第六話 繋がれるもの 1/3
クロスがいったい何をどうやったのか、エルデには皆目理解できなかった。
現象としてはむりやりに「龍の道」の出口……いや、「それ」は床下に出現したのだから出口というよりも落とし穴と呼んだ方がそれらしい気がした……をこじ開けたように見えた。だがエルデの知識では龍の道の出口とは作るものではなく、既に「ある」ものだ。しかし出口の向こう側にあった風景は現世(うつしよ)にしか見えなかった。
どちらにしろエルデは信じるしかない。ともかくエイル達三人と一匹は、現世(うつしよ)に戻されたのだと。
念のためにクロスに出口の位置を尋ねると、急いで開ける事が可能な候補の中では比較的安全な場所だと告げられた。
「比較的って」
「完全に安全な場所などこの世のどこにもあるまいよ」
「そやけど」
「普通なら一日昼寝をしていられるところだといえば納得してくれるかい?」
クロスの口ぶりから察する限りでは安心な場所なのだろう。
「近くにある港は、確かシドンと言ったかな」
「シドン?」
具体的に告げられた地名はエルデにとって既知の場所であった。もっともエルデにはファランドール中の地理情報が知識としてある。だから既存の地名は全て既知であると言ってもいいだろう。つまりシドンの地理的な位置は知っている。だがそれ以上の情報は持っていないという状況である。
要するに現時点でシドンがどのような状況下にあるかをエルデは知らないのだ。
そんなエルデの様子を見たクロスは、シドンについて「僕が知る最新情報では、彼らには害をなさないであろう勢力下にあるはずだ」と補足した。
クロスにして「であろう」「はず」という曖昧な言葉を使った事が気にはなったが、エルデはそれについて追求する事はしなかった。正確にはクロスはエルデに対し、その件についてそれ以上詳細な説明をする余裕がなかったのだ。もちろんその理由がエルデにも理解できたからこそ、その件を棚上げにする事について同意する事にやぶさかでは無かったと言っていい。
要するにクロスにとってはどうやら緊急事態と言っていい状況になっていたのだ。
というのも、会話の途中で突然客人が現れたからだ。
「イオス・オシュティーフェ!」
来客の正体を知ったエルデは、思わず来客の名を声に出した。
アルヴィンの姿をした小柄な来客は、ちらとだけ声の主であるエルデに視線を投げたが、興味をなくしたのかすぐにクロスに視線を戻した。
「久しぶりだね。まずは元気そうで何よりだ」
言葉の内容に反し、声は冷ややかで、その表情には友好的な色がまったく見られなかった。
いつもの正教会の礼式僧衣を身につけ、その手には杖が握られている。声の調子は強いて言えば平坦だが、眼光に穏やかな物がまったく感じられないのだ。むしろ下手に動けないという圧力すら感じた。
そんなイオスに対抗したわけではないだろうが、クロスの声色は普段の調子だった。
「人の家を訪問する時は予め都合を聞いておくのが市井の理(ことわり)だという事を君に説明しても取り合ってはもらえないのだろうね」
予想通りイオスはクロスの微妙な嫌味には取り合わなかった。
「つまらない小細工のせいで、会いに来るのに時間がかかってしまったよ」
クロスは表情をまったく変えず、落ち着いた声でそう答えた。
イオスの言う「小細工」がエルデには理解出来なかったが、対峙する二人にとっては共有情報なのだろう。その証拠にクロスはその話題を自然に続けたのだ。
「あれは僕じゃないよ。僕から多少の力と、クレハから取るに足らない智恵を得て、自分が人の世を変える事ができると妄想した男がやった事だからね。正確には指示して他人にやらせたものさ。だからあれの件で僕を責めるのはお門違いではないかな?」
クロスはそう言って両手を広げて肩をすくめて見せた。
クロスが言う「男」とは、どうやらシルフィードの元バード長、サミュエル・ミドオーバの事を言っているのだろうとエルデはあたりを付けた。ただ「あれ」が何を指すかまではわからなかった。何らかの結界であろう事だけは推測できたが、詳細はわからない。もちろんクロスの居場所を隠すための結界ではあろうが。
だがそうなると疑問が生じる。なぜクロスはイオスもしくはイオスを含む他者から隠れなければならないのか? 亜神としてのクロスの力は、比較するまでもなく明らかにエルデよりは上である。イオスとの相対差を推し量ることはできないが、そこまで大きな差があるのであろうか。いや、そもそもなぜ四聖が四聖を怖れるのか?
