第70話 ロックバイター

 『虎に翼』ということわざをご存知だろうか? これはただでさえ強い虎に翼を与えれば手が付けられないことから、元より強いものに更に力を与えることを指す言葉である。似たことわざに『鬼に金棒』等がある。

 唐突にことわざ解説をしているのには理由がある。俺自身が今その脅威を感じている最中であり、現実逃避の一環でもある。


「シュウ! 対象との距離は開いたか?」

「ダメだ、アベル! 依然として猛烈な速度で追跡されている。相対距離はえーと……22ヤード(約20メートル)ぐらい」


 くそっ! なんでアメリカは未だにヤードポンド法なんか使っているんだ。身体尺に起因するヤードポンド法は日本人である俺にはピンとこない上に、いちいち換算するのが非常に面倒だ。

 国際単位はMKS単位系を採用しているというのに、アメリカとイギリスは頑なにヤードポンド法に固執している。

 前時代的で不便だと思うのだが、俺以外は全員がアメリカ系であるためメートル法の俺がマイノリティという悲しい現状がある。


 ドクのように単位系ごとの換算表が脳内に入っており、瞬時に計算できるため不便がないという変人じゃないため、PDAに自作の換算アプリを入れて使っている。

 20桁同士の乗除算を瞬時に暗算できる奴は既に人類じゃないとさえ思う。電卓万歳! ソロバンなんてスケート代わりにしかならない!


 良い加減現実を見ることにしよう。後ろを振り返ると巨大な岩石でできた球体がこちらを圧し潰さんと転がっている。

 恐ろしいことにこいつは生物であり、進路を変えようが坂道を上ろうが、凄まじいスピードで猛追してくる。

 いざとなれば瞬間移動で逃走できるのだが、『カローン』の転移予定地を発見できない状態で戻っても、探索が振り出しに戻ってしまう。

 砂漠仕様の『HONDA CRF450』は山中ではかえって目立つのだが贅沢は言っていられない。こいつの脚が俺たちの運命を握っている。


 この化け物に追いかけられるきっかけは、30分前に遡る。『カローン』を転移可能な地点を探してアベルと共にバイクで偵察に出ていたのだが、比較的通行が容易な獣道を進んでいると巨大な岩塊に遭遇した。

 獣道を完全に塞ぐ不自然な球体を訝しく思い、バイクから降りてアベルと調査をしていると、俺の目の前で岩に亀裂が走り一部が剥離した。

 持ち上がった岩塊の一部は視認さえ困難な速度で俺に振り下ろされた。通常であれば俺は肉片と成り果てているのだが、『ラプラス』の加護がある俺は影響範囲内から自動的に退避していた。

 離れた場所から見たそれは、アルマジロのように丸まった熊のような生物で、己の一撃が回避されたことを知ると凄まじい咆哮を放ち襲い掛かってきた。

 鼓膜を破らんばかりの咆哮に体が硬直し、動けなくなったが横からアベルの太い腕が伸びてきて、俺を引っ掴むとバイクに放り投げ逃走を開始して今に至る。


 ただでさえ強い熊に強靭な装甲と、短い四肢をカバーする転がり移動という高速移動手段を与えた、異世界の創造神を呪うが状況は一向に好転しない。

 直径5メートルはあろうかと言う巨体であるため、適当に狙いをつけて銃撃するだけでも簡単にヒットするのだが、9ミリ弾では装甲に火花を散らすのが精いっぱいである。


「シュウ! そんな豆鉄砲は撃つだけ無駄だ、銃声に怯まないなら意味がない。なんでも良いから重量物をぶつけろ」

「さっきから探してはいるんだが、生木ばっかりで倒木もないんだよ。生えている状態の樹木は、瞬間移動できないんだ。手ごろな岩でもあれば…… あ! あれがあった」


 とっさに腰のポーチを探り、中から7.62ミリ弾の弾頭を取り出す。10個しかないため失敗は許されない。

 中心に一個、周囲を8個の弾頭で取り囲み、ワイヤーで軽く固定する。一塊となったそれを掌に載せてゴーグルの機能を使ってプロパティを設定していく。


「アベル! 対抗手段が出来た、3秒で良いからまっすぐ直線で走れる場所を見つけてくれ、あの化け物を最低でも止めて見せる」

「判った、シュウ。お前は落ちないようにしていろ、タイミングはPDA経由で知らせる」


 そう言うとバイクを更に加速させる、間もなく開けた場所が見えたのかPDAから通知音がする。

 『ラプラス』にコマンドを送り、フォローの準備をして射撃する。


 轟音、爆音、破砕音が立て続けに響いた。岩山に炸裂する落雷のような凄絶な鳴動の後、背後の視界に映ったのは凄惨な光景であった。

 背後から猛追されているため、5メートルも直進すれば良いと通常の4倍以上に加速した弾丸は、巨大な岩塊と化した化け物の装甲はおろか分厚く強靭であったであろう筋肉組織や骨格をも抉り取り、赤黒くてらてらと鈍く光を反射する内臓を露出させた。

 運動エネルギーは質量に比例するが、速度には二乗で比例する。9倍の質量を4倍の速度でぶつけたため、総エネルギー量は140倍にも達する。そこまでやっても致命傷を負わせられない化け物に恐怖する。

