第178話 心理戦とその裏側

 誰一人として口を開かない重い沈黙が馬車内を満たしていた。私は対面で呆けている伯爵に目をやり、唇を噛みしめていた。

 渋る伯爵を領地の為だと説き伏せて、草すら生えぬ荒地を用意したというのに全てが水の泡となったのだ。

 最初に鍬すら入らぬ土地を用意し、無理だと断らせる。その次に痩せ切った土地に案内し、そこも無理だと断らせ、最後に見込みのある土地を与えてこちらが譲歩したと印象付ける予定だった。

 そもそも初手から失敗していたのだ。こちらの弱みを全て晒し、相手の助力を願うなど貴族に有るまじき行いだ。

 少しでも立場を優位にするための苦肉の策を捻り出したと言うのに、あの忌々しい化け物のせいで台無しになった。


 土地を見るなり奇声を上げ、徴税記録を調べさせるまでは良かった。4周期も放置した土など耕せるはずも無く、仮に耕したところで作物が実るはずもない。

 この土地では無理だと音を上げるかと思いきや、畑の土を森の土と入れ替えても良いかと言い出した。

 確かにこの化け物の力で半季期(30日)も掛ければ、この不毛の土地ですら耕地として蘇るかも知れない。しかしそれでは当初の早期に結果を出すという言を翻すことになる。

 どちらにせよこちらに損はないため、私も賛成し、伯爵も許可を出した。それから起こった事は正に悪夢であった。


 「すぐに終わります」の言葉通り、化け物が消えて幾らもしないうちにひび割れた不毛の大地が、肥沃な土地へと生まれ変わった。

 思わず駆け出して、色の変わった大地を掘り返し、土を握った。柔らかく程よく湿り、命の香りがする土。まさに森の土だった。

 何をされたのか全く理解できなかった。何の道具も持たず、魔術の行使も無しに突然大地が蘇ったのだ。

 大地の力を蘇らせる神術は存在する。楽園教の高位神官が『神樹アールボル・サークラ』の枝を使い、様々な供物を捧げ数十人の神官が祈ることによってのみ為せる奇跡だ。

 それですらこのような変化は起こりえない。病魔を退け、次の恵みを豊かにするのみであり、死した大地を蘇らせるなどお伽噺ですらない。


「アマデウス。シュウ殿は神の御使みつかいやもしれぬ。私はそなたの献策を受け入れ、シュウ殿を試すような真似をしてしまった。この上は全てを打ち明け、彼らに縋った方が良いのではないか?」


「なりませぬ! 伯爵。貴方は建国の祖、王家の直系。青き血が流れているのです。あれは御使いなどではありません! 何処の世界に角を生やした御使いがおりましょうや?」


「しかし、そなたも目にしたであろう? あのような奇跡を唯人ただびとが為せるものか」


「それこそが悪魔の証拠です。ご覧になりましたか? 私はこの目で見ました。奴の両足が大地に沈み込むのを! 奇妙な道具で耕した場所すら歩けず、鎧を着た私ですら歩ける場所で足が沈み込むのです!」


 難癖であることは自分でも理解している。しかしあの化け物が人と同じ存在ではないという事を強調せねばならない。

 伯爵このバカは王都より離れ、辺境に引き篭もっているため知らぬのだろうが、巷には魔術を用いたペテン師など履いて捨てるほど居るのだ。

 たまたま我々の知らぬ何かでペテンを仕掛けたに決まっている。人同士ですら騙し合うのだ、人ならぬ化け物ならばどのような手段を持っているかなど知りようがない。


「宜しいですか伯爵! 私はこれよりフレデリクス司教様に相談し、あの化け物の所業を暴いて頂きます。決して軽はずみな決断を為されず、私の帰りをお待ちください」


「しかし……」


「しかしではありません! 私は伯爵を支えよと、王より任を受けてこちらに参りました。以来アンテ伯領のため誠心誠意お仕えして参りました。我が忠誠をお疑いなのですか?」


「そのような事はない。そなたの忠誠を疑ってはおらぬ。しかし楽園教の教義に従い、領民に魔術を禁じて以来、我が領は苦難続きだ。新しき領民にも魔術を教えた方が良いのではないか?」