そんなエルデの疑問を悟ったわけではないのだろうが、イオスの言葉は説明的なものだった。
「新教会の何も知らぬ善良なルーナーを使ってファランドール中に描かれたあの複雑で解読困難な精霊陣を、サミュエル一人で考案したものだと言われて、はいそうですかと言って僕が納得するとでも思っているのか?」
「え?」
思わず声が出るほど、それはまるで……いや、間違いなくイオスはエルデに説明しているのだ。
「しかも町そのものが一つの精霊陣だと思わせておいて、その実それは一つの精霊式に過ぎず、実はそれらすべてが世界を覆う巨大精霊陣の一部にしか過ぎなかっただなんて、流石にそんな設計図をたかだか200年程度の寿命しかないアルヴに作れるわけがない。違うかい?」
ああ、とエルデは確信した。
イオスの話が妙に説明的なのは、二人の会話をエルデにも理解出来るように、つまり情報提供をしているのだ。もちろんクロスと同じ場所にいたエルデが様々な情報を取得済みであることは容易に考えられる。だがそうで無い場合は通常の会話に共有情報として欠ける部分を補う事により説明の手間が省ける。知っていればそれで良し。歪曲された情報を与えられていれば齟齬を指摘すればそこで情報のすりあわせもできる。そして相手がエルデであれば事細かに説明する必要もなく、ある程度の追加情報程度で充分だと判断したのだろう。
イオスがエルデとクロスの関係をどう判断したのかは定かではないが、少なくともその存在は蚊帳の外ではなく、当事者の列に加える……いや、そこまでではなくとも立会人程度の役には立てようとしたのかもしれない。もしくはエルデの立ち位置を探ろうとしているのか。「お前はどちらにつくのか?」そう問われているのかもしれなかった。
「ウソじゃないさ。君も知っての通り、僕は亜神だからね。うそは付かない」
イオスはそう言うクロスには何も答えず、今度ははっきりとエルデに向き直った。
(やはり)
エルデに緊張が走った。
「まさかとは思うが、【黒き帳】に宝鍵を渡したのか?」
だがそれは想定外の質問であった。
「宝鍵を渡す?」
質問の意味が理解出来ないエルデは、イオスではなくクロスに視線を向けた。
クロスはまた肩をすくめてみせた。
「なるほど。その様子ではまだのようだね」
気のせいか、そう言ったイオスには珍しく安堵の表情が浮かんで見えた。
(いったい何の話や?)
エルデはそう問いかけようと口を開いたが、イオスの方が先であった。
「どこまで知っている?」
「えええ?」
話についていけない状態のまま、エルデは二人の亜神の顔を交互に見比べた。当然ながら顔色を見ただけでは知りたい答えを得る事は出来なかった。
答えに窮した、いやそもそも問の意味すら理解していないエルデだったが、次の瞬間にはその答えに意識を割く時間すらない事を知った。なぜならイオスはいきなり攻撃ルーンを唱えはじめたのだ。
正確に言えば攻撃ルーンではなく強化ルーンの一種なのだが、イオスが唱えたのは逆相ルーンと称されるもので、つまり強化ではなく劣化させるルーンだった。ルーンそのものはエルデの知識外であったが、それでもきわめて強力なものであることはすぐにわかった。そのまま人間に向ければ命どころか肉体など一瞬で消滅するほどの力を持つだろう。要するにイオスは冗談でルーンを唱えたのではなかったのだ。
「ちょ……」
エルデは咄嗟の事で対処が遅れた。いや、出来なかった。だがそれでもさすがにそのルーンはクロスには届かなかった。当然のように強力な保護ルーンが施されていたのだ。もちろんそれはエルデも含んだ範囲ルーンである。
だがイオスもそんな事は織り込み済みなのだろう。最初のルーンの結果が出る前に次の詠唱に入っていた。
今度の詠唱は短かかった。
さすがに四聖の一柱というべであろう。詠唱を短縮する独自の手法を会得しているのだ。二度、三度と同じルーンを唱えているのは、防御ルーンを剥がす為であろう。どんな防御ルーンも回数もしくは防御量が閾値を超えると無力化するのだ。そして特定の組み合わせを除き、防御ルーンの重ね掛けはできない。たいていの場合、新たな防御ルーンを唱えた瞬間に、それまで施されていたルーンが剥がれ落ちる。その瞬間にイオスのルーンが通れば、そこで決着が着いてしまう。
「いきなりなんやねん!」
エルデは我に返ってそう叫ぶと、即座に動いた。
取りあえずイオスを拘束するべく、使い得るえ最高位の拘束ルーンを唱えてみた。だがエルデが詠唱を終える前にクロスはそれを制した。
「彼を拘束するなんて、どだい無理な話だよ。だから無駄な事はしない方がいい」
「そやかて!」
「下手をすると彼は君の事も敵だと判断してしまうよ。そうなるとちょっと面倒な事になる。それくらいは想像出来るだろう?」
クロスの言うとおり、エルデのルーンはイオスには歯が立たなかった。もっともそんな事ははじめからわかっていた。エルデが狙っているのはイオスと同様、かけ続ける事で強化ルーンを剥がす事であった。もっとも強化ルーンが剥がれたとしても、ハイレーンのエルデがかける強化ルーンが、コンサーラのイオスを拘束できるかどうかは別問題だ。クロスはそれを含めて無駄だと言っているのであろう。
だがそれでも、エルデはルーンを唱えるのを止めなかった。無駄かどうかは「やってみいひんとわからへん!」からだ。
だが四度目のルーンを唱えようとしたところで視界がなくなった。そして自らの体幹が重力に逆らえずに傾いていくのを認識したあたりで、ふっつりと意識が途切れた。
意識が全て闇に呑み込まれる直前に、クロスの詠唱が耳に届いた。だがそれが何であるかを理解するだけの時間がエルデには残っていなかった。
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