 しかし俺の攻撃はここでは終わらない。凄まじい衝撃で動きが止まった化け物に、致命の一撃が飛ぶ。大きく露出した内臓目がけて最後の弾丸が撃ち込まれる。

 直前に『ラプラス』に指定しておいた追撃だ。外気に触れることすらなかった脆弱な内臓は、単3電池程のちっぽけな弾丸により凄まじい範囲を吹き飛ばされた。


 断末魔の咆哮が山中に木霊する。長く尾を引く絶叫は次第に掠れ呆気なく途絶えた。巨大な球体が展開し、地響きを立てて広がった。


 しかし全力走行中のバイクがすぐに停車できるわけもなく、かなり通り過ぎてから戻ってきた。

 前と変わらずそこに居た化け物は大の字じゃないな…… 変な話だが目の字が一番近い状態で横たわっていた。

 ここまで獰猛で強靭な生き物が死んだふりをするような小賢しい習性を持っているとは思わないが、念のため能力で動かしてみる。

 拒絶されることなく体が持ち上がったので、死んでいるのは確かなようだ。背中側に強固な外殻を持っているためか、腹側は柔らかかったのだろう、とどめの一撃によって大穴が開いていた。

 高速弾による銃創の特徴が如実に現れていた。射入口は親指程度の大きさだが、射出口は直径50センチもあろうかと言う大穴になっていた。

 4倍速でぶち込んだため、音速の10倍にも達する弾丸は内臓を衝撃波でかき回し、液状化した内臓と共に腹をぶち破って出て行ったようだ。

 ホッキョクグマがチワワに見えるほどの巨体だと言うのに、腹腔内の大部分が空っぽになってしまっている。消化管か腸に相当する器官に岩が詰まっていたことから、この化け物を岩石喰らいロックバイターと名付けた。

 吹き飛んだ外殻が内臓に食い込んだだけかもしれないし、鳥類の砂肝よろしく消化の助けにしていただけかもしれないが、生物学者でもないので容赦してほしい。


「一体何だったんだ、この化け物は。幸い目標ポイントは発見できた。シュウ、こいつの死骸も転送して貰えるか?」

「それは構わないが、これを一体どうするんだ? まさか食べるのか? 肉食獣はそんなに美味くないって聞くよ?」

「そうじゃない。強い捕食者の臭いを放つ死骸があれば、弱い動物は近寄って来ない。簡易的な嫌忌剤としての効果を期待しているんだ」

「なるほど、意外にアベルは物知りだな。ドクがゴリラと連呼するからマッチョのイメージが定着してしまっていたよ」

「お褒め頂き光栄だ。脳みそまで筋肉では部隊指揮など覚束ないからな、まあドクと比較すれば筋肉志向なのは否めない」

「まあドクは、頭脳に全能力を振り分けているから仕方ないさ。彼に比べたら俺だって脳筋野郎になってしまう」



◇◆◇◆◇◆◇◆



 紆余曲折あったが『カローン』を隊商が休憩したという開けた泉の側に転移させ、ロックバイターの死骸を検分していた。

 よくよく確認してみると岩石の外殻は皮膚を覆う鱗状の装甲に貼り付いているだけだった。

 鱗状の装甲にモルタルのような物を塗り付け、その状態で溶岩にでも転がり込み、直後に水にでも飛び込めばこうなるんじゃないだろうか?

 岩石の内側にある装甲は硬い装甲板と、柔らかい皮革が交互に配置されており、蛇腹状に曲げ伸ばしできる構造となっていた。

 ますますアルマジロそっくりだが、装甲の内側でさえ剛毛を纏った熊そのものである。どれほど恐ろしい外敵が居れば、こんな防御力過剰な進化を遂げるのか謎は深まるばかりである。


 ライト片手に腹腔内に入り込み、中を探ってみると大玉スイカほどもある魔核が存在していた。紫色に怪しく光る魔核は美しかったが、高値で売れる品物でもあるため、慎重にナイフで周囲から切り離し保管することにした。

 苦労して仕留めたのに戦利品が魔核だけというのも惜しいので、未消化の内容物やら内臓の汁やら尿やら糞やらで汚染された腹腔周辺はごっそりと切り捨て、比較的柔らかい部位の肉を焼いてみた。

 焼いている時から妙な臭いがしていたのだが、口に入れるとはっきりと異臭がして純粋に不味い。

 部位が悪いのかとあちこち刻んでみたのだが、背中の一次装甲直下の肉以外は食えた物ではなかった。


 唯一味が良い背ロース相当の肉だが、硬いのだ。発達した筋繊維が縒り合わさって噛み切ることが出来ない。

 こんなに大量にあるのに食えないのは悔しいので、思いつく限りあれこれと試してみたところ、一度蒸してから油で揚げると美味しい事が判明した。

 やっと見つけた美味い部位だが、俺の攻撃で爆散しており、食用に適した肉は10キロほどにとどまった。

 3トンはあろうかと言う巨体から可食部位が10キロでは割に合わないこと甚だしい。

 とは言え通常食材に加えて魔力食材として蟻肉も買い込んでいる。美味しくない部位は自然に返って貰うことにした。

 それ以外では前肢の爪が異常に硬く、金属質な光沢を持っていたため指ごと切り落として10本だけ頂いた。


 そもそも山妖精が使用している交易路に、半ば折れかかった巨木が倒れ込み、バイクを通行不能にしていたのが問題だ。

 面倒がらずに伐採して撤去しておけば、こんな化け物に遭遇することもなかったのだ。急がば回れ、先人の言葉には含蓄があるのだと思い知った。

 交易路を僅かに逸れて山道に入っただけでこの始末である。我々が今滞在している泉の畔以外には『アルフガルド』まで『カローン』を停車できるような広い場所は無いらしい。

 相変わらず日は落ちないが、時間的には夜に差し掛かろうとしている。夜間行軍して良い事などないため、今晩はここで一泊することとなる。

 明日の偵察任務では運転手が変更になるが、俺は安全装置として必ず同行する必要があるため、少し憂鬱な気分となる。

 ヴィクトルとの偵察が無事に済むことを、割と最近呪った異世界の神に祈った。

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