第四話 スーパー・テレスペリエンス 5/6

「ふむ。それはなかなかいい提議だね。そう言えば『フォウの人間とは』という提議についてはあまり事細かに考えた事は無かったね。キセン・プロットは間違いなく我々にとっては異邦人であり、つまりフォウの人間だと断定できるが、確かに君は彼女とは全く違う個性を持つ、いわば曖昧な存在だ。僕は曖昧な事が嫌いだから、この際ここでフォウの人間とは何かを規定してみよう」

(また話が逸れはじめた)

 意外にもエイルの言葉はクロスの興味を惹いたようだった。クロスは今までの会話どころかエルデの存在を忘れたかのように、機嫌の良い表情を浮かべてエイルに近づいてきた。

「で、君はどうなんだい?」

「どう、とは?」

「意見だよ。人間は結局のところ、論理より感情を優先する動物だ。だからまずはその意見を聞こうじゃないか。それが定義に沿ったものか矛盾するものか、はたまた定義など意味を成さないほど破天荒なものかを知りたいというところだね。だからどうなのかな? 魂を優先するべきだと主張してフォウの人間でいたいのかい? それとも肉体が優先だからファランドールの人間だとすべきかな? それとも第三の立場をでっち上げるかい? もしくは君の場合は素直に『混血』と呼ぶのがいいのかな? いや、混血はこの場合は適切な言葉ではないね。血はいっさい混じっていない。遺伝学的には完全にフォウの人間ということになるからね。だから君の場合は『あいの子』と呼ぶべきかな」

「ふん」

 今まで黙って成り行きを見守っていたかのようなエルデが、クロスの言葉を聞いて鼻を鳴らした。

「規定とか言うてるけど、要するにどう答えても、アンタが用意したそれらしいこじつけを語って聞かせてそれを採用するだけの話やろ? バカバカしいにも程がある。それより話を先に進めよか」


 エイルにしてみればエルデのその言葉は想定外のものだった。なぜならエルデは冗長に広がる話題をよしとせず「話を切り上げよう」としているからだ。

 エイルのその考えは正しかった。いや、想像以上に話を端折ろうとしていたということが、すぐにわかった。その後すぐにエルデがこう言ったからだ。

「取りあえず、三人を安全なところへ返して欲しい」

「三人とは?」

 エルデに反応して、わかりきった事をクロスが尋ねた。

「もちろん、ウチを除く三人や」

 エイルはクロスが満足するであろう回答を口にした。

「ちょっと待て」

 エイルは当然のように割って入った。だがエルデはもちろんそんな事は織り込み済みだったようで、即座にルーンを用いてエイルの動きを全て封じた。

 視線に全霊を込めて抗議するエイルに、エルデはゆっくりと微笑みかけた。抗議と怒りに包まれていたエイルはしかし、それらの感情を全て凍結させることになった。エルデの表情は、エイルが今まで見た中でも一番ではないかと思える程美しいものだったからだ。


 エルデの笑顔は、ともすればその整い過ぎた顔立ちにより恐ろしさを感じさせる事がある。だが、エイルに微笑みかける今のエルデからは、ただただエイルに対する包み込むような暖かさしか感じられなかった。自らがもつ全ての熱を思いに換えてその笑顔に込めたような、脳髄が快感でしびれるような、そんな笑顔だった。

 だがエイルはそんな恍惚とした自分に全力で抗った。警鐘が、今まで感じていた多くの違和感が全て繋ぎ合わさって大きな警鐘として頭の中に響き渡っていたからだ。

(これはまずい!)


 これはダメだ。絶対に受け入れてはいけない。

 なぜそう思うのか、どうしてそうなのか。理論的に結論を導き出すようなそんな理性的な状態ではない。ただただ心が叫ぶのだ。今まで生きてきて、今が一番ダメだと。決して受け入れてはならないと。

 なぜなら……。

 優しく微笑むエルデの美しい笑顔。その笑顔のはずのエルデの目尻に、光るものがあるからだ。マーリンの計器が醸す鈍い光に反射して、確実にエルデが泣いている事を告げているからだ。

 短い時間の間に、エルデに何が起こったのかはわからない。だが、エイルと同様、エルデも今までのクロスの言動をおかしいと感じていたはずである。そして考えたのだ。たぶん、エイルと同じようなことを。そして、これはエイルの想像、いや妄想かもしれないが、エルデはエイルが辿り付かなかった答えを見つけてしまったのだろう。そう「見つけてしまった」といういい方こそが、今のエルデの態度にふさわしいと思われた。そしてもちろん、悲しいかなその答えはエイルの知るところではない。


 エルデは座標軸を固定されたエイルにゆっくりと近づくと、目を閉じ、薄いが形のいい唇を、エイルのそれに重ねた。

(おい)

 その口づけで混乱状態にあったエイルは一気に覚醒した。いや、理性が感情をなんとか制御出来る状態になったといった方がいいかもしれない。

 だからエルデがとっている行動がその場ではあまり良くない、どころかまずい状況である事に思い至ったのだ。クロスの前で口づけをかわすのは、避けた方がいい行為のはずだと。

 唇をただ重ねるだけであったが、婚約者を名乗りエルデを手元に奪おうとしている男の前でやるのは挑発以外の何ものでもないことくらいはわかる。クロスの機嫌を損ねない事は重要な事だったはずなのだ。

 

 エルデは名残惜しそうにエイルから離れるとにこやかな顔で大丈夫や、と言った。

「うち、わかってもうてん」

 エイルはやっぱり、と思った。だが同時にこう叫んでいた。

(何をだよ!)

「そやね。色々間違いや勘違いはあったけど、それでもあんたに出会えた事だけは、本当に良かったって思えるって事を、かな」

(え?)

「今さらやけど。色々わかったから、余計にそう思うんや」

(訳のわからないことを言うな。それより頼む。拘束を解いてくれ)

 しかしエイルの願いは叶わなかった。

「大丈夫や」

 エルデは優しい声でそれだけ言うと、すっとクロスに対峙した。

「この子等には、まだやることがあるんや。そやさかいとっとと帰してあげてんか」


 急変したとも言えるエルデの態度に、さしものクロスもその意図を探るような表情を隠さなかったが、それでもその声は冷静だった。

「いいのかい? そもそも『この時間』が長くつづく事は、君が求めた事だろう?」

 エルデはうなずいた。

「そやな。でも、もう充分や」

「彼らを帰したら、もう二度と会えない事も?」

 エルデは再びうなずく。

「もちろんわかってる」

「敢えて聞くけど、もし君が望むのなら、僕としては『最後まで』ここでこうやっていてもいいんだよ?」

「おおきに。でも、ウチの我が侭でみんなの時間をこれ以上縛るのはイヤやねん。周りからこれ以上我が侭な女って思われとうないしな」

「ふーん。で、その『みんな』の中には、その青年も入っているのかい?」

 その青年というのが自分を指すのだということは当然ながらエイルにはわかった。どうやらクロスはエルデが望むのであれば、エイルだけでも残してやるがどうだ、と尋ねているのだ。一連のクロスの言葉や態度からすると違和感の塊のような物言いだが、そうとしか思えなかった。そうだとしたら、これはなんというか……クロスはもともと……。


 エイルがそんな考えを巡らせる暇も無く、エルデは即答した。

「もちろん三人ともや。ウチのダンナにはまだやることがあるさかい」

 それはエイルが望んでいた言葉ではなかった。だがエルデが敢えて「ウチのダンナ」という言葉を使った事に誇らしいものを感じていた。しかしそれもこれもすぐに襲ってきた大きな絶望感に呑まれてしまいそうだった。

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