第46話 新年

 アーリントン国立墓地。バージニア州はアーリントンに存在する、巨大な慰霊施設である。

 ワシントンD.C.からもほど近くに存在する、総面積600エーカーを越える墓地の片隅に、真新しい墓石が存在していた。

 新年早々のしかも早朝にここを訪れる人は少ない。早朝特有の澄んだ空気の中、花束と白い紙袋をぶら下げたスーツ姿の男が佇んでいた。


「来るのが遅くなってすまないな。アビー、クロエ、そしてシンタロウ。シン、お前と同じ日本人の同僚に頼んで、お前の好きだった清酒とスルメを買ってきてもらった。生きている間には叶わなかったが、せめて一杯やろう」


 男は娘が好んだ蝋梅を飾り、孫娘が愛したカトレアを正面に供えると、スーツに朝露が付着し、濡れるのにも頓着せずに、地面に胡坐をかいて座り込んだ。紙袋から日本酒を取り出し、口を切ると墓前にスルメと盃を置き、なみなみと酒を注いだ。

 アッシュブロンドの髪をオールバックで固め、自慢であった口髭を綺麗に剃り落としたカルロスだ。妻には早くに先立たれ、娘と娘婿、孫娘だけが彼の全てであった。

 何かを堪えるように天を仰ぎ、2つ並んだ盃の片方を持ち、一息に呷る。切れ味鋭い辛口の強い酒精が喉をく。手元を狂わせるアルコールを好まなかったカルロスは、義息子と酒を酌み交わす事がついぞなかったのだ。


「お前たちを冷たい土の下に送り込んだ元凶の片割れは、私がこの手で地獄に送ってやった。私は復讐を禁じた信仰を捨てたから、お前たちと同じ天国には行けないが、必ずお前たちの無念を晴らしてみせる」


 娘が生まれた日のことは、昨日のことのように思い出せる。世界が輝いて見えた、『父の喜び』と言う意味のヘブライ語を語源に持つアビゲイルと名付け、目に入れても痛くない程に可愛がった。

 妻に先立たれてからは一層大切にした。そんな愛娘が東洋人のパートナーを連れてきた時は、天地が崩壊したのかとさえ思ったほどだった。

 アメリカ人であっても許し難いと言うのに、よりにもよって外国人だ。娘が苦労するなど耐えがたかった、しかし娘は反対を押し切って結婚し、孫娘のクロエが生まれた。

 ギリシャ神話に登場する豊穣の女神デメテルの通称であり、花盛りという意味を持ち、しかも日本でも黒江として通用する名前を付けた。


 娘の結婚以来、距離を置いていたカルロスだったが。孫娘の誕生をきっかけに、週に一度は顔を出すようにしていた。

 娘婿は相変わらず気に食わなかったが、絵に描いたような幸せな家庭がそこにはあった。

 カルロスにとっては生きる意味の全てであった家族は、一夜にして全て奪われた。


 週末の深夜、寝静まった閑静な住宅を三人の男が襲った。男たちは襲撃に気付いたカルロスの大腿部を銃撃し、倒れたところに何らかの薬剤を注射した。

 恐らくは筋弛緩剤の一種だったのであろう、意識はあるが指一本動かせなくなった彼を放置し、彼の愛する家族に手をかけた。

 娘と妻を守るため、最後まで激しく抵抗した娘婿は致命傷を負わされ、妻と娘を連れ去る犯人に「こうなったのはお前の父親のせいだ、恨むなら父親を恨め」と言われたが、「お義父さんに恥ずべきところは一つもない、恥ずべきは己の弱さ、愚劣さを他人に責任転嫁するお前たちだ!」と面罵して射殺された。


 犯人たちは動けぬカルロスを止血すらせずに椅子に縛り付け、散々に暴行した後にアビーをクロエの目の前でレイプした。レイプしながらアビーを絞殺し、その魔の手を幼いクロエに伸ばそうとしたところに銃弾が飛び込んだ。

