第145話 閑話 ハルの大事なもの

「どうですか? なかなかのモンでしょう?」


 シュウ先輩に差し出された小皿のソースを味見する。濃厚な旨みと爽やかな酸味、トロリとした口当たりが舌の上に味を長く留める。


「美味しいです! シュウ先輩、これはムニエルとかに使っても美味しいかもしれません」


 私の反応を見て穏やかな笑みを浮かべたシュウ先輩はスープの様子を見に行ってしまった。

 ここは『カローン』横に設けた簡易厨房。任務から戻ったシュウ先輩と二人でチームの夕食を作っている。明日にはここを発つという事で、全員揃っての夕食となる。

 ここの調理台は全て私の身長に合わせて高さが調節されている。シュウ先輩と私では身長差が1フィート(約30センチ)以上あるため、シュウ先輩の高さに合わせると踏み台を使わないと届かない。

 今日も調理補助しかしていないのだから、私は踏み台を使えば問題ないのだがシュウ先輩は自分が不便を被ってでも私を優先してくれる。


 シュウ先輩はこういうちょっとした配慮をごく自然にやってのける。本人は特別な事をしたという意識もないようだが、普通は作業量の多い方に合わせるべきだろう。

 シュウ先輩はいつも自分よりも周囲を優先する。それは地球でも、この異世界に来ても変わらない。自分に良くしてくれた人に少しでも恩返しをしたいと本人は言うが、ギブアンドテイクの範疇を越えている。

 先輩は自分は大したことをしていないと言っている。確かにチームを率いているのはチーフだし、決定権を握っているわけではない。

 でもシュウ先輩が居なかったら妖精族の人々はこんなにも私たちに協力的だっただろうか? 地球に戻れなかった時の保険と、自分が食べたいからだと言って、手間暇をかけて地球産の野菜を普及させている。


 あれだって利便性を考えれば一ヶ所で全て賄い、そこを拠点に活動した方が効率も良いはずだ。あえてそれをしないでそれぞれの妖精族が対等に付き合っていけるよう腐心しているように見える。

 先輩はチーフと違って自分自身でぐいぐい皆を引っ張っていくタイプではない。でもチーム内の仲を取り持っているのは間違いなく先輩だ。

 前にサテラちゃんがウィルマさんに好きな男性のタイプについて聞いていたが、ウィルマさんはチーフのようなタイプが好みらしい。

 サテラちゃんは「私はシュウちゃんが好き!」と直球で話していたが、その素直さが少し羨ましい。シュウ先輩は周りに女性が居ると時々苦しそうな顔をしている。

 本人は気づいていないのかも知れないが森妖精の女性達に囲まれた時なんかは明らかに腰が引けていた。私は先輩に拒絶されるのが怖い。だからこの距離感から先に踏み出せない。


 先輩を喩えるなら、そのままでは噛み合わない歯車同士を繋ぐ中間の歯車だろう。先輩自身が何かをしている訳ではないけれど、先輩が居ないと全体として動作が出来なくなる。

 周囲の歯車に合わせて身を削り、自分を変えることで歯車を繋ぐ先輩。そんな性格だからか真っ先に摩耗し、負担が集中しているのに文句も言わない。

 私は陰で皆を支えてくれている先輩の助けになりたい。他人のために自分を削り過ぎる先輩を守りたい、でも現状は守られてばかりだ。

 せめて料理ぐらいはと思うのだが、それすらも私に気を遣って苦労を背負いこんでいる。先輩の気遣いは嬉しいけれど、もっと自分を大事にして欲しい。

 そんな事を思いながら料理を続けていると、先輩が声をあげた。


「よし! 完成だ。ハルさん、そっちはどうですか?」


 言われて煮込んでいた寸胴鍋の様子を見る、考え事をしていたけれど手は動いてくれていたようだ。味見をしてみるとすっきりとした味わいに仕上がっている。


「大丈夫です、シュウ先輩。あ、配膳を手伝います」


 先輩と一緒に盛り付けをして、テーブルに料理を並べていく。今晩のメニューはシンプルだ。米国産アンガス牛のステーキとコールスローとポテトのサラダ、たっぷりのスープにお好みでライスかパンだ。

