第105話 家禽と採卵
地球へ戻れなかった時への備えとしてケーキ程度が作れる食文化を目指しているが、卵が非常に手に入りにくい。
地妖精、山妖精、森妖精のいずれでも卵は貴重品とされ、ほいほいと口に入るものではないらしい。
ケーキ類を作るのに卵と牛乳は欠かせない。無くても作れなくはないのだが、プロの菓子職人でもない俺には美味しく作るのは至難の業だ。
地球では単に卵と言えば大抵の場合に鶏卵を指し、採卵や採肉のために鶏を飼育する養鶏が盛んである。
しかし鶏とは家禽化された品種であり、野生種のみと思われるこちらの世界では望むべくもない動物だ。
鶏の原種と言われるヤケイ種や、七面鳥、ホロホロ鳥などが生息していないかをアリエルさんや『魔術師』に確認してみることにした。
結果は芳しくなく、容易に家禽化できそうな鳥類は望めない。『魔術師』が七面鳥ならば大陸で見たと言っていたが、この神域の島では見た事がないそうだ。
しかも大陸の七面鳥は地球の大人しいそれとは異なり、猛獣となっているらしい。体重が重くなり過ぎたためか、飛翔することは出来なくなった反面、脚が太く長くなり蹴爪を備えたヒクイドリのような性質を獲得したようだ。
最終的には実際に大森林を回って家禽化できそうな鳥類を探すこととし、アベルとウィルマに付き添われて探索へと出る事になった。
森へと繰り出し首から双眼鏡を下げて、地面より遥かな高みにある樹上を見やる。物音がする度に双眼鏡で覗くのだが、一向に鳥類を見ることが出来ない。
俺が上にばかり意識を向けていると、肩に止まっていたスカーレットが草むらに飛び込んだ。スカーレットの動きに反応して弓を構えたウィルマが矢を番えて引き絞る。
スカーレットが飛び込んだ茂みからバサバサという羽音と共に数羽の鳥が羽ばたいた。一羽をウィルマが射貫き、別の一羽をアベルが投石で撃ち落とした。あり得ない反射神経をしている。
そしてどこか得意げなスカーレットが持ち帰ってきたのは首が真横に折れ曲がった、ずんぐりというかころころと形容したいような体をした鳥だった。
野生動物には詳しいウィルマに品種の鑑定をお願いすると、おそらくウズラの仲間であろうと言われた。俺は日本に生息している鶉しか見たことがないのだが、確かに丸い体が似ていると言えば似ている。
この世界の例に漏れず異様に大きい事を除けば、少し首が長く足が太い鶉と言っても通用するだろう。アベルが投石で仕留めた一体は気絶しているだけで生きており、両足をロープで縛るとアベルが背負った。
俺はスカーレットが飛び込んだ茂みを掻き分けて彼らが格闘していたであろう場所を探す、すると草の茎を丸く編み込んだような巣が見つかった。
そして探すまでもなく巣の中にいくつもの卵が置かれていた。取りあえずこれが有精卵であることに賭け、巣ごと採取して持ち帰ることにした。
鶏も鶉もキジ科の動物であり、鶉の卵も度々食卓に上ることから養殖もされているのだろうと推測する。卵に関しても鶏卵のような無地ではなく、黒い模様がついてはいるものの、大きさに関しては問題ない。むしろ地球の鶏卵Lサイズよりも大きいぐらいだ。
俺たちは森都へと戻るとそれぞれに行動を開始した。アベルは飼育用のケージを作るべく木材を加工し、ウィルマは仕留めた2羽を早速解体している。俺はと言うと採卵する価値があるか、有精卵かどうかを確かめるべく採取した卵の一個を割ってみることにした。
薄い褐色に黒いまだら模様が散った独特の卵は、地球の鶉卵と異なり殻が分厚い。卵が大きくなるにしたがって容積が増大し、それを守るために卵殻も分厚くなったのだろう。
水洗いして汚れを取り、熱湯でしっかりと消毒した卵を机に叩きつけひびを入れると、金属のボウルに割り入れる。気になったのは卵黄と卵白の比率である。
元々鶉卵における卵黄の割合が多いのは知っていたが、巨大化すれば鶏卵と同じぐらいになるだろうと思っていた。しかし若干卵白の比率が増えてはいるものの、依然として卵黄が大きい割合を占めている。そして明らかに胚が大きいため有精卵であると判る。
野生環境にあった卵を生食する程の勇気は持ち合わせていないため、一番シンプルな調理法として目玉焼きにしてみる。ものの数分で焼きあがったそれを眺めて卵黄の色が薄いことに気がつく。
地球で見た鶉卵の卵黄は鮮やかな黄色をしていたが、こちらの卵黄はかなり白っぽく火が通ることで一層白さが際立ち、クリーム色程度にしかなっていない。
そういえば鶏卵の黄色はトウモロコシの色であり、餌からトウモロコシを排除すると白っぽい黄身になると聞いたことがある。
味付けはシンプルに塩だけにして4つに切り分け、功労者で分配することにした。最大の功労者はスカーレットであるため、塩を振っていない部分を箸で摘まむと口先にもっていってやる。
