第36話 脱落
マーサズ・ヴィニヤード島。アメリカ合衆国マサチューセッツ州はデュークス郡に属する大西洋に面した小島である。
ケープコッドの南海岸沖に浮かぶこの島を含む島々を経て、ニューヨーク州ロングアイランドまでの島群を自然学者はアウターランズと呼んだ。
富裕層の別荘地としても有名なこの島は、外界から隔離され、船舶か航空機をもってしか出入りを許されない。
しかしそんな制限を物ともしない俺は、定期便のフェリーに積載できるのか怪しい巨大な特殊車両『カローン』ごとチームを伴って乗り込んでいた。
高級別荘地の常として地価が恐ろしく高いこの島において、呆れるほどに広大な敷地を持つ邸宅に俺たちは居た。
「なんだこの馬鹿みたいな庭は! サッカーとフットボールとベースボールの大会を同時開催でもしようってのか?」
ドクが呆れるのも無理はない、瞬間移動で直接乗りつけたから判らなかったが、通常のルートで通るであろう正門は、ここからでは見ることすら叶わない。
視界を遮るものなど無い平地で見えないということは、屋敷から正門まで3キロメートル以上あると予測される。この広大な敷地に普段は6人しか生活していないという盛大なリソースの無駄遣いを思うと、最早呆れを通り越して笑いがこみ上げてくる。
「ぼやぼやするな! のんびり見物している時間はないぞ。麻酔の効果時間内に全てを終えて撤収する必要がある。各自速やかに行動しろ!」
アベルの号令で一同がそれぞれに動き始める。俺たちがアメリカ東海岸の端っこに居る理由を説明せねばなるまい。
俺たちは物見遊山でこんなところまで
発端は2日前に遡る。緊急要請が無い時はひたすらに運搬作業を繰り返す、倉庫の住人と化していた俺に通信が入った。
PDAを確認するとアベルだ。通信に付属するプライオリティコードが黄色と言うことは緊急の呼び出しだな。
「シュウ! すまない、緊急の要請だ。現在している作業の全てを中断。即時にブリーフィングルームに帰投してくれ」
了解とだけ短く答えて通信を切る。作業は折よく一段落していたので、担当者に事情を話して完了報告を省略しブリーフィングルームに向かう。
部屋に入るとチームの全員が揃っていた。毎回俺は最後になるなと思いつつ、手招きしていたハルさんの隣に腰掛ける。
「皆良く集まってくれた。今回のミッションは重要かつ機密性が高いにも関わらず人手を要するため、チーム全員で対処に当たる。
我々の組織には数多くのスポンサーが居て、その筆頭が三賢人と呼ばれる代表者になる。そして三賢人の一角であるカスパーが今回代替わりすることになった。
元々高齢であったのだが、昨日発作を起こして一度は心停止したが一命を取り留めた。そして三賢人を降りる代わりにシュウ、君の能力で若返りを仲介して欲しいとのことだ。
現状では『情報層』に関する全権を委任しなければそれが実現できないため、若返りをする人間は権力の座からは降りねばならないのが代替わりの理由だ。
彼らは良くも悪くも他人を信用しない。シュウに『情報層』を操作され、地雷を埋め込まれた可能性のある人間が権力を振るう事を、他の二人は良しとしなかった。
全ての権力基盤を譲り渡し、単なる金持ちとなった元カスパーを対象に、若返りを実施する。
発作を起こしたことからも判るように、元カスパーは既に移動できるような状態ではないため、こちらから出向く必要がある。
処置を終えればホテルで何事も無かったかのように、目が覚めてミッション終了というストーリーだ」
あの新世紀じみたモノリスの裏側に居た老人と、こんなに早く対面することになるとは思っていなかった。
まあ俺にとっては相手が誰でも同じことだ、特別敬意を払っている貴人など天皇陛下以外には居はしない、何処にでも居る日本人だからな。
ローマ法王だろうがイギリス女王だろうが合衆国大統領だろうが等しく他人だ。天皇陛下だけ別枠なのは、平和な日本人の象徴であり権力の座から退いておられるからだろう。
「緊急と言うからには、もう提供者は集まっているのですか?」
ヴィクトルがそう質問する。昨日発作を起こした死に掛けの老人をどの程度若返らせるにせよ、相当な人数の提供者が必要になる。
金に困っている若者など、この国には掃いて捨てるほどいるが、誰の糸も付いていない安全な人物となるとそう簡単には集まるまい。
「目下全力で提供者を選出している最中だ。我々は事前にホテルで飲食物に睡眠薬を仕込み、医療班を待機させ全身麻酔を施し、元カスパーの邸宅で処置をした後、元通り覚醒させるための準備及び予行演習を行う。
このミッションは失敗が許されない、万が一麻酔が切れて提供者が元カスパー邸で目覚めるようなことがあれば、残念だが彼らは明日を迎えることが出来なくなる。
予定では本番は2日後になる。提供者に振舞われる昼食で眠って貰い、夕食前には全て元通りだ。彼らは何も知らないし、金を手にした彼らはハッピー、命の危機を脱した老人もハッピーというシナリオだ」
