第四話 スーパー・テレスペリエンス 6/6
(考えろ!)
そう言い聞かせて自らを奮い立たせてみたが、手立てが浮かばない。座標軸を固定され、為す術がない常態をどう打破すればいいのかがわからない。クロスの拘束ルーンを解いたと思われるエレメンタルの力を使えば何とかなると考えてみても、どうすればあの時と同じ状態になれるのかが理解出来ていないのだ。思い出そうにももう「その時」がそこに迫っているのが肌でわかる。そうなると焦りが思考を塗りつぶしてしまう。
「わかっている、か」
クロスはそうつぶやくと、時々見せた、あの機嫌の良い表情を作ってエルデにたずねた。
「君がどこまでわかっているのかわからないけど」
「探ろうとせんでもええ。だいたい、全部や」
即答したエルデに、クロスは残念そうな顔をしてみせると小さく頭を振った。
「『だいたい』と『全部』は共存しないよ。じゃあそうだなね。ここがどこだか当ててみてくれないか?」
思ってもみない質問だったのか、エルデはムッとした表情を浮かべて、それでも周りを見渡した。
「『だいたい』は『全部』じゃない。その証拠に、君達にいいものを見せてあげよう。あ、言っておくけどこれから見たことは他言無用、ナイショで頼むよ」
クロスはそういうとエルデの承諾を待たずに、壁面にあったパネルの一部を押した。
何が起こるのだろうか? それを考えるよりも早く答えが出た。視界が一瞬で変わったのだ。
(ええええ?)
目の前に広がる光景に、エイルは心の中で叫んだ。だがエルデはエイル以上に驚いた様子で、口をぽかんと開けたままで、声すら上げていなかった。
「絶景だろう?」
気のせいか、クロスの言葉に得意げな色が乗っているように思えた。
そして空を指差して、クロスは言った。
「あれが僕たちがファランドールと呼ぶ、星の姿さ」
空に浮かぶ天体があった。それについてエイルには既視感があった。
「地球」そう呼ばれる青い惑星の姿に酷似していたからだ。もっともそれはエイルの知る地球でないことは一目瞭然だった。海と陸で出来た青い天体という点ではにているものの、雲の合間から見える大陸の形が明らかに違う。やはりそれはクロスの言うとおり、「ファランドール」なのだろう。
(ってことは?)
エイルは我に返った。
(ここはどこだ?)
ファランドールを見下ろしているということはつまり、エイル達はファランドールという天体の上にはいないという事に他ならない。
違う。
エイルは心の中で首を振った。これはクロスが見せている「幻影」の可能性が高い。いや、ずっと幻影を見せられているのだ。これだけが「本物」だと考える方が無理がある。さもないとエイル達はファランドールの大気圏外に存在しているという事になってしまう。エルデやリーゼ、そしてニーム達と登山の準備を整えて冬山に入ってから、まだ一日も経ってはいないはずだ。万が一あの山が存外高くて大気圏を突き破るほどの高峰だとしても、そんな短期間でどうして成層圏に達することができよう?
しかし。
それでもあの光景はあまりに生々しい。雲がゆっくりと動いているのがわかる。静止画ではなく動画なのだ。エイルが知る限り、ファランドールの人間が大気圏外に行ったという話はない。それどころかフォウでは常識である「飛行機」の概念すら存在しないのだ。エーテルの影響で滑空するものなど存在できないという話の通り、長距離を飛べる鳥すら存在しない世界なのだ。つまり見えている画像が作り物であったとして、「外から見たファランドール」を知らぬはずのクロスがこれほど成功な「つくりもの」を創造できると思うのも無理がある。だとすればマーリンが持っている地球以外の地球型惑星の映像をクロスが見つけ出し、それを映し出していると考えるのはどうか? 一見辻褄は合っていると言えるが、ではなぜクロスがそんな事をする意味があるというのか?
