第24話 検査

 距離の感覚というのは環境に依存する。大学時代にオーストラリアに旅行して、マーケットまでの距離を訪ねた際に、「すぐそこ」と言われて真に受けた。

 日本人の感覚では、「すぐそこ」というのは目に見える距離、大げさに表現していたとしても10キロメートルも離れていないことが多い。

 生粋のオーストラリア人だった別荘の管理人には、別荘から150キロメートル離れたマーケットは、「すぐそこ」と言って憚らない距離感だったらしい。


 何故こんな話を唐突にしているのかと言うと、アベルの言う「ほど近く」が全く日本人の感覚からかけ離れていたからだ。

 確かにフェニックスは砂漠のど真中にある都市であり、墓地グレイブヤードから近くにあるのだろう。しかし窓一つ無い輸送車のカーゴベイに押し込まれて2時間。

 この車両がスピードを緩める気配は未だに無い。ハルさんと二人きりなら色々と会話をして暇を潰すことも出来るのだろうが、デザートカモの迷彩服を着て、アサルトライフルを抱えた仏頂面の屈強な兵士が4人同乗している。


 まあ米軍にお世話になるから米兵が同乗するのは仕方ないのだが、この4人が全く口を開かない。しかしこちらの一挙手一投足を見逃さないよう、俺のみを凝視している。

 これは暇を持て余した結果として気がついたのだが、この4人はお互いに瞬きのタイミングが重ならないよう、意識して俺を監視しているようだ。


 俺はSCP―173か…… SCPをご存知無い方のために説明すると、日本で言う都市伝説のアメリカ版だと思って頂ければ大きな間違いは無い。

 その中の173番として管理されている架空の化け物は、人の視線に晒されている間は無害な置物だが、一度視線が途切れると瞬間移動だか超高速移動だかで周囲の人間を虐殺する困った存在だ。


 軍のお偉いさんがどのような説明を兵士にしたのかは判らないが、少なくとも無害で友好的な日本人のおっさんとは思われていないようだ。

 兵士達はかみ締めた唇が変色するほどに緊張しており、俺も緊張感が伝わってきて非常に居心地が悪い。既に二時間が経過したが、この拷問はあとどれだけ続くのだろう……


 と、唐突にハルさんの持っていた携帯が着信を知らせる。車内の緊張をよそにハルさんは一言二言会話すると、すぐに通信を終了して運転席に通じる窓に向かって声を掛ける。


「病院側の受け入れ態勢が整いました。病院に向かってください」


 なんだって!? じゃあ苦痛の2時間に何の意味があったんだ! 用意が整ってから呼んでくれれば、誰も不幸にならなかっただろうと思っていると、ハルさんが申し訳なさそうに口を開く。


「ご不便を掛けてすみません。しかし拠点の場所は機密事項なのです。存在を知るのは米軍の中でも一握りの人間のみ、同乗の兵士にも正確な場所を知られる訳には行かないので、関係ない場所を長時間走りました」


 わざわざ日本語で話される内容に、なるほどと理解する。秘密組織の宿痾しゅくあだなと思いつつ、俺の能力が切望される理由を垣間見た気がする。

 今度は10分と経たずに停車し、外部から後部ハッチが開かれる。兵士の次は白衣の集団がお出迎えに現れた。


 そこからは怒涛の検査ラッシュだった。組織と米軍でどのような話が為されているのか判らないが、とにかく1秒も無駄にはしないという医師側の意気込みが感じ取れた。

 恐ろしい事に病院内には医師と看護師、技師、警備の兵士以外の人払いがされており、貸し切り状態で次から次へと検査をこなしていく。

 予め計画が立てられていたのであろう、順路まで完璧に定められており、移動しては検査、移動しては検査を延々繰り返した。


 日本でも検査した項目もすべて再検査されるようだ、レントゲンにCT、MRIとお馴染みの大型機械だけでなく、漫画やアニメで良く見る、液体で満たされた培養筒のようなものに、裸で入れと言われたときは流石に躊躇したが、言われるままに全ての検査をクリアした。


 血液検査や皮膚片、細胞片などの検体と試薬を絡めた時間のかかる検査は、結果が出るまで日数を要するが、即座に結果が判明するものだけでも米国の医師団を驚愕させるようなデータが出ているらしい。