 レイプ犯の頭は大口径の銃弾を受けて爆散したが、最期の置き土産にクロエの首をへし折った。実行犯のうち、見張りをしていた男も射殺されたが、カルロスが目を瞑らぬように瞼を開かせ、拷問を指示していた男だけは逃げおおせた。

 カルロス自身も出血多量と、過酷な暴行による骨折で命を失う寸前だったが、逃げた犯人に復讐をする一心で生にしがみついた。


「私が復讐されるのは構わない。私は私の信じる正義のために命を奪ってきた。だが、アビーもシンも善良な一般人だった! クロエに至っては14歳だ! あんな悲惨な目に遭わされる謂れはない!」


 カルロスは生まれた時より信仰していた教えにすがり、心情を吐露して救いを求めた。

 しかし幼い頃より己を導いてくれた、教区の神父は彼に救いをもたらさなかった。あまつさえ相手を赦し、復讐を思いとどまるように言い聞かせた。


「復讐は何も生まないだと! 俺は奴が生きている限り、地獄ここから一歩も進めない!」


 こうして彼は信仰を捨てた。コネも金も、己の培った全てを投じて寿命を買い、襲撃の切っ掛けを作った元上官に復讐した。

 それでも彼は救われなかった。元上官は最期まで謝罪も反省もしなかった。ただただ己の不幸を嘆き、不満を叫び、不当な差別の被害者だと言い続けた。

 何の罪もない孫娘が殺されたことを告げても、心底不思議そうな顔で「それがどうした? 俺とは何の関係もない事だ。お前が招いた不幸だ」と言い放った。

 こいつは人間じゃない、こいつに比べたら蟲の方が人間に近いと絶望したカルロスは、最後の止めを刺す権利だけを貰い、元上官の身柄を米軍の懲罰部隊に引き渡した。


 再びカルロスの前に現れたキム元大尉は、四肢を失い、目も鼻も潰された芋虫のような状態であった。己のしでかした事を反省し、犠牲者に心から謝罪するのなら楽に殺してやると告げたが、返ってきたのは罵倒に嘆き、脅迫に哀願だけであった。

 最終的にカルロスはこの芋虫に20数発の鉛弾を叩き込み、可能な限り苦痛を与えたあとに引導を渡した。しかし、彼の心は少しも晴れることはなかった。

 結局神父は正しかった訳だが、もう彼には止まるという選択肢は残されていなかった。実行犯最後の一人は今も見つかっていない。朝鮮系中国人という奴のプロフィールを見た時、朝鮮民族、中国人に対する意識は決定的なものとなった。