(だめだ)
エイルは自分が予想以上に混乱している事を冷静に確認していた。にもかかわらず当初エイルよりも驚愕の度合いが大きかったはずのエルデはさすがと言っていいのか、エイルの疑問を代弁するような質問を投げかけた。
「この映像は本物なんか?」
「もちろん本物さ」
「ということは、ここはアイス、もしくはデヴァイスの上っちゅう事か?」
「ご名答。ここはデヴァイスの上だ」
クロスは満足そうにうなずいた。
「『ネッフル湖』とやらにはファランドールとデヴァイスを繋ぐ転送陣かそれに類するものがあるっちゅうことやな」
「正しい解ではないが、考え方としてはほぼ合っている。まあ多少の齟齬などこの際些細な事だ」
「ほう。ということはつまり、ウチらの肉体がここに来てるわけやない、っちゅう考えもありって事かな?」
「ふむ。たったあれだけの情報でそこまで推理できるのか。いやはや、若いのに大したものだな。念のために説明しておくと、我々は地上にある装置を介してあたかもここに居るように感じている、という事だ」
クロスのその言葉は素直な感想だったのだろう。だがエルデは意に介さず、質問とも持論の披露ともとれる言葉を続けた。
「つまりマーリンっちゅう名前の装置は複数あって、いや、全部をまとめてマーリンって言うのかも知れへんけどそんな事はまあどうでもええんかな。少なくともそのうちの一つはデヴァイスにあるっちゅう事が重要なんや。なるほどなるほど。それやったら事の次第を嗅ぎつけた誰かさんが地上のマーリンを破壊したとしても、さすがにデヴァイスにまでは来られへんから、結局マーリンを破壊するのはムリっちゅう事やな」
拡張型遠隔空間把握装置。通称スーパー・テレスペリエンス。
クロスの説明でエイルの脳裏に浮かんだのはその言葉だった。離れた地点にあるものを、あたかもそこにいるかのように五感で感じられる装置の事だ。まだ一般家庭にまでは普及していなかったが、導入している施設同士であれば聴覚と視覚を離れた空間に持っていく事ができるその装置は既に実用化されていた。さすがに味覚については難しいと言われていたが、嗅覚や触覚、そしてそこに自分の肉体があるかのように感じる「次世代型」と呼ばれる装置については実用化も秒読み段階だと言われていた。要するにエイルは今それを体験しているということに違いない。
回答が記憶の中にあり、検証により照合が可能なエイルとは違い、何の予備知識もないエルデがエイルよりも早くスーパー・テレスペリエンスに辿りついた事は驚愕にあたいする。わかっていたつもりではあるが、亜神の知能と演繹による演算能力、それによる推理力はエイルの常識をはるかに越えていた。常識的に考えてみても、地球にエルデほどの頭脳を持つ人間がそうそういるとは思えなかった。だとすれば、エルデのような亜神が複数いるファランドールが、容易にフォウに蹂躙されるだろうか? 技術力や単純な火力の差は比べるべくもないが、一方フォウにはルーナーもフェアリーもいない。攻防戦がファランドールで行われるとすれば、フォウ、つまり地球軍は相当苦戦するのではないだろうか?
(いや)
その為のマーリンか。
エイルはようやくそこに辿り付いた。そしていち早くその事実に気付いたであろうクロスの絶望感の片鱗を垣間見た気がした。
と、突然クロスが背筋を伸ばして緊張する様子を見せた。
「どうやら時間が来たようだ」
その言葉はエイルにはどこか寂しげに感じられた。
「やれやれ。扉を叩きもしないでいきなり土足で上がり込んでくるなんて、まるで野蛮人のやることじゃないか」
クロスは独り言のようにそう言うと、すぐに真顔でエイルを見やった。
「大丈夫だ。君とお仲間の二人は彼が来る前に逃がしてあげよう。何しろこの子のお願いだからね」
待て、と叫ぼうにも相変わらずエイルは拘束されたままだった。前回は怒りと憎しみが制御出来ずにエレメンタルの力が暴走し、それによりクロスのルーンを無効化出来たのだが、今回はいくら気持を高ぶらせても同じ事が起こらなかった。暴走するなというエルデの言葉が戒めになっているわけではない。おそらく今回は、ルーンをかけた相手が違うからだ、とエイルは推理していた。クロスではなくエルデにかけられたことで、その術者に純粋な憎しみや怒りを浮かべることができないのだ。術を掛けられた直後に見たあの柔和で美しい笑顔。あれのせいでエイルの心に無意識の制御がかかってしまったに違いない。
「どこでもええけど、出来るだけ安全な場所に頼むわ」
エルデはエイルに背を向けるとそう言った。
「別れの挨拶はしなくていいのかな? とはいえもう時間はさほど残っては……」
クロスはエルデにそう声をかけたが、珍しく途中で言葉を切った。
「決心が……鈍るさかい」
一見普通の声に聞こえたが、エイルにはわかった。エルデは泣いているのだ。指摘すると絶対に「泣いてへん」と言い張る、あの泣き顔が瞼に浮かんだ。
(マジかよ……本当にここでお別れなのか?)
決心という言葉を敢えて使って見せたのは、クロスではなくエイルに気持を伝える為であったのだろう。
「そやさかい、みんなのことはあんじょう頼むで、『お父ちゃん』」
それが、エイルが耳にしたエルデの最後の言葉だった。
(お父ちゃん?)
別れの悲しみより、その言葉の最後に付け加えられた一言に衝撃を受けたまま、エイルはむりやり引きずり込まれるような意識の闇に沈んでいった。
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