第95話 魔術師
食事の後に『
俺は『
中学校からずっと勉強し続け、大学を卒業して初めてビジネス英会話が出来る程度の俺とは根本的に頭の出来が違うのだろう。彼女が作った辞書は既にかなりの厚みになりつつある。
『魔術師』が一体何歳であり、西暦何年ぐらいにこの世界へと渡ったのかが判然としない。そのため中世ヨーロッパに於いて広く飲まれていたであろうワインをお土産に携えてきていた。
交易集落の住居と異なり、森都の住居には木製のドアが据え付けられていた。蝶番などは交易で仕入れているのだろうか? そんな事を考えながらノッカーを鳴らして来訪を告げる。
すぐに応えがあり、『魔術師』が出迎えてくれた。ワインのボトルとグラスをお土産に渡すと彼は相好を崩して喜び、俺たちを家に招き入れてくれた。
テーブルに着くと丸太を加工して作られた椅子に腰かける。彼は俺たちに山妖精たちのところでも飲んだ甘茶蔓茶のようなお茶を出してくれたが、ワインが気になって仕方がないようなので、俺たちを気にせず飲んでくれと言うと恥じらいつつも封を切った。
ワイングラスに深みのあるルビー色の液体が注がれる。彼はそれを陶然とした面持ちで眺め、香りを楽しんだ後に口を付けた。
「これが故郷のワインか…… 遥か昔の記憶に残る味よりも鮮烈で、一口飲むたびに思い出すことも無かった昔が蘇るようだ」
これを皮切りに俺たちは実に様々な事を『魔術師』から聞き出した。アルコール飲料を久々に口にしたという彼が酔いつぶれて寝てしまったために、テーブルに突っ伏して眠る彼に毛布を掛けてお暇することにした。
彼との会談で判明したことを纏めると次の通りになる。
彼自身が自分の年齢を把握しておらず、覚えている出来事などを聞く限りでは15世紀ぐらいのイタリア人だったのだろうと言う事が判った。
当時流行っていた錬金術に傾倒し、人造生命を研究していたところで意識を失い、気が付けばこちらの世界に放り出されていたと言う。最初に居た場所が沿岸部で飲み水も無く、渇きから海水を飲んで死にかけているところを水妖精の女性に助けられたらしい。
言葉は理解できなかったが、飲み水と食料を与えてくれた彼女に感謝し、海岸に掘っ立て小屋を建てて住み付き、陸地で採取できる品物と海産物を交換して貰いつつ徐々に言葉やこの世界に付いて教えて貰ったと言っていた。
彼女をはじめとした水妖精達と交流を持つようになり、ここが自分の居た世界ではないと気づき、自分と同じような仲間はいないのか、地球に戻る手段はないものかと模索し始めた。
その際に水妖精達が用いる神秘の術を知り、自分でも何か出来ないかと試行錯誤した末に編み出したのが『魔術』であり、その時から『魔術師』を名乗るようになったのだそうだ。
本来の名前よりも一音節の短い『魔術師』の方を水妖精達が好んだというのもあるらしい。『魔術』の腕を磨き、火を熾し飲み水を得られるようになると地球へと戻るべく旅に出た。
旅の途中に地妖精と出会い、『魔術』や地球の文化を伝え、代わりにこの世界の成り立ちや自分のような来訪者が他に居ないかを調べて回ったが、地妖精達の知識には限界があった。
より多くの情報を求め、最も長寿である森妖精を訪ねることとし、山妖精たちを経由してここに辿り着いたのだそうだ。そしてグローディス様から古の伝承や、世界の支配者たる龍について聞き及び、妖精族を越える知性を持つという龍へと行きついた。
龍は『魔術師』が編み出した『魔術』を高く評価し、それを広めて回ることを条件に老齢に差し掛かりつつあった『魔術師』を森妖精へと転じさせた。
そしてこの世界には時折、他所の世界から招かれる生物が現れ、その殆どは大陸に出現する事。龍が守護する神域の島に人間が現れたのは初めてであったことを語った。
『魔術師』は地球への帰還を希望したが、龍には地球が何処に存在するのか判らないため帰還することが叶わなかった。その代わりにと大陸に住む人間たちのコミュニティへと送り届けて貰い、そこで原始的な生活をしていた人々と手を取り合って生活をし始めたのだ。
最初は人口も少なく、皆が手を取り合って少しずつ生活圏を広げていったらしい。『魔術師』も龍との約束通り『魔術』を広め、それを足掛かりに自然を克服し、人類の版図を広げていった。
二百年ほどで人口は5千人を越え、城壁を持つ都市へと成長していた。数々の苦難を乗り越え、『魔術』の伝道師でもあった『魔術師』は皆から敬われた。このまま大陸で人類と寄り添って暮らそうと思う程には満ち足りた生活だったらしい。
しかし人類と『魔術師』の蜜月は終わりを告げる。国家という規模にまで増えた人類は支配者と被支配者という階級社会を生み出し、労働を免除された支配者層が増長するのにそれほど時を必要としなかった。
いつの間にか王や諸侯を名乗るようになった支配者層にとって、遥か悠久の時を代わらぬ姿のまま過ごし、『魔術』の祖として誰からも敬われる『魔術師』が邪魔になったのだ。
『魔術師』は当時、王族の相談役といった地位にあったのだが、無実の罪を着せられて王都を追われた。
それでも己と一緒に理想を語った仲間たちの子孫を見捨てられず、辺境に落ち延びて貴族以外が学ぶことを禁じられた『魔術』を使って人々を助ける代わりに糧を得る隠遁者生活を送るようになった。
しかし中央の追手は執拗を極めた。何処に逃げても見つけ出され、共生していた村を何度か追われた。そして王たちは強硬手段に出た。
『魔術師』が関わった村を禁忌を犯し『魔術』を学んだとして皆殺しにし始めた。2つの村が焼かれるのを見て、失意から自暴自棄となり人里を捨てて山奥に籠った。
完全に外界との関りを断ち、一人で暮らしていると龍が現れ、望むのであれば神域の島へ戻してやると言われ、全てを捨てて戻ってきたという事だった。
地球の時間に換算すると五百年以上もの人生は波乱と悲哀、絶望に満ちていた。一方で我々の目的である地球への帰還については、龍がカギを握っていそうだという事が判った。
何故なら『魔術師』と龍の会話を裏返せば、地球が何処にあるか判れば龍たちならば送還することが出来るかも知れないからだ。そして俺には地球とつながった『マクスウェル』がある。
龍ならば『マクスウェル』の存在を足掛かりに、地球へと戻る手立てを見つけ出せるかも知れない。その代償として何を要求されるかは判らないが、少なくとも龍たちと会う事が先決だ。
『魔術師』との会談で得られた情報をまとめ、チームで共有してから今後の予定を策定する必要があるだろう。自然と足早になる歩調を抑え、ハルさんと並んで仮宿へと向かった。
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