最終話 黒き帳 5/8
その後、クロスは文字通り邂逅した友と旧知を温めるかのようにいくつか間言葉を交わした後、エルデに顔を向けた。
「見たところ、確かにあまり時間はないようだね。君が【真赭の頤】、いやシグルト・ザルカを私に会わせた訳をおしえてくれないかい?」
「その前に一つだけ質問があるんや」
「君はもう、いくつも質問をしているくせに、今さらなぜ一つだけなんて限定するんだい?」
エルデは首を横に振った。
「ちゃうちゃう。ウチが質問したいのは、師匠や」
「ふむ」
クロスは今度はシグルトに顔を向けた。
「どうやら私の婚約者は、私の前で君に答えさせることで、嘘偽りのない本心が聞きたいそうだ。つまりそれは私が知っている事柄ということになるね。さて」
エルデは自分に落とされたクロスの視線に対して軽くうなずくと、シグルトに向かってこうたずねた。
「最後に一つだけ教えて欲しい」
「なんなりと。エイミイの王、エイル様」
「ウチをその名で呼ぶな」
「おっと、そうでしたな。では質問を。我が弟子、エルデ・ヴァイス」
エルデはため息をつくと、シグルトをにらんだ。
「ウチが知りたいのはただ一つ。黒の当主、アイリスの王【黒き帳】、クロス・アイリスはウチらの敵なんか?」
一瞬の間があったが、シグルトは表情を変えずに答えた。
いや、エルデに対して質問を投げてきた。
「『ウチら』というのはエルデ・ヴァイス本人と、あとは誰の事でしょうかな? この老いぼれですかな? それとも……」
「質問に質問で返すな、クソジジイ」
「これはしたり」
シグルトは頭を掻いた。
「今さらではありますが、あなた様に適切な言葉遣いはどういうものかを徹底的に叩き込まなかった事を悔やんでも悔やみきれませんな」
「や・か・ま・し・い! ええから答えろ」
「そうは申しましても、どうにも答えにくい質問ですな」
「クソジジイ、ウチは気が短いんや。知ってるやろ?」
「ですからそう言われましても……」
シグルトはとぼけた様子でそう言うと、沈黙を守っているクロスをチラリと見た。だが予想通りと言うべきか、クロスはまつげすら毛ほども動かさなかった。
クロスに倣ったのかどうかはともかく、シグルトは表情をいっさい崩さずにこう答えた。
「非難を受けることはわかった上で、また質問で返してしまいますが、私が一度でもクロス様をあなた様の敵だと言ったことがありましたかな?」
「えええええ?」
エルデは思わずそう叫んだ。
「何言うてんねん、この『いかれエーテル体!』 人間の体失うて急激にボケたんか? だいたいあれほど【黒き帳】には気をつけろとか、【黒き帳】は最悪や、とか、絶対会うたらアカンとか、会うた時は目を合わせるなとか……って……あれ……あれえ?」
エルデの声がだんだんと小さくなっていく様子をみて、シグルトが心配そうに声をかけた。
「いかがなさいましたかな?」
「ぐ……」
絶句したエルデに、シグルトは嬉しそうにニヤリと笑って見せた。
「まあ、敵か味方かなどは主観によるあやふやな概念。したがって敵か味方かはあなた様が自分で決めるべきものなのです。ですから私からは事実だけを申し上げましょう。あなた様と私がここにこうしているのは、クロス様があの時に時間稼ぎをして下さったからなのですよ」
「何やて?」
「もうここに至っては隠しておくこともないでしょう。クロス様は『我々』を逃がそうとして、結果として生き延びたのはあなた様と私だけだった。それが『あの時』の結果の全てです」
シグルト・ザルカバードはそう言うと、エルデに向かって深々と頭を垂れた。
「迫る追っ手からかくまう為に私は幼いエイミイの『お継ぎ様』に強い睡眠ルーンをかけ、外部から見つからぬような細工を施した上で龍墓の片隅に隠したのですが、敵をなんとか撒いた時には、すでに時空の繋がりが捻れており、かくまった地点が特定できませんでした。ようやく発見した時には早くも三千年の歳月が流れておりました。そしてその子にエルデ・ヴァイスという名を与えた後の話はもはやご存じの通りです」
