってきてほしいというメッセージ。譜面台は、帰ってくるという確信。そのどちらからも伝わってくるのは、サトの優しさ。頭が上がらない。


 サトは私には答えず、鼻歌を歌うだけ。でもそれは私がたった今吹いた、トロンボーンソロのメロディだった。私もまた、定期演奏会の練習を始める。なんとか皆に追いつくように。


               ***


 ホール:ホールは飲食禁止のところが多い。そう書いてあるのならば迷惑になるので、ホールでの飲食はやめましょう。


『さくらのうた』:2012年全日本吹奏楽コンクールA部門の課題曲Ⅰ。作曲は福田洋介。作曲者の住んでいた杉並区の善福寺川公園の桜をモチーフにした曲なんだとか。全体的に穏やかな曲調で、キャッチーなメロディに思わず歌いたくなる。第22回朝日作曲賞受賞。

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