第八十二話 排除命令 4/4
「では無関係だと言うことですか?」
だがこれにはスノウは首を横に振らなかった。
「無関係とは言えないが、黒幕ではないという事ですね」
アプリリアージェはそう言うと今度はクシャナに視線を向けた。
「微妙な立場のようですね」
「御意」
クシャナはまじめくさった顔でそう言うと軽く一礼した。
「全くもって微妙な立場でして」
「微妙ではあるけれど、それを詳(つまび)らかにはできない、と?」
「さすがです。ウチのスノウがせめて司令の百分の一、いや千分の一程の思慮があれば、我々の苦労もかなり軽減されるのですが」
「そうそう。ついでにミリアの大将の苦労もな」
「ミリアは関係ない」
スノウがやや機嫌を損ねたような調子でイブキを叱責すると、アプリリアージェはなぜか胸に小さなざわめきを感じた。
「そう言えばキリエンカさんはペトルウシュカ公爵の代理とうかがいましたが、先ほどおっしゃった事は公爵のご意志と受け取ってよろしいのですか?」
スノウは迷いなくうなずいた。
「あ、それについちゃ間違いないですよ、司令」
イブキはそう言うとすぐに短く付け足した。
「なんというか、司令には近寄って欲しくないそうで」
イブキは自分の言葉にアプリリアージェがけっこう大きな反応を見せたことを察知した。笑いがより深くなっているように見えたのだ。
イブキの記憶が正しければ、それは良い兆候ではない場合が多かった。
「近寄るなとは、ヘルルーガに、ですか?」
「そういう事ッスね」
イブキは内心でしまったと思いつつも素直にうなずいた。
「なぜですか?」
アプリリアージェの質問には驚いた事にスノウが答えた。
「それはあなたが余りに汚れているからです」
「お、おい、スノウ!」
イブキが慌ててスノウをたしなめようとしたが、アプリリアージェはまつげ一本動かさなかった。
「汚れた者と共闘はできない。かと言ってあなたは戦う相手としては強力すぎてベーレント陣営に甚大な被害をもたらします。だから会わずに、関わらずに、ここでかえってほしいのです」
スノウはそこまで言うと両手を胸の前で合わせると、深くお辞儀をして見せた。
「なるほど」
数秒の空白の後、アプリリアージェが会話を再開した。
「私はペトルウシュカ公の戦略を遂行するにあたり、邪魔な存在だということですか」
スノウはうなずいた。
「ならば」
アプリリアージェは穏やかな声のままで続けた。
「私を排除すればいいではありませんか。ペトルウシュカ公の力をもってすれば私など生まれたての赤子の首を絞めるよりも簡単でしょうに」
アプリリアージェは亜神であるエルデでさえ破れぬあの拘束の力を思い出していた。謙遜でも比喩でもなく、あの力を使われては文字通り手も足も出ないだろう。勝てる気が全くしないとはミリアに対してこそ使うべき言葉のような気がしていた。
「それに反対したのがスノウなんです、司令」
クシャナだった。
「そう」
さきほどまで胸の奥でざわついていたものが、クシャナの言葉で一つにまとまって石ころのようなしこりになっていくのがわかった。
アプリリアージェは冷静だった。心拍にも変化はなく、発汗も通常通り。声も落ち着いたままで表情もまったく変わっていないのが自分でもよくわかった。
(だったらなぜ?)
アプリリアージェは視線を落とすと自分の手を見た。
冷静だと言うのであれば、両手の拳を痛い程握り締めている理由は何だというのだ?