 全員が食卓に着くと各々が食前の祈りを捧げる。私はキリスト教式なのだが、シュウ先輩は仏教風なのかな? 両手を合わせて一言で済ませている。シンプルで羨ましい。


「なんだこりゃ? こんなスープ飲んだことねえよ、何のスープだ?」


 グレッグさんが奇妙な声を上げる。シュウ先輩はしてやったりとほほ笑みながら解説を加える。


「飲んだこと無いのは当然だよ、こっちの海藻を使ったからね。この真っ黒の奴ね、これを乾燥させて表面を削っていれるだけで凄い濃厚な味がでるんだよ」


 そう言って真っ黒の乾物を見せつける先輩、どことなく得意満面になっているのが可愛い。いつも困ったようなハの字眉が、この時ばかりはやんちゃな子供みたいになる。


「ただ昆布と違って物凄く濃い茶褐色に染まっちゃうし、割と臭みも出るからそこのところは工夫しているんだ。炒り胡麻と青ネギ、しょうが何かも入れている」


「ふーん、悪かねえな。もう一杯貰えるか?」


 言われて席を立とうとする先輩を制して私がお代わりを注いで渡す。


「悪ぃなハル。海藻スープは苦手だと思ってたんだが、こいつはイケルぜ!」


 料理を褒められて先輩は嬉しそうだ。


「いやいや、こっちのサラダも凄いですよ。このドレッシングが凄い。ジュレって言うんですか? なんか半固形で口に入れると蕩けますね」


 ヴィクトルさんがサラダを褒めている。このドレッシングもシュウ先輩のお手製だ。


「ふふふ、そのドレッシングはこっちの海藻。この薄い笹の葉みたいな奴を使っているんだ。なんかこの海藻をお湯で煮出すと物凄い粘るようになるんだよね」


 私も見せて貰ったけれど、ほんの少しだけを試しに煮ただけでコップ一杯の水がドロドロのスライムに変わったのには驚いた。

 そのどろどろとマヨネーズや醤油、レモン汁なんかの調味料と一緒にしてジュレ状にしたものが、今回サラダにかけられている。


「という事は、このステーキにかかっているソースも海藻から作ったのか? 濃厚でトロッとしていて酸味が効いて、これはなかなか美味いじゃないか!」


 チーフがそう言ってステーキを示す。シュウ先輩は足元の籠からタイルみたいな乾物を取り出してみせる。


「ご名答です、チーフ。こいつだけは使い道に困ったんですけどね、軽く戻してすりおろし、梅酢と醤油、玉ねぎと合わせるとそのソースになります」


 和牛とかの脂が多い肉に合わせた方が旨いんでしょうけどね、とシュウ先輩は言って肩をすくめて見せる。

 沢山あったはずの和牛はもう殆ど残っていない。後は牛脂とか筋肉すじにくとかだと先輩が言っていた。


「いや、このソースは赤身にも合う。ダイナーのステーキソースには辟易したが、これは肉の味が引き立つ」


 珍しくカルロスさんも褒めている。食事に対して不平を言う事もないが、褒める事も滅多にないだけに先輩は嬉しそうだ。

 カルロスさんは足を傷めて安静にしていたのだが、すっかり回復しているようだ。

 先輩の周りは自然と笑顔が集まってくる。これは先輩の持つ得難い資質だと思う、その笑顔に囲まれながら先輩自身も笑顔でいられる支えになりたい。

 私はそれほど地球に帰りたいとは思っていない。地球に帰ればシュウ先輩はまた厄介な立場に立たされることになる。地球よりも異世界に居る方が先輩は生き生きとしているように思える。

 少しでもこの平穏が長く続けば良いのに、そう思いながら和気あいあいとした夕食の時間は過ぎていった。

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