第七十四話 この世の終わり 4/4

 エルデは頷くと例の笑顔でエイルを見た。

「という事や」

「いやいやいやいや」

 二人のやりとりを聞いていてもエイルには何の事かさっぱりであった。

「鈍ちんやなあ」

「さっきも聞いた」

「大事な事やからな。何度でも言うで」

「言うな。というか、何なんだよ? リーゼがどうしたんだ? しゃべらない理由だろ?」

「そやな。そやけどそれはリーゼがアンタに白状したいっちゅう事に比べたらどうでもええ話かもしれへん」

「白状だって? リーゼがオレに何を白状するんだよ? オレ達より余計に砂糖や蜂蜜を食べてるってことなら別に白状しなくても知ってたぞ?」

「な、鈍ちんやろ?」

「にぶ……ちん……だな」

「だから、なんなんだよ、気分悪いな」

「簡単な話や。リーゼはネスティと双子なんや」

「それは、知ってる」

「で、ネスティはリーゼの妹らしい」

「そうらしいな」

 それがどうした? という不満顔を浮かべるエイルに、エルデはこれでもかとばかりに笑みを作った。

「ほんなら、リーゼはネスティから見たら何でしょう?」

「お兄さん、だろ?」

「残念。零点です。正解は『リーゼはネスティのお姉さん』でした」

「え?」

 エイルは思わず立ち止まった。


「冗談は言うてへんよ。ね、リーゼ?」

 エイルに見つめられたまま、テンリーゼンはうなずいた。

「ええええええ?」

「声が大きい、驚きすぎや」

「いや、だってお姉さんって?」

 エルデの文句も耳に入らないほどエイルは混乱していた。

「お前わかってるのか? お姉さんって言うのは女だぞ?」

「はいはい、落ち着いて。ついでに言うと、今のリーゼの顔に痣はないで」

「え?」

「ホンマにニブちんやな」

 エルデは何回目かのその単語を使うと、テンリーゼンの顔にそっと手を伸ばして、小さくルーンを唱えた。続けて見慣れたテンリーゼンの黒い仮面に手をかけると、それをそっと外した。

 テンリーゼンの素顔を見たエイルは言葉を失った。だが考える事をやめたわけではない。エルデの言わんとしていた事を理解したとたんに、心の中片隅にこびり付いていたカビのようなものが、何か清涼な溶剤……いや蒸留水のようなものに溶け出して綺麗さっぱりと洗い流されたような一種の清々しさを感じていた。


 少しだけ怯えたような表情で自分を見上げるアルヴィンは、確かにテンリーゼンに違いないのだろう。だがエイルはそれよりももっとわかりやすい表現を持っていた。

「銀髪の……ネスティ」

 一分ほども沈黙していただろうか。

 入れ墨も化粧もない、全くの素顔のテンリーゼンを見るのは初めてだった。当然と言えば当然だろう。おそらくテンリーゼン・クラルヴァインという「少年」の素顔を見た人間などファランドール広と言えどもほんの数人に違いない。そしてその何人かは既にこの世にいないのだ。

「的確な表現やな。でも……」

 エルデは何も言わないテンリーゼンの頭をそっと撫でた。

「リーゼの方が『お姉ちゃん』なんやから、その言い方はちょっと失礼やな」


 しかしエルデが何と言おうと、エイルにとって仮面を取ったテンリーゼンの姿を表現するのにもっともふさわしい言葉はソレしかなかったのだ。

 卵形の輪郭、白い肌。

 濡れるように光る緑色の瞳と、少しだけ先が細くなったアルヴ族特有の耳。

 形のいい顎に柔らかそうな小さな唇。

 高くはないがすっと通った上品な鼻筋。

 そして長い髪。

 ウーモスで髪を切る前のエルネスティーネがそこに居た。

 ただし、髪の色だけが違う。

 まるで光を束ねたように輝く銀髪は、エルネスティーネの顔かたちに素晴らしく似合っていた。

 強いて違いを挙げるとすれば、目の大きさと形だろうか。

 エルネスティーネよりも少し大きく、そしてすこし優しい。それはおそらく目尻がやや下方に垂れているからであろう。エルネスティーネは怒るとけっこう恐い顔になるとエイルは思っていた。だが、テンリーゼンが怒った顔をしたとしても、さほど恐くは見えないのではないか……そう思えるほどの違いはあった。

 もちろんエルネスティーネの表情は思い出という名の記憶であって、本人を隣に並べて比べたわけではないのだから正しいかどうかはわからない。

 だが。

「なんや。よう見るとお姉ちゃんの方が妹よりおっとりした顔なんやな」

 エルデがそう言った事でエイルは自分の記憶に自信を持った。


 エイルは合点がいったという風に大きくうなずいた。

 これほど似ている双子だからこそ、テンリーゼンはエルネスティーネに似ているなどと毛ほども思われてはならなかったのだ。

 まずは性別を変えた。

 誰もが……エイルも、そしてエルデさえテンリーゼンを少年として認識して疑わなかった。男装は上手くいっていたと言える。だがそれだけでは意味がない。うり二つなのだから。

 顔に消えぬ入れ墨を入れ、化粧をほどこし、ご丁寧に仮面までして素顔を知られぬようにした事も、「しゃべらなかった」こともそうだ。顔だけでなく、おそらく本来の声すらもほとんど同じなのだろう。

 しゃべらない事をしゃべれないからだという理由を付けるのはアルヴ族の場合は第二次性徴という人生に於ける大きな試練の存在が容易にさせた。

 それら全ては双子の関連性を消す意味に加えて、テンリーゼンが女だと思わせぬ為に完璧に機能していた。


 そう言えばアトラックもファルケンハインも、テンリーゼンと一緒に風呂に入った事がないと言っていた事を思い出した。風呂嫌いのリーゼとして完全に認知されていたのも、その一環である。

 アトラックなどは「何日も風呂に入らなくても平気なんだぜ。汚いヤツなんだよ、リーゼは」などと言っていたが、風呂好きのエルネスティーネの双子の姉であるテンリーゼンが風呂嫌いであるはずはない。細かい話ではあるが、想像以上に色々なものに耐えて、自分を隠していたのだろう。

 そしてそれを補助していたのが、アプリリアージェということなのだ。常にアプリリアージェをそばに置く事で、テンリーゼンは最強の「ベール」を手にしていたのである。

 軍の序列ではテンリーゼンはアプリリアージェの部下であるが、その実はまったく逆だ。主(あるじ)はテンリーゼンであり、アプリリアージェはテンリーゼンの護衛であり従者であった。

 エイルは自分を見つめる可憐な少女の顔に釘付けになりながら、そんな事を考えていた。


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