第八十五話 ネッフル湖の解呪士 5/5
問いかけられた青年は、その緑の瞳でニームをじっと見つめると、話しかけた。
「君が新しい【天色の楔】だね。予想以上に幼く見える。この場合の『予想』というのは、もちろん私の知識にある平均的な十五歳の女デュアルの平均的な外観の事だよ。要するに君は平均的な十五歳の女デュアルとしては平均以下の年齢的な外観の保持者だという事だ。これは私個人の意見ではなく、比較検証学的な『評価』だ。その辺りを取り違えないで欲しい。そしてここからは私個人の意見になるのだが、タ=タン一族最後の一人がデュアルだという事はとても残念だ。何しろタ=タンはその特性を保つべく、長きにわたり血統を絶やさなかった数少ない一族だったからね。もっとも君が純粋なアルヴィンのタ=タン族であろうが無かろうが、もはやあまり関係はないのだけど……」
さすがに感情を抑えきれなくなったのだろう。無表情なまましゃべり続ける青年の言葉を遮るように、ニームが怒鳴った。
「私の質問に答えよ。私の事を知っているようだが、お前はいったい何者だ? 本当に『ネッフル湖の解呪士』なのか? それとも」
「やれやれ」
対抗したわけではないのだろうが、青年もニームの話の途中でそう言うと、大げさに肩をすくめて見せた。そして無表情だった顔に初めて「笑い」という表情を浮かべた。
「ガッカリだよ、【天色の楔】。僕がこれほどわかりやすい情報を提供してあげているのに、気付きもしないとはね。先代より優秀だと聞いていたから、こちらももう少し勘の良い少女を想像していたんだけど、少なくとも『そっちの方』については失望したよ。おっと、断っておくけどもちろんこの場合の失望は僕が勝手にそういう状態に陥っているだけであって、【天色の楔】が悪いわけではないよ。それはもちろん理解している。でも、失望したという事実はちゃんと口にして伝えておきたい気分なんだ。わかるだろ?」
「はあ?」
比較的抑揚のない口調だった青年が、いきなり感情豊かなしゃべり方に変わったものだから、さすがのニームの毒気を抜かれた格好になった。だがそれでも言葉の中にあった「情報を提供」という言葉を思い出し、訳がわからないままにその青年の正体を推理しようと、持っている演算能力を最大限に開放した。とは言え、いったい何の情報を提供してもらったのかが、そもそもわからない。ニームにわかっているのはまずはネッフル湖の解呪士という通り名だ。だがその通り名が目の前のアルヴの青年を特定する名前なのかが不明である。しかし再度それを尋ねるのは業腹だった。
次に思い浮かぶのは青年の態度だ。ニームの事を【天色の楔】と知っているにも関わらず、畏敬のそぶりを毛ほども見せない。
(いや)
ニームの事を【天色の楔】と知っているのは、セッカから何らかの情報が入ったから納得するにせよ、先代である姉の事も当たり前のように知っているそぶりを見せたのだ。あまつさえタ=タン一族のことをまるで「昔から知っている」ような口ぶりだった。
(口ぶりだと?)
そう、はじめは抑揚のないしゃべり方だった。そしてあの無表情な態度。まるでそこに誰もいないような眼差しに、ニームは見覚えがあった。
頭に浮かんだその人物は、ニームとの初めての会見でまさに目の前のアルヴと同じような表情と口ぶりではなかったか?
その人物とは、三聖、いや四聖【蒼穹の台】
「まさか」
ニームは、絞り出したかのような小さなうめき声をあげた。
そして両手で口を押さえると、崩れるようにその場に座り込んだ。急激な吐き気に襲われたのだ。
「ニーム?」
様子がおかしいニームにエイルが声をかけた。エイルも青年の変化に驚き、敵意は感じないものの、嫌な予感を覚えていた。
「そんな、まさか」
口を押さえたままのニームの横顔からは血の気というものが感じられなかった。それはつまりニームが特定した青年の「正体」が歓迎すべきものではないことを如実に現していたと言っていいだろう。
「ほう」
ニームの態度を見て、青年が口を開いた。
「なるほど。冷静になればそれなりの知恵は働くという事か」
それは人をばかにしたような口ぶりであり、声色だった。少なくとも嘲笑の色が濃い。エイルはエルデを抱えたままムッとした顔を青年に向けた。
「興味深いな。目元ががそっくりだ」
エイルが口を開く前に目が合った青年の口が動いた。機先を制されたエイルが絶句すると、青年は続けた。
「だがそれは君のものじゃない。僕のものだ。だから返してもらおう」
「それ」が何を指す言葉なのかを理解しようとした一瞬の間に、「それ」はエイルの腕の中から消えて無くなっていた。
「え?」
それ……つまりエルデがいつの間にか青年に抱きかかえられていたのだ。何が起こったのかを理解するよりも先に、エイルは今何が行われたのかが理解出来ずに混乱に陥った。
「とはいえ」
そして混乱で言葉が出ないエイルを見下ろして、青年は信じられない言葉を投げかけた」
「花嫁を無事に届けてくれたことには礼を言おう。ありがとう」
「何だと!」
理解が現実に追いついていない中で、エイルはしかし本能的に今現在が大きな危機だと認識した。そして反射的に立ち上がろうとして、腰を上げかけたところで全身が硬直した。
体はもちろん、口や喉も動かないから言葉を発する事も出来なかった。エイルはその感覚におぼえがあった。そう、ルーナーが使う座標軸固定のルーン。
目も動かせない。だが幸か不幸か、視界に、いや目の前に両腕に意識のないエルデを抱きかかえたアルヴの青年の姿があった。
「おいおい」
アルヴの青年はエルデを見つめていた。だがその表情はわかりやすく曇っていた。
「これはどういう事だい? 【炎のエレメンタル】」
顔を上げた青年は、険しい顔でエイルに尋ねた。それを見たエイルは心臓が締め付けられるような悪寒に襲われた。そして感じた。今まで存在しなかった敵意が、その青年からまっすぐに注がれていたのだ。
「この状態はなんだ? 新しい炎精よ。お前は私の婚約者にいったい何をした? どうしてこのような事になっているんだ?」
誰が聞いてもわかる怒りに満ちた言葉が、身動きを封じられたエイルに投げつけられた。身動きを封じたのはまず間違いなく目の前のアルヴだ。しかしそのアルヴはエイルの拘束を解こうとしなかった。それは答えようにも答えられない事を意味する。
(そんな事より)
もちろんエイルにとって重要なのは、アルヴの質問に答える事ではない。いや、突然の出来事に混乱して、何から消化すればいいのかすらわからない状態だった。取りあえず叫びたかった。怒鳴りたかった。オレのエルデを返せ、と。
怒りと混乱で脳が沸騰してしまうのではないかと思われたエイルの視界を、銀色のスジが横切った。それが何かをエイルは感覚で理解していた。
(やめろ!)
瞬時に頭の中に警鐘が鳴り響いた。
エルデを抱くアルヴに向かう銀色の直線のような残像の主に、エイルは心の中で叫んだ。それは次に起こるであろう絶望という名の惨劇を確信したからだ。
(やめろ、リーゼ! そいつはまずいヤツだ)
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