第160話 アンテ伯マーティエル02
案内役のコンラドゥス青年はアンテ伯領について道すがら色々と教えてくれた。
俺たちが訪ねたのは領内の北端に位置する大門であり、通常は鉱石や石炭を運ぶ馬車が出入りする道なのだそうだ。
王都側に位置する西大門ならば詰所も大きく、相応の身分を持った騎士が常駐しており、連絡もスムーズに運ぶという事らしい。
アンテ伯領は王都を背に東へ東へと拡張を続けている領土であり、それを治める辺境伯たるマーティエル卿も常に最前線に身を置き、現場を自分の目で見ながら執政しているそうだ。
「森林を開墾して畑を増やしていらっしゃるんですよね? 素人の意見で申し訳ないのですが、危険な仕事なのですか? 牧歌的な開拓村に任せて領主は中央で仕事をした方が効率的なのでは?」
俺の恐らく見当はずれな意見にも嫌悪感すら表に出すことなくコンラドゥス青年は答えてくれる。
「王都近くの森ならば村人たちでも開墾できるのですが、あいにくとここは『最果ての森』。危険な動物や魔物が多く、騎士団の助力なしにはとても開発などできません」
「そんなに頻繁に襲撃されるんですか? 見た感じでは外壁は木柵に見えるのですが……」
「最前線の開墾地帯はわざと防壁が開けてあるのです。わざわざ外壁を壊さずともそちらに行けば人間を襲撃できるので、獣や魔物はそちらを優先的に襲います」
「なるほど。あちこちを襲われては対処が間に合わないけれど、襲われる個所を集中させればコントロールできるんですね」
良く考えられたシステムだ。人的リソースを集中運用することで危険度を下げ、戦力が分散して一人当たりの負担が増えないようにしている。
とは言え、わざと防御を薄くして襲われるなど効果的とは思っていても、そう簡単に取れる手段ではない。
アンテ伯とはかなり豪胆な神経の持ち主だと言えるだろう。
黙って話を聞いていたアベルがハンドサインで横を示す。そちらに目を向けると異様な光景が広がっていた。いや、正しくはこの世界に於いては異様な光景だろう。
牛舎が建てられ、そこで牛が飼われていた。距離があるため正確な大きさは判然としないが、牛の世話をしている農夫との対比で考える限り、地球の牛と大差ない大きさだと思える。
牛舎の中では乳搾りが行われており、新鮮な牛乳を容器に入れて運んでいるのが見えた。馬もそうだったのだが、ここでは地球の家畜が飼われていると見て間違いなさそうだ。
「都会の方には牛が珍しいかも知れませんね。雌の牛はああして乳を採り、雄の牛は農業に開墾にと活躍してくれます。牛や馬、羊が居なければ辺境生活は成り立ちません」
コンラドゥス青年は俺たちの恰好を見て都会の人間と判断したようだ。戦闘服とは言え、きっちりと縫製されており、一見するとお洒落に見えるのだろう。
とは言え、コンラドゥス青年自身も農夫と比べれば随分と仕立ての良い服の上に、革鎧を身に着けている。
恐らく彼も貴族なのだろう。むしろ筆頭騎士の従者が平民などと言うことはあり得ない。
農地の方に目を向けると
効率を考えれば矩形で畑を作るのが最適なのだが、何か理由があるのだろうか? それに良く観察してみれば水路も無い。農業用水をどうやって確保しているのか謎である。
農業方針自体は三圃式農業をやっているのではないだろうか? 圃場ごとに作付けが異なっており、休耕地には家畜が飼われている。
青々と牧草が生えた土地に羊が放され、道を挟んで隣の圃場にはカブか大根のような根菜を植えている。最も多いのは麦畑であり、恐らく小麦が主食を担っているのだろう。
しかしアンテ伯領の人口が判らないけれど、随分と農地が多い。しかも畑が密集しているため、病害虫にでもやられれば凄まじい規模の被害が予想される。
元々田舎の兼業農家をしていた俺の目から見ても危ういのだ。領主が危機感を抱いていれば良いが、そうでなければそう遠くない将来に破綻が訪れることになるだろう。
妖精族たちは総じて人口が少なく、耕地に対する人口抑制が出来ていた。しかし人類は短命な代わりに旺盛な繁殖能力を持っている。
人口増加に対して農地から得られる農作物の量が追い付かず、やがて困窮に陥る。いわゆる『マルサスの限界』が訪れつつあるように思えた。
地球史では輪栽式農法とハーバー・ボッシュ法に代表される化学肥料の製造によって、単位面積当たりの収量を増やし人口限界を突破したという経緯がある。
しかし眺めている限りでは農夫たちの表情も明るく、領地内に悲壮な空気は窺えない。魔力が農業効率を上げるため、それほど危機的な状況にはないのかも知れない。
そうこうしていると石造りの堅牢な城壁が視界に入ってきた。木製の壁が開放され、内側に引き込むように石壁の砦が建設されている。
これが東側の襲撃を受け止める要塞なのだろう。こちらの方が低い位置にいるため、詳細は判らないが櫓の数を見る限りでは複数の城壁を巡らせた層状の構造になっていると推測出来た。
「あちらがマーティエル閣下の居られるオリエンタリス砦になります。なにぶん辺境ですので王都のようなおもてなしは出来ませんが、辺境ならではの文物もございます」
コンラドゥス青年がそう言って砦を指し示した。重要人物との会見を前に若干の緊張を自覚しつつ、アベルと共に足を進めた。
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