 流石に専門用語が飛び交うため、理解できる部分だけを聞いている限りでは、日本で崇がしてくれた検査とそれほど大差のない結果しか判明していなさそうだと判る。


 X線を用いたレントゲン及びCTは、左目を中心にかなりの範囲で映像が得られず、MRIに至っては磁場すら遮断してしまう事が判明した。

 この磁気遮断という現象は超電導でもお馴染みであるため、眼球に通電するという検査まで行われたが、結果は超電導ですらなく、電力は消費されるものの、電流も電圧も抵抗すら検知できないという結果になった。


 更に硬度に至っては、ステンレスよりも硬いというのは判っていたが、ダイヤモンドでも傷一つ付かず、一切の検体を得られなかったらしい。

 後日判明したことだが肝臓に異常が出ている上に血糖値が高く、尿酸値まで高くなっており、痛風の気があるらしい…… 最近良い物食ってたからかな? それとも深夜の暴食が原因か?


 ともあれ、俺の左目については『判らない』という事が判った。哲学的な物言いだが、これはこれで意義があるらしい。

 白衣を着た医師や技師は、しきりに『暗黒物質ダークマター』と言う単語を口にする。宇宙的謎物質が俺の眼窩に収まっているのか……

 眼球自身は異常な硬度を誇り、熱に電気に磁気に光のいずれにも影響を受けないが、物理的存在ではある。眼球を強く押されると眼窩底に圧力がかかり、最悪骨折するとのことだった。


 つまり眼球で銃弾を弾き、周囲を唖然とさせるような真似は不可能だという事だ。銃弾の持つ運動エネルギーは眼球を伝い眼窩底を破壊し、無駄に硬い眼球が、俺の脳を損傷させんと大活躍してくれるそうだ。


 透視能力や物体移動などの、超能力に分類される機能については、何故か全く検査されることが無かった。

 眼圧や眼底検査も測定できず、透過系検査が全滅であることから、俺は脳出血や脳腫瘍が発生しても治療が難しいらしい。

 超能力検査をしなかったのは、軍と組織の駆け引きがあったのだろう、だが徹底して検査を拒むパーフェクトな引き篭もり眼球は、病気の早期発見をも阻む困ったちゃんらしい。

 それでなくても中年デブで持病あり、今まで以上に健康に注意を払わなければ命に係わるというのに……


 俺の目の前にある晩飯は、健康志向を鼻で嗤うカロリーの暴力であった。なるほどここはアメリカだと思わせる破壊力があった。

 まず日本ではお目にかかれないサイズの妙に分厚いピザ(しかも四角い)、これが一人分なの? と思わずに居られない1.5リットルの暗黒炭酸飲料コーラ2本。

 アメリカ人の晩飯ってこんなものなのか? 一汁一菜とは言わないけど野菜は? あ、そう言えば聞いたことがある。

 ピザにはトマトソースが使われているから、カテゴリ的には野菜だと…… あれはアメリカンジョークじゃなかったのか……

 一回の食事で、3リットルもの加糖された飲料を飲む日本人など居はしないという事を、アメリカ人は知ってほしい……


「あの、良かったら拠点まで我慢して貰えれば私が何か作りますよ? 和食がお好みですよね?」


 圧倒的な脂の暴力に慄いて手を伸ばせずにいると、見かねたのかハルさんがそう申し出てくれた。天使か!


「あいにく日本の物ほどおいしいお米ではないのですが、私自身が時々和食を食べるので食材は準備してあるんです」


「ありがとうございます!! 今まさに文化の違いで目の前が真っ暗になっていたので、全力でお言葉に甘えさせていただきます!」


「はい、今日はお味噌が無いので、お米の味も多少ごまかせる親子丼と、お澄ましで構いませんか?」


「僕は無神論者だったんですが、組織にハルさんが居ることで信仰が芽生えかけています! 神は実在した!!」


「ご飯程度で大げさですよ。それじゃあ帰りは能力を使って頂いて構わないので、病院の裏手に行きましょうか」


 ピザと飲み物を用意してくれた方には悪いが、40手前のおっさんが食べる晩飯にこれは厳しい。

 病院の看護師と思われる女性に、申し訳ないが食事は帰って食べるので、ピザは誰か他の人に食べさせてあげて欲しいと伝えて帰路に就く。


 墓地グレイブヤードの厨房で彼女に振る舞われた親子丼は、母が作るそれに似ていて不覚にも涙が出た。

 狼狽する彼女をよそにお代わりまでしてしまっていた。このお礼は何かでせねばなるまい。

 可能ならばアベルに許可を取って、日本から食材を仕入れて、俺も彼女に和食を振る舞おう。激動の初任務はこうして終わりを告げた。

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