7、人生で一番長い休み、それから

西 礼奈 (Tb)

第36話:アンソニーと私は、時々世界でふたりぼっち

 笑うということは時々、泣くことよりも辛い。多分そうやって自分を偽って、また限界が来てしまったのだと思う。自分の部屋の中で体育座りをして、ぼんやりと一日を過ごす。忙しく部活をやっていた自分では、そんな時間も作ることができなかった。それにしても空虚で、頭がぼんやりとする。一日中寝間着のまま、寝て起きてゲームをして勉強をして。そんな日がもう二週間以上続いていた。部活用の太いファイルは、鞄の中からずっと出していない。部屋の隅にあるのは黒いソフトケースに入った自分のトロンボーン。小さい部屋の中でそれは大きな存在感を放っていた。


「アンソニー、また私ったら部活に出れなくなったよ」


 トロンボーンに話しかける。おちゃらけていたはずなのに少し声が震えるのは、どうしてだろう。こないだ来た槙の電話の声を思い出す。「ずっと大好きだった西の音が聞きたいよ」そこまで言ってくれた子を裏切ってしまった自分が情けない。期末テストが終わったさっき、「ごめん」とだけ打って私は背を向けてしまった。そんな自分が嫌で、それでも学校には行けなくて。槙を悲しませているのかと思うと心が痛む。


「槙はあの子とは違うのに。サチスイは、違うのに」


 どう頑張っても、前に進めないのだ。

                   ***


「どうせあんた、自分がいい高校行きたいから部長になったんでしょ。分かってるんだから。馬鹿にしないでよ」


 あの子からそう言われたのは中学の時、先輩が抜けたすぐ後。やる気の差が多かった私たちの代は、開始早々みんなの気持ちがバラバラだった。で、あっという間に崩壊寸前。みんなが思い思いのことを話す話し合いが何日も続き、いつまでたってもまとまらない。お互いを傷つけて、傷いて。そんな中、ひときわ大きな声で私が責められた。


「トロンボーンにしたのだって、上の先輩が二年の時から仕切ってたからなんじゃないの?  小学生のマーチングしてる時はコルネット吹いてたんでしょ。あんたみたいな点数取りには、そこまで分かってたんじゃなーい? 計算づくって言うの」


 そうやってネチネチとした声で笑うのは、私を吹奏楽部へと誘ってくれた子だった。友達だと思ってたのに。一番仲がいいと思っていたのに。裏切られた。


 今思うとその子がやりたいと思っていたのが、部長だったのだろう。それは私が奪ってしまった。だからあの子は—————。


                 ***


「アンソニー、私はただ吹いていたかっただけなの」


 トロンボーンは好き。吹奏楽は好き。高校は家から遠いところにして、誰も私の中学なんて知らない場所にした。幸高校へは、片道二時間かかる。それでも引きこもられるよりはいいと思ったのだろう。親は何も言わなかった。


 高校で吹奏楽部にどうかは正直決めかねていた。吹奏楽団に入っても良かったし、全く別の部活をしてもいいと思っていた。家族はむしろ、そっちを望んでいたと思う。一度辛い思いをした吹奏楽部にまた入る必要なんてない。実際そう口に出して言われた。


 でも、一年の時に同じクラスだった槙が、話しかけてくれた。吹奏楽部なの? と聞かれてうんと頷くと、トロンボーン? そう訊かれた。驚いた。いつもならサックスとかそういう楽器に間違われることが多い。でも槙は、雰囲気がなんとなくそれっぽいからと一発で私がトロンボーンであることを当てた。不思議な子だと思った。でも、すごく嬉しそうに話しかけてくれて、悪い気はしなかった。


 トロンボーンは好き。吹奏楽は好き。知り合った槙も、いい子。だからまた、吹奏楽部に入った。ただ、リーダーにはなりたくない。だから私はいつもヘラヘラとしていた。パートリーダーも槙に任せて、私は何もしなかった。詳しくは誰にも言わなかったけど、リーダーになってくれと言われるたびにやんわりと断った。皆もそれを無理強いすることはなかった。


 だからサトに統括をしてほしいと言われて、経験者が必要なんだと言われて、断らなかった自分が悪い。それにサチスイの皆はそういうことしない人たちだって分かってる。それに大人数だった中学と違って、サチスイにはそんなに多くの部員がいない。定期演奏会の統括も含めれば、部員の半分ぐらいが役職についているんじゃないかと思う。なりたいと望みさえすればなれるのに、諍いを起こす必要なんて全くないじゃないか。中学とは状況が違う。立ち位置が違う。人が違う。


 そんな中、白い目で見られるわけない。頭では分かっているのに、皆の前に立たなければいけなかった時、部活に行くのが怖くなった。マーチングをやっていたからって、しゃしゃり出て良かったのか。実は他にもやりたい人がいたのに、私のせいで言い出せなかったのではないか。ステージ係は? 私が隊列を考えることで、例年通りに自分たちで出来なくてもしかしたら不快に思っているのではないか。常に思い浮かべるのは、あの子嫌な笑い声。それを必死で追い払おうとすると、胃が痛くなった。それでも今のタイミングで休んだらいけないと思ったし、頑張ってる部の雰囲気を壊してはいけない気がした。


 代役をたてようと動いたのはもしかしたら、自分が休むことをなんとなくわかっていたからかもしれない。美波という盾を手に入れて、私は引きこもった。


                  ***


 今日を過ぎればきっと、部活は私抜きで回るようになる。それはまた、中学生の時と同じように。たぶん定演を、私服で見に行くのだろう。パンフレットに載っている自分の名前を、ただ眺める。そしてみんながスポットライトに照らされる中で、私は暗い客席の中、 その眩しさに目を細めるのだ。


「アンソニー。また最後に出させてあげられなくて、ごめん」


 トロンボーンは私が吹かないと、鳴らない答えない

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