いつものように一口では食べずに、俺の箸から少しずつ食いちぎっては飲み込むのを繰り返している。美味しいか? と訊ねると首を振って頷くスカーレットに変な人間味を感じてしまう。
すっかり忘れていたがスカーレットは龍だった。返せと言われても困るんだが、どうしたものだろう? すっかり俺に懐いたスカーレットに十分以上に愛着がわいており、そう簡単には手放す気にはなれそうもない。
あまり愉快な未来が想像できない思考を放棄し、皿を片手にアベルとウィルマにも食べて貰う。別段普通の卵だと言う感想を聞いて、俺も最後の一切れを口にする。
卵白部分は鶏卵と変わらないが、卵黄は少し独特の癖がある。旨みが濃いというか僅かに酸味があると言うか、とにかく微妙に鶏卵とは違う味がする。
これが製菓をする上で邪魔になるかは試してみないと判らないが、アベルが捕まえた親鳥は雌だったので折角の有精卵ということもあり抱卵してくれることを期待する。上手くすると養殖することが出来るようになるかも知れない。
アベルが作った飼育用ケージに鶉もどきの巣を戻すと、水の入った器と油梨を遠心分離した際の残りかすを餌箱に入れる。未だ意識が戻らない親鳥を中に寝かせるとケージを閉じて閂を閉めた。
本来鶉は小さい鳥であり、可食部を少しでも多くするため『つぼ抜き』と呼ばれる手法で、可能な限り身を傷つけないで内臓と骨を抜き取って精肉する。
異世界の鶉もどきは鶏よりも大きいのだが、ウィルマが鮮やかな手並みで内臓と骨を抜き取ってくれているため、丸どり状態を活かした料理をすることにした。
ウィルマはいつもの通り狩りで得た獲物から赤紫色の心臓を取り出すとスカーレットに与えていたのだが、あれは何かの儀式なのだろうか? いずれ機会があれば聞いてみたい。
◇◆◇◆◇◆◇◆
早速丸どりを使った料理を開始する。調理方法は単純極まりない丸焼きだ。手早く食べられるようにするため、『カローン』の厨房で調理を実施している。
作業に入る前にオーブンを予熱し、その間に丸どりを良く洗って塩とカレーパウダーを外側と内側に満遍なく擦り込む。そのまま焼くのでは芸がないため、腹に詰め物をすることにし、レトルトの赤飯を取り出すと腹に詰め、尻と首の部分を楊枝で止める。
作りたてのアボカドオイルを全体に塗り込み、小麦粉をはたく。耐熱皿にクッキングシートを敷いてアルミホイルで包んだ丸どりを載せ、余熱しておいたオーブンでじっくりと焼き上げる。
一時間かけてじっくり火を通したあと、一度取り出してアルミホイルを剥がし、オーブンの温度を上げると再び焼き色を付けるため再投入する。
こんがりと焼き色が付き、油がしたたるようになれば頃合いだ。オーブンから取り出して爪楊枝を外し、大皿に盛り付けるとナイフとフォークを添えて鶉もどきの詰め物焼きカレー風味の完成だ。
アベルとウィルマをPDAの通信で呼び、『カローン』内に居たハルさんとサテラを招いて昼ごはんにする。ヴィクトルとカルロスは別行動を取っており、夕方まで戻ってこないためこのメンバーで食事をすることにした。
全員が食卓に揃うとアベルとウィルマが代表して丸どりを切り分ける。ハルさんが焼いてくれたパンと大量に備蓄してあったコールスローサラダを付けると昼食が始まった。
アベルが豪快に肉にかぶり付いているのを見ながら、サテラのためにもも肉をそぎ切りにしてやりコールスローサラダと合わせてパンにはさんでやる。
俺が差し出したサンドイッチを頬張り、もぐもぐと咀嚼していたがぱっと表情が華やいだ。
「シュウちゃん! これ美味しい!!」
「そうかそうか、こっちの詰め物も美味しいんだぞ?」
そう言って腹に詰めてあった赤飯を取り出し、肉汁を吸ってつやつやと照り返すそれを皿に盛ってやる。
エルフのような外見をしているというのに器用に箸を操ってサテラは赤飯を頬張る。丸どりの旨味とカレー風味が付いた赤飯は非常に美味であったらしい。口いっぱいに詰め込んだまま腕をぶんぶんと振って美味しさを伝えようとしている。
ハルさんは赤飯を食べるの自体が初体験だったようで、独特のもちもちした食感に感激していた。アベルは詰め物に目もくれず、ひたすらに肉を食っている。ウィルマがバランスよく全てを食べているのと対照的であった。
俺も手羽元の肉を取って齧り付く。地球の鶏肉とは違い、脂が少ないのかサッパリしているが風味が濃厚であり、カレースパイスがピリリと味を引き締めて実に美味い。
マヨネーズの酸味とまろやかさを持つコールスローサラダと共にパンにはさむと極上のサンドイッチとなった。
鶉もどきの養殖は三妖精のどこに委託しようかと考えながら、穏やかな昼食の時間は過ぎていった。
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