伊藤 羽佳子 (Cl)

第8話:学指揮の憂鬱

 ミーティングの間は正直、胃がキリキリと痛くて死ぬかと思った。普段はやらないけど、何度も赤フレームのメガネを触っていたのは私が緊張していたせい。普段は二人でやっているミーティングを私一人で仕切るので既に結構大変なのに、その上サトの新しい二部の案。皆の困惑した目が私に助けを求めているのはすごく分かったんだけど、助けて欲しいのはこっちの方だった。


 サト、よくもやったな。悪役のようなセリフを心に浮かべて内心ハラハラしながらミーティングを終えたのは、最初に学指揮としてした話し合い以来だと思う。どんどん雲行きの怪しくなっていったミーティングに、最後は泣きたくなった。


 だから部活が解散した後、私はサトに声をかけた。


「羽佳子、なに?」


 くるりと振り返るサトに、まず言いたいことはこれ。


「一言ってくれれば、もうちょっと進行のやり方考えたのに!」


 確かにうまいこと調整しなかった私の落ち度でもあるんだけど、今回のミーティングで決めるべき項目は、半分ぐらいしか終わらなかった。部員の時間を割いてミーティングをしている限りなるべくミーティングを何回もしたくない。他にも色々な決め事があるわけだし、文化祭だって養護学校でのコンサートだってこれから控えている。コンクールが終わって一段落しているとはいえ、やるべきことが何もないわけでもない。


 それに、今の決断のままずるずると遅らせていたら、出来るものも出来なくなってしまう。


 そんな私の心配はよそに、サトはごめんごめん、なんて悪びれずに言っている。学指揮になるまであまり関わりがなかったから知らなかったけど、サトは抜けているところは抜けている。私は心の中で盛大にため息をついて、サトのクリッとした黒い目を見つめた。


「羽佳子、今日は塾?」


 サトに訊かれて私は無言で透明の天才バック*を見せる。日本史と古典の太い教科書は、私の行っている塾のロゴがでかでかと入っている。


「夏期講習最後のタームで申し込んだの。コンクールと被らない様にしなきゃと思って」


 塾の所為で残って練習することができないのは、指揮者として動くことも多い中で結構致命的。だけどコンクールの前に夏期講習なんて、行っても疲れて寝てしまうのが目に見えている。だからお盆明けのタームに申し込んだのはいいものの、なんやかんやでこれからも忙しさは変わらなさそうだ。とりあえずそのまま急いで塾にいく日が続きそうなので、プラスチックでできたキャリーバックは夏期講習が終わる時にはひび割れてしまいそう。


 それでも一ついいことといえば、サトと帰る方向が同じになること。


「じゃあ方向一緒だね。ちょっと待ってて、教室からカバン持ってくるから。歩きながら話そうか」


 その言葉にこっくりと頷いた。これはじっくりと話さなきゃいけない。私の胃のためにも。


                ***


寄り道メモ♪


天才バッグ:別名キャリーバッグ、予備校バック、秀才バック、ブリーフケース。プラスチック製の四角いカバンで、スクバやリュックのお供に使われることが多い。持っていると頭が良さそうに見えるから天才バック。が、パンパンに入れるとすぐに壊れるのでバック自体が天才かどうかは怪しい。壊れやすさは、値段に比例する。

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