「なんで黙ってたんや?」
「と申しますと?」
「そんな話やったら、別にウチに隠す必要とかなかったやろ? なんで今まで隠してたんや?」
「確か先ほどのものが最後の質問だったのでは?」
「さっきのは無効や無効。だって答えてへんやん。質問に質問で返しただけやろ? そんなん数に入らへんし。イジメか? イジメなんか? だいたいウチ、シグに全然大事にしてもろてへんし、今さらお継ぎ様とか【白き翼】様とか言われても背中が痒なるっちゅーねん。アレやろ? 最初から【黒き帳】と組んで、何にも知らんウチが勘違いして育つんを見て、ニヤニヤ笑って楽しんでたんやろ?」
「それはそうと」
苛立ちをぶつけるように批難の言葉をシグルトに間断なく浴びせるエルデにクロスが声をかけた。
「親が決めた事とは言え、約束は約束だ。その件については納得してもらえたのだろうか?」
その言葉でエルデは冷水をかけられたかのように五感の緊張が一瞬で最大値に達した。
最後まで避けたかった話題であった。できれば永遠に口にしたくない事柄だったのだ。
だが、突然その「最後」は訪れた。
「ティアナの解呪は……」
エルデは未解決の事柄を必死にたぐり寄せた。
「それは私がセッカ・リ=ルッカに『その機能』を持たせよう。すなわち君どころか私さえその娘の居場所へ赴く必要は無い。幸いそこにルーンに明るい人の筆頭、タ=タンの王がいる。彼女にも解呪の仕組みを教えてセッカ・リ=ルッカに同道させれば、現場で万に一つも失敗する事は無いだろう。いや、この場合、母数は万ではなく、億でも兆でも京でもかまわない。つまり失敗する事はあり得ないと言っていい。だからもはや解呪に関しては、君が気に病む事柄は何もない」
「いや、ちょっと待って。さっきビミョーな事言うてたやん? 解呪するんが、必ずしもティアナにとって幸福な事とは限らへんとか何とか?」
「それこそ君が気にする事柄ではないだろう? それとも君は君に関わった全ての人間の将来は幸せでなければならないとでもいうつもりかい?」
「いや、そやないけど」
「話を聞く限りでは、そのアルヴの娘にかけられた呪法はかなりたちが悪いものだ。その呪法の呪士を私はよく知っているからそれは簡単に想像できるし、まず間違った見解ではないだろう。そうだね、確率的には……」
「いや、確率の計算はええから」
「そうかい? だったら話は早い。シルフィード王国のバード長、サミュエル・ミドオーバがかけた呪法は、たとえ私が解呪してもその後遺症までは消す事ができないという事だよ。つまり君がいくら心配しても何の意味もないという事だ」
「後遺症?」
「あの呪法のどこがタチが悪いって、被術者の命を保護する為に二重三重の仕組みを備えている事だね。一つの呪法を解呪しても、次の呪法が発動する。だから今回は無理矢理いっぺんにぜんぶ引っぺがす方法をとるわけだけど、そうなるとどうしても被術者には大きな負担がかかるということさ」
「ちょっと待って」
エルデはそう言うと額に手を当てて目を閉じた。
「二重三重って……なんでそこまでしてティアナを守るんや? 簡単に人を殺す暗示をかけて道具みたいに使てる一方で、執拗に被術者の命だけは守るとか、ちょっと矛盾してるんやないか?」
「矛盾はしていないよ」
クロスは続けた。
「彼のことは赤ん坊の頃から知っているが、彼は自分が正しいと思うことしかやらない男だよ。他人がどう思おうと彼の行動には常に彼の正儀という裏打ちがあるんだ。だから彼自身の中に行動の矛盾というものは無いんだよ」
「それは同感ですな」
横合いからシグルトが相槌を打った。
「彼は極めて真面目な人間です」
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