「私がお前たちにしてやれるのは、復讐これだけだ。優しいお前たちは望まないかもしれない、だが私には赦すことができない。必ず奴を見つけ出し、地獄に叩き落してやる」


 そう言うと立ち上がり、墓石に清酒を回しかけると、自分の盃だけを懐にしまい無言で立ち去った。



◇◆◇◆◇◆◇◆



 同刻アーリントン墓地内にある『無名戦士の墓』前にアベルは佇んで拳を胸に当て、黙祷していた。

 ここにはかつての彼の部下たちが祀られていた。体格に恵まれ度胸や運もあったのだろう、アベルはデルタフォースでいくつもの特殊任務に従事していた。

 いかなる困難な任務からも生還することから復活者リバイバーと呼ばれ、また部下の未帰還率が高い事から死神リーパーとも揶揄された。


 アベルは持参したラム酒とタバコ、花束を供えると、愛用のクロマチックハーモニカを取り出し静かに奏で始めた。

 彼は部下の死について一切の言い訳をしなかった。指揮を執ったのは自分であり、損耗は全て己の責任であるとした。

 実際には達成困難な任務を彼ならば成し遂げてくれると、信じた部下から託された命のバトンを繋いだ結果、任務を達成し生還したのだ。


 彼はそれについて何も語らない。毎年新年にここを訪れ、部下の好きだった物を供えて、静かにジャズを奏でるのみ。



◇◆◇◆◇◆◇◆



「まさか…… ここまで範囲が収束できるなんて…… ドク! これは画期的ですよ!」


「そ、そうか? でもまだこんなもんじゃないぜ? 限定的にだが空間を折り畳んで爆圧を一点に集めたシミュレーション結果がこれだ!」


 そう言ってドクことグレッグが、自慢の量子コンピュータ『G―Ⅱ』を操作する。モニター上で物理演算を施されたクレムリン大宮殿が音を立てて崩壊していく。

 従来型の爆弾で同じ個所を爆破した場合のシミュレーション結果は、4割程度の崩壊で止まっている。


「どうよ! これが俺とシュウが全能力を振るえば、理論上作成可能な新型爆弾の破壊力だ。爆圧を僅か5平方センチメートルに収束させる事で、従来の爆薬を使っても10倍の威力を実現できる!