恐怖ではない。怒りもない。誇りを傷つけられた際にこみ上げてくる興奮とも違った。それはアプリリアージェにとっては未知の現象といえた。
「キリエンカさんは私を哀れに思って助け船を出してくれた、と?」
左手で無意識に胸を押さえるようにしてアプリリアージェはスノウに問いかけた。
「司令、それは違うッスよ」
「よせ」
スノウに代わって弁解しようとしたイブキを、クシャナが制した。
「違う言葉に置き換えようが、結局はそういう事になる。身も蓋もないがな」
「クシャナ……」
「ミリア様が司令を排除すると言い、それは駄目だとスノウが猛反対をした。だったらベーレント将軍に会う前にそれを止め、今後一切ベーレント陣営に関わらないことを確約させてみせろと言われたスノウは素直にここにやってきた。俺達は一人で司令に会おうとするスノウの護衛として勝手についてきた。今現在俺達がここにこうして居る事の次第の全ては以上です」
「それはとても賢明な判断でしたね、クシャナ」
アプリリアージェはそう言うと小さなため息を漏らした。
「キリエンカさんとの会談は私には少々荷が重いようです」
クシャナは目礼をすると肩をすくめてみせた。
「まあ、お察しの通りスノウは人とまともに会話をするのが多少苦手なんで、俺達はなんというか、まあ……通訳みたいなもんです。荒事をしようってんじゃないんですよ。だから見ての通りの丸腰で」
イブキはそう言うと両手両腕を広げて見せた。
それを見たアプリリアージェは目を細めて槍をみつめた。
「キリエンカさんのその槍は武器ではないと?」
当のキリエンカは表情を変えなかったが、代わりにクシャナとイブキが同時にうなずいた。
「ご覧の通り木刃の槍です。なんでも訳ありの品で、スノウのお守りみたいなものらしいのです」
クシャナの説明にイブキが付け加えた。
「冗談抜きに寝るのも一緒ですぜ。風呂も一緒だとか。もっともこっちは見たわけじゃありませんが」
そう言って「でへへ」と笑うイブキをクシャナが咳払いで叱責すると、改めてアプリリアージェに向かい、深々と頭を下げた。
「なにとぞ」
クシャナのその態度を見て、イブキも慌てて同じように頭を下げた。
「それでも私が行くと言ったら?」
アプリリアージェは、正面に経つモテアの娘に問いかけた。二人の守り役が左右で頭を下げるのを見ても、スノウはそのぼんやりとした表情を全く変えないまま、ただずっとアプリリアージェを見つめ続けていた。
「力ずくで止めますか?」
「たとえ我々が力ずくで止めようとしても」
「司令を止められるとは思えませんね」
クシャナとイブキはそれぞれに用意されていた台詞であるかなのように二人で一つの答えを口にした。頭は深く垂れたままで。
用心深いアプリリアージェは、丸腰だという言葉を信じてはいなかった。元上官が情に訴えて意思を曲げるような人間かどうかは、彼らが一番よく知っているはずだからだ。
だとすればアプリリアージェを追い返すのではなくこの場で拘束する何らかの「用意」をしていると考えるべきであろう。
アプリリアージェは自分の足元を見た。そしてどうやら自分が迂闊に近寄りすぎたことを悟った。落ち着き払った二人を見るまでもなく、ルーン結界の存在は真っ先に想定しておくべきだったのだ。少なくとも以前のアプリリアージェであれば空気を吸うように自然に「そういう動き」をしていたはずだった。
そこまで考えてアプリリアージェは思わず苦笑いを浮かべた。
(以前の私……か)
視線を足元からゆっくりと目の前のモテアの少女へと移動する。
「これほどまでに違うものなのか。守るべきものがあるのとないのとでは」
アプリリアージェは声に出してそう言った。ただしそれは目の前のスノウにだけ届くような密やかなつぶやきであった。
「え?」
確かに声は届いていた。だからこそその意味がわからずスノウは反応した。いや聞き直そうと思ったのかも知れなかった。
アプリリアージェの視線がスノウのそれと交わった。少なくともスノウの目には妙に寂しそうに笑うアプリリアージェの姿が映っていた。
だがそれはほんの一瞬の事であった。
「え?」
その一瞬後、スノウが先ほどと同じ反応をした。だがその声を出すに至った原因が今度は全く違う。一度目を疑問とするならば、二度目のそれは驚きを材料として出た声であった。
スノウの視界にいたはずのアプリリアージェが忽然と消えていたからだ。
だが、スノウはすぐに消えたアプリリアージェの居場所を知る事になった。
「動かないで下さい」
後から耳元に優しくささやく声は、まさしく先ほどまで目の前にいた小柄な黒髪のダークアルヴのものであった。スノウはそれを確認しようとして、アプリリアージェの言葉の意味を知る事になった。首筋あたる冷たい感触がそれであった。
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