第七十五話 鍵 3/4
「四つの鍵はマーリンを包み、全ての願いが叶うだろう」
エイルとエルデは顔を見合わせた。
「言っておくけど、私に意味を聞かないでよ」
セッカはそう言うと前足で髭を撫でた。その仕草だけを見ているとまるで本物の猫にしか見えない。だが声帯や口や喉の構造は人間と同じなのであろう。少なくともセッカの声は人間のそれなのだ。
「なら、なんでお前が」
「だから早く解呪士に会いなよ。きっと全部教えてくれるさ」
セッカのその一言で、エルデの顔色がみるみる青ざめていった。
「どうした?」
思わず声をかけたエイルに、しかしエルデはその顔を背けるようにして大丈夫だと弱々しく告げた。
「いや、大丈夫じゃないぞ」
「ちょっと昔の事思い出しただけやから……ホンマに大丈夫や」
そう言って顔を上げたエルデの表情が、「ホンマに大丈夫」ではない事を如実に告げていた。
エイルはしばらく忘れていた言いようのない黒い違和感を再び思い出した。
テンリーゼンが旅の仲間に加わってからは、それまで不自然な程エイルにべったりと甘えていたエルデが、以前の雰囲気に戻っていてすっかり忘れていただけで、根本的な解決、いや答えを見つけてはいなかったのだ。
「まあ、どっちにしろ取りあえず鍵の数が多い方がマーリンの力をより多く得られるっちゅう事やな」
感情の揺れをごまかすようにそう言ったエルデの言葉にエイルはうなずいた。今は追求する時ではない。そう思ったエイルはその話題に乗る事にした。
「なあ、マーリンって何だ?」
「え?」
「セッカが口にした詩みたいなものを聞いて思ったんだ。マーリンって絶対唯一神とかじゃなくて『モノ』なんじゃないのか? 最初はマーリンっていうのは超強力な賢者の徴みたいなスフィアで、それを取りこむことが出来たらとんでもないルーンが使えるようになるんじゃないかなんて思ってたけど、どうも違うみたいだ」
「確かに……、鍵の数によって段階的に『使える機能が増える』みたいな言い回しやな」
「だろ?」
エルデは頷いた。
「正体は予想もつかへんけど、それがとんでもない代物ちゅうのは間違いないみたいやな。というか、俄然『合わせ月』の伝説がただの言い伝えやのうて本当の事やっていう実感が湧いてきた」
エイルはうなずくと唇を噛んだ。
自分自身が「鍵」の一つであるということに向き合わざるを得ない事に思い至ったのだ。
そんなエイルの心の内を覗いたかのように、それまで無言だったテンリーゼンが口を開いた。
「私は……純粋な……エレメンタルに……なるのか?」
エイルはその言葉を聞いて、今浮かんだばかりの不安を一瞬で払いのけた。
「ならない」
そしてそう言うとテンリーゼンの頭にそっと手を乗せた。
「オレもお前も、『鍵』なんかじゃない。そんなモノになるために生きてきたわけじゃないだろ?」
だがテンリーゼンはゆっくりと首を横に振った。
「わから……ない」
「エイル」
名前を呼ばれて顔を上げると、寂しそうな顔をしたエルデが目を伏せて首を横に振った。その表情をみてエイルは思い出した。テンリーゼンは「その為」に大きな犠牲を払いながら生きてきたのだということを。
「私は……エレメンタルとして……その役目を……全うする……事が……使命」
テンリーゼンの抑揚のない言葉が、エイルの胸をえぐった。
「使命……なら……私は……鍵に」
「ならなくていい!」
エイルは思わず怒鳴っていた。
エルデのルーンで、一行の会話は周りの人間には聞こえないようになっていた。だがそれは通常の音量で話す場合であって、怒鳴り声までは封じ込めることができなかったようで、一瞬で周りの人間の注目を浴びる事になった。
エイルは立ち上がると慌ててぺこりと頭を下げた。
「アホ」
瞳髪黒色の少女の言葉はしかし、周りには聞こえてはいなかった。存在感を消すルーンのおかげで注目されることもない。エイルに注目が集まっている状態ではなおさら眼に入らないだろう。
もっとも周りの人々の興味は一瞬で消えた。茶色の髪と目をもつ普通のデュナンがちょっと大きな声を上げた。それだけのことだったからだ。
「とにかく、だめだ」