 新型炸薬を使ったら100倍に達するぞ! 設置もシュウさえいればノーリスクで可能だ!」


「素晴らしい! 実に素晴らしいですよドク! このサイズ、この収束範囲、そしてこの威力! これが充分な数揃えば、国防省ペンタゴンすら消し飛ばせる!」


「おいおい、ヴィクトル。国防省はやめろ! 俺様の『G―Ⅰ』が稼働してるんだ。取り上げられたとは言え、最初のマシンには思い入れがあるんだよ」


「じゃあ、ホワイトハウスで計算しましょうか。HAHAHA! 見てください! まるでミルフィーユだ、クシャっと潰れましたよ! HAHAHAHAHA!」


「こりゃいいや! 他に潰してみたい構造物はあるか? 世界一高い『バージ・カリファ』とかどうだ?」


「縦に潰せたら面白いですが、それよりもガウディですね! サクラダ・ファミリアでシミュレートしましょう! 完成前に更地にしてやるのです!」


 新年早々から『カローン』に引きこもり、お互いの興味ある分野で盛り上がる、立派なオタクがそこには居た。



◇◆◇◆◇◆◇◆



「ハルさん、ありましたよ! 多分これが住職の仰っていたお墓だと思います」


「ありがとうございます、シュウ先輩。私は周りを綺麗に整えますので、シュウ先輩は水を汲んできて貰えますか?」


「お安い御用ですよ。そして線香立てとお線香、桶と柄杓、蝋燭とマッチまで完備してあります」


 シュウは妙に嬉しそうにそう言うと、紙袋から次から次へと物を取り出し、桶を持って水場に向かっていった。

 墓参りする者が絶え、雑草が茂った墓石の周りを丁寧に掃除する。

 ここは日本、新潟県のとあるお寺が管理する墓地である。ここにハルの母と母方の親族一同が眠っている。


 ハルの両親は父がアメリカ人、母が日本人で、日本で出会いアメリカで結婚した。結婚を反対されたために、駆け落ち同然にアメリカへ渡ったのだ。

 ハルの父は孤児であり、天涯孤独の身ながら大学まで出て、軍関係の技術者として働いていた。しかし、保守的な日本の田舎に住む、母方の親族はこの結婚を良しとしなかった。

 何度も実家に足を運び、結婚の許しを請うたが、母方の親族は頑として首を縦には振らなかった。


 若い二人は周囲の説得を諦め、アメリカに渡り結婚した。そして待望のハルが生まれた。仕事も順調、ハルも来年には小学校に入学するという時にその事件は起こった。

 イスラム原理主義者による大規模テロが発生し、偶然現場に居合わせた両親が巻き込まれて亡くなった。

 ハルは両親を失い、一人きりとなってしまった。娘の訃報を聞いた母方の親族は、娘の遺品だけを引き取ると、ハルを見捨ててアメリカを去った。


 自分たちの忠告を聞かず、勝手にアメリカに渡り命を落とした娘。全ての不幸の元凶は、アメリカにあると母方の親族は考えた。

 ハルは戦災孤児として孤児院に入れられた。そこでは同じくテロで両親を失った様々な言葉を話す子供が集められていた。

 幼い頃から多言語が飛び交う環境で育ち、言語理解に優れた適性を示したハルは、組織に拾い上げられ現在に至っている。


「ハルさん、水を汲んできましたよ。あ、俺もお墓掃除を手伝います。昨日は散々ご迷惑おかけしたので、せめてこれぐらいは手伝わせて下さい」


「ありがとうございます、シュウ先輩。ここはほぼ終わったので、後ろの方をお願いします」


 ハルが通訳や交渉人ネゴシエーターとして頭角を現しはじめたころ、母方の親族が災害で亡くなったと耳にした。

 折からの大雨で土砂崩れを起こし、山際の集落が丸ごと一つ土砂に飲まれた。こうしてハルは本当に天涯孤独となってしまった。

 日本への渡航経験も無く、土地勘も無い、頼る人も居なかったハルは仕事に没頭することで、一連のことを頭から追い出した。


 この墓が建てられてから3年が経過し、本来の住職も亡くなった。現在は隣村の住職が、代わりの住職が見つかるまで代行している状態だ。

 訪れる者の居ない墓は、恐ろしい早さで自然に返る。ここもそうした墓だった。本来訪れるつもりも無かったが、昨日シュウと共にシュウの実家に赴き、親心に触れ、ふと思い立って墓参りを希望したのだ。


「いやあ、見違える程に綺麗になりましたね。運動不足だったから良い汗をかきましたよ」


 シュウがおっさんくさい仕草で腰を伸ばし、話しかけてくる。


「お疲れ様です、シュウ先輩。本当にありがとうございます、少し母に挨拶をしますので、申し訳ないのですが暫く待っていて下さい」


 そう言うと墓の前にしゃがみ込み、肌身離さず持っていた両親の写真を置いて、手を合わせる。

 ふと気配を感じて横を見ると、シュウが並んでしゃがみ、手を合わせてくれていた。


(お母さん、ずっと来られなくてごめんなさい。お父さんの遺品は見つからなくて、この写真が唯一のもの。お母さん一人じゃ寂しいだろうから、連れてきたの。反対していた人も居ないし、もう良いよね。

 お母さんに報告があります。気になる人が出来たんだ、隣に居るこの人。かなり歳は離れているけど優しくて大らかで、でも芯の強い人。

 見ず知らずの人のために命がけで頑張っちゃう危なっかしい人だから、放っておけないんだ。

 こんなに大きな体をしているのに子供みたいなところがあって、ご飯を作ってあげるだけで凄く喜んでくれるんだ。

 この気持ちが恋かは判らないけど、私の作る料理を美味しいと言ってくれる、この人の傍に居たいと思う。

 お父さんとお母さんみたいな、素敵な関係になれたら良いなって思っているよ。また来年もその次も、この人と一緒にここに来られるよう頑張るよ。

 またね、お母さん、お父さん。おじいちゃん達もお父さんを、そろそろ許してあげて下さい。また来年来ますね)


「シュウ先輩、おまたせしました。それじゃあ帰りましょうか」


「もう良いんですか? うーん、昼ごはんには半端な時間ですね、どうします? どこか行きたい場所とかありますか?」


「そうですね、今日は妹さんも帰って来られるんでしょう? シュウ先輩のお宅に帰りませんか?」


「うげっ…… そうだった…… でもハルさん、俺の家だと嫁だなんだと、変な事言われて気が休まらないでしょう?」


「良いご両親じゃないですか、私は見ての通り両親を亡くしましたので、娘のように扱って下さるお二人の温かさが嬉しいんです」


「まあ、そうおっしゃるなら…… でも嫌な事はちゃんと嫌って言わないとダメですよ? 勝手に嫁にされちゃいますからね? ハルさんは可愛いんだからもっと自分を大事にしないと」


「大丈夫です、はちゃんと言いますから。それじゃあ帰りましょうか、ご両親の待つ家に」


 二人はゴミを片付け、荷物を持つと寂れた墓を後にした。お墓の片隅に固定された写真立てが、立ち去る二人を見送っていた。

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