「苦難と魔術は関係ございません。当地は流民が増え、貴族と平民の割合が極端になっております。平民に魔術ぶきを与え、反乱を起こされれば如何な騎士団とて壊滅的な損害を被るでしょう」


 私の言に伯爵は苦々しい表情で黙り込む。そもそも魔術こそが神の御業みわざ。平民如きが手にして良いものではない。

 平民は貴族に従い、その慈悲に縋るもの。貴族は平民に安寧を与え、対価として税を受け取る。平民は貴族に守られた土地で生活できる事を感謝し、一心にその恩義に報いれば良いのだ。

 幼子に剣を与える親がおろうか? 学も無く、欲望のままに生きる平民に魔術など扱いきれぬ。奴らは今日己が飢えねば良いとしか考えておらぬ。

 先々の事を考えておらぬ故に短絡的で、享楽的に振る舞う。己を律することができぬ者に、魔術は過ぎた力なのだ。

 増えすぎた平民など減らせば良いだけのこと。それすら出来ぬ伯爵バカには領主など荷が勝ちすぎる。


 再び馬車内を沈黙が支配し、車輪が回るガラガラという音のみが響いていた。



◇◆◇◆◇◆◇◆



「何これ?」


「何と申されましても…… シュウ様がお植えになった作物にございます。ご不審な個所がございますか?」


「え? でも、植えたのは昨日ですよね? 何故青々と茂っているんですか?」


「何故と申されましても…… これはそのような作物ではないのですか? 我々は当地を救う希望の作物としか伺っておりません」


 コンラドゥス青年と共に昨日の農地を訪れてみると、そこには奇妙な光景が広がっていた。

 確かにサツマイモもカボチャも苗まで育てて、植え付けたので種よりは生育が早いのだが、この成長ぶりは異常過ぎた。

 『菅野式若苗萎れ定植』に従って、30分ほど天日で乾燥させ、命の危機を感じさせた後にたっぷりと水と栄養を与え、生育と収穫量を増やす予定だった。

 しかしそれは一ヶ月ぐらい先の話で、僅か1日で成果が出るものではあり得ない。

 サツマイモの苗は青々としており、伸びた蔓が大地に根付いている。このままでは無数の小さな屑芋が採れるだけのがっかり収穫になってしまう。


「すみません。兵士の方に手伝って頂けるようお願いできますか? この伸びた部分を地面から剥がして、葉の上にひっくり返す作業が必要なのです」


 彼らに必要な作業をやってみせ、その後を任せてカボチャの様子を確認する。

 こちらも異常に生育している。整枝と摘芯(不要な枝を切る作業)が急務であった。これは残す蔓を見分ける必要があるため、ちまちまと俺がやるしかない。

 作業をしながら、昨日俺たちが引き上げた後の様子を聞き出した。


 我々が引き上げ、水やりをしたところ、即座に目に見えて成長をし始めたのだと言う。どんどんと水を吸い上げ、いつまで経っても表面が濡れる状態にならないので、延々水をやり続けた結果がこれらしい。

 かなり気味が悪い光景だが、来訪者が持ち込んだ不思議な品はどれも規格外だったのを思い出し、これもそうだろうと考えてそのまま作業を続けたと言う。


 それにしても異常だ。『闇の森』の黒土を使った栽培は今までにも実施している。通常の土に比べて生育が早くなる傾向はあるものの、ここまで異常ではない。

 何が違うのかを必死に記憶を手繰って思い出す。普段はしていなくて、昨日だけにした特別な事はなかったのか?

 あ! 一つ心当たりがある。以前純粋魔力結晶の粉末を土壌に混ぜると作物が早く育つと聞いたので、苗を植え付ける際に一本一本に魔力を込めて、早く育つようにと祈りながら植えたのだ。


 ここまで劇的に作用するとは思わなかった。大地から相当養分を吸い上げていることが容易に想像できる。これは追肥をする必要があるだろう。

 急いで『カローン』に取って返し、化学肥料を畝の両肩に施しながら、そこまで急がなくても良いよと言い聞かせるように魔力を流した。

 これすら逆効果になるなら一切魔力を込めない方が良いだろう。明日の状況に戦々恐々としながら帰路に就いた。

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