エイルは腰を下ろすと、テンリーゼンと向かい合った。
「テンリーゼン・クラルヴァインの使命なんてオレは知らん。オレが知ってるのはテンリーゼン・カラティアの宣言の方だ」
「せん……げん?」
不思議そうにエイルを見上げるその眼差しを見ていると、エイルは錯覚を覚えた。その表情は知らない事を尋ねる時のエルネスティーネそのものだったからだ。
髪の色が違う事で別人だと認識出来る。無表情な時の差異、すなわちちょっとした眼の形の違いは、表情を変えると判別が難しくなることが往々にしてあった。
エイルはその度に心臓を鷲づかみにされるような気分に陥る。
「お前、言ったよな? これからはずっとオレ達と一緒に居るって」
テンリーゼンはうなずいた。
「だったらずっとオレの側に居ろよ。絶対に離れるなよ。オレはマーリンの座なんかに行かないし、鍵なんかになるつもりもないんだ。だから」
「わかった」
テンリーゼンはエイルの言葉を遮るようにそう言うと、いきなりエイルに抱きついてきた。
「ちょっと!」
その様子を見たエルデは思わず椅子を蹴って立ち上がろうとしたが、かろうじて思いとどまり、テンリーゼンの方を掴んでエイルから引き離した。
テンリーゼンはほとんど抵抗せずにエルデのなすがままエイルから体を離すと、不思議そうな顔をしてエルデを振り返った。
「何?」
「何、やないやろ? ウチの夫に勝手に抱きつかんといてくれるか」
「オット?」
エルデは力強くうなずいた。
「ウチらは夫婦やからな」
「フーフ?」
「そや。婚儀を挙げたやろ? リーゼもその場におったやろ?」
テンリーゼンは素直にうなずいた。
だが……。
「それはそれ……これは……これ」
そう言うとエルデの手をすり抜けるようにして再びエイルの胸に飛び込むように抱きついた。
「ああっ!」
「きっと……ネスティなら……こうする……はず」
「え?」
再び手を伸ばしてテンリーゼンの方を掴もうとしたエルデの動きが止まった。
「ネスティは……やさしい……エイルが……好きだった」
エルデは腕を下ろした。そして拳を握った。
「リーゼはどうなんや?」
「エルデ?」
珍しく険しい表情のエルデは、テンリーゼンをにらみ据えていた。
「ネスティとか、死んだ人間の事はどうでもええやろ?」
「おい、エルデ……」
不穏なものを感じたエイルは思わず制止しようと声をかけたが、途中でそれを呑み込んだ。エルデの頬に光る筋を見つけたからだ。
「アンタはどうなんや、リーゼ? 人の代わりでエイルを抱きしめるとか、ウチは断じて許さへん」
テンリーゼンはゆっくりと首を巡らせて後にいるエルデの顔を見上げた。自分を見据える瞳髪黒色の少女の顔は、その言葉の強さとは裏腹に、テンリーゼンには寂しそうに見えた。
「私の……気持ち?」
「せや。あんたがエイルを抱きしめたいと思ったんなら許す。でもネスティやったらこうしたとか、ネスティがやりたかった事やからとか、そういう理由やったら今後一切、エイルには指先一本たりとも触れさせへんから!」
「おい、エルデ」
エイルはエルデの論理がやや破綻しかけている事を指摘しようとしたが、一にらみされて口をつぐんだ。体全体に「アンタは黙っとれ」というエーテルが漂っているのがエイルには見て取れたからだ。
「どうなんや、リーゼ? ウチはアンタ自身の言葉でそれが聞きたい」
「私……自身の……言葉」
「せや。アンタはエルエスティーネの『ドール』なんか? そや言うんやったらそんなまがいもん、ウチは全力で排除するで。でもテンリーゼンとしての意思で動くんやったら、ウチはアンタを認めたる」
エルデは真剣だった。それは冗談の風味が存在しないといういみではない。エイルはエルデの言葉と態度にはもっとずっと強いものが含まれていると感じていた。
必死……そう、必死なのだ。怒っているのでも問い詰めようとしているのでもない。むしろ縋るような視線をテンリーゼンに向けている。
そんな気がしてならなかった。そしてまた黒い違和感が澱のようにエイルの鳩尾に堆積した。
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