その後も紆余曲折あったのだが、予定通り2日後の今日作戦を開始している。予行演習の際に判明していたのだが、提供者の総数は14名。つまり70歳分の若返りを行うことになる。
流石に提供者全員を一室に集めて食事中に全員が倒れ、全員がベッドで目覚めるのでは不自然すぎる。そのため契約も1人もしくは2人ずつ個室で行い、昼食はルームサービスとして提供し眠って貰った。
提供者全員は全身麻酔設備ごと『カローン』に積み込んで運んできている。
麻酔医が3時間は目覚めることは無いだろうと言っていたが、何事にも不測の事態は起こりうる。余裕をもって行動するに越したことは無い、邸宅の裏口にある物資搬入口から大型ストレッチャーに積み込まれた提供者を邸内に運び込む。
「元カスパーこと被験者Xの寝室は、1階の端に移してある。そこが限界だったようだ、ここでのタイムリミットは30分。急ぐぞ!」
アベルの案内で向かった部屋は、重厚な両開きの扉が備え付けられていた。程なく内側から扉が開き、室内が見渡せる。
呆れるほどに広い部屋だ、おそらく日本にある俺の実家程度ならすっぽり入ってしまうだろう。足が沈み込むような毛足の長い絨毯の上にストレッチャーを進めるための赤いカーペットが敷かれている。
医療設備を運び込む関係かガランとした室内の中央に彼は居た。俺では用途の判らない医療機器に繋がれ、ベッドに横たわったまま身じろぎもしない、枯れ木のようにやせ細った老人。
資料で知ったが現時点で99歳、医師の診断では2ヵ月後に控える100歳の誕生日を迎えることはないだろうと言うことだ。このままでは。
発作を起こす何年も前から彼は食事をとることも、自力で歩くことも出来ず、会話すら機器のサポートが必要な状態だったらしい。
なるほど俺に老いについて詳しく語ってくれたのは、彼の実体験なのだろうと今更ながらに納得できた。
本人は意識を保っているが、声一つ発することが出来ない。アベルが彼の主治医に確認を取ると、主治医が彼の耳元に何事か囁き、その後頷いた。
妙な話ではあるのだが、被験者Xの『情報層』に関する全権委任の契約書は、直筆のサイン以外では効力を発揮しなかった。そのためこの2日間を使い、震える文字で彼自身がしたためた書類を手渡される。
アベルが頷くのを確認して、提供者の『肉体年齢』を次々に10年分加算していく。ここで作業を中断したら、宙ぶらりんになった寿命はどうなるんだろう? 俺に適用されたら嫌だな、生まれる前に戻ってしまうなどと思っているうちに終了。
そしてベッドに力なく横たわったまま、目だけは異常にギラギラとさせ、こちらを睨みつけている老人の『肉体年齢』を操作する。時間にすればたった数秒、これでこの老人は30歳少々の肉体へと日々若返っていくことになる。
「チーフ、終わったぞ」
「よくやった、クラウン。総員撤収する、我々がここを訪れた一切の形跡を残すな。チリ一つ、髪の毛一本残すことは許さない、撤収開始!」
消毒服のようなものに着替えて待機していたドクとカルロスが痕跡を消しつつ、俺たちは提供者をストレッチャーに載せて運び出す。
ハルさんはドクお手製の怪しげな装置で、この邸宅や付近一帯の監視カメラ等に仕掛けていた欺瞞工作を解除している。
全ての提供者を運び出し、チームメンバーを回収し、自分の手と『カローン』を視界に納めてフェニックスの契約倉庫へと飛んだ。
ここからは時間の勝負だ、通常の大型輸送車に提供者を運びいれ郊外のホテルに向かう。俺はこのまま倉庫で待機し、万が一の場合は『カローン』と俺だけで『墓地(グレイブヤード)』に戻る手はずとなっている。
緊張を維持したまま、皆の帰りを待つだけの時間がゆっくりと流れる。緊急通信は入ってこないし、チーム全員の位置情報もモニタできている。
短い滞在時間だったが、あの広大な霊安室のような静謐が支配する屋敷の主を思い出す。
彼は寿命と引き換えに、人生の殆どを費やして獲得した権力を手放した。無論通常の人間が一生涯かけても稼ぐことが出来ないような資産は残されている。
権力の頂点に座し、思い通りに振舞ってきたであろう彼に、誰にも
徐々に若返ればそれに伴って野心も湧いてくるだろう。しかし、彼の復権はありえない。他ならぬ老人達が許さないからだ。あらゆる手段を以って彼を潰し排除するだろう。
それに抗する術は既に取り上げられている。俺からすれば充分以上に恵まれた人生をもう一度謳歌できるのなら、それはそれで幸せなことだと思うのだが。
独裁者が破滅するまでその座を降りないように、彼らは満足することなどないのだろう。まあ俺が心配することでもないし、したところで何が変わる訳でもない。
そうこうしていると、PDAに着信が入る。ミッションは無事完了したらしい。やっと一安心だが、まだ休むことは出来ない。
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