第七十話 一陣の風と幽霊 1/3

「いや、考えさせてって、それはないだろ?」

 フィンマルケンは怒りの色を隠さず、ハーモニーに詰め寄った。

「だって、オッケーっていうの、ちょっと恥ずかしいし」

「なんでやねーん!」

「そうだ、エルデ。ここは思いっきり突っ込んでいいところだぞ」

「承知」

 エルデは駆けよると、目を吊り上げてハーモニーを見据えた。

「今やっとわかったわ」

「な、何?」

「あんたの正体。ただの小心者やったんや」

「だから言ってるじゃない、恐くなって逃げ出したんだって!」

「ええい、やまかしい。小心者の上に優柔不断やろ? ウチはそう言うヤツを見るとむっちゃイラっとすんねん」

 エルデは本当にイライラしたふうにどんどんと床を踏みならした。


「あのさ」

 エイルはそんなエルデに苦笑しながら声をかけた。

「あの二人をくっつけたいなら、いつもみたいにハーモニーさんを脅したらいいだけじゃないのか?」

「おお!」

 エルデは我が意を得たりとばかりにポンと手を打つと目を輝かせた。

「せやな。ウチはハーモニーの弱みを握っているわけやし、それを利用せえへん手はないわな」

 エルデはお得意の邪気の混じった笑みを浮かべた。

「そやけど、『いつもみたいに』は余計とちゃうか?」

「いやいやいや、それはご謙遜ってヤツだろ」

「うーん。まあええわ」

 エルデはそれ以上エイルを追求せずに、ハーモニーに顔を向けた。


「【秘色の鞦韆(ひそくのしゅうせん)】よ」

「は、はい?」

「我が名は【白き翼】」

「しろき……つばさ?」

 ハーモニーの知る賢者名に当然ながらその名はなかった。だがその単純な色の名が持つ特別な意味を理解できたのは賢者であるからだ。単色の色を冠する名前は限られた者にしか与えられていないはずであった。しかも無彩色だ。例を挙げれば簡単だ。いや、例と言っても黒という一例があるだけである。しかも黒は賢者ではなく三聖の名である。黒に対するは同じく無彩色の白。その色を名に持つ人物が上位の賢者でないと考える方がどうかしている。


「ウチはあんたより上席の存在や。さらにあんたはウチに借りもあれば引け目もある。そんなウチの命令に対して『否』という選択肢がないことくらいはわかるやろ?」

「ち、ちょっと待って下さい」

 邪気に満ちたエルデの表情を見るまでもない。思い切り不穏なものを感じたハーモニーは思わず抗議の声を上げた。しかし当然ながらエルデはそれには耳を貸さなかった。

「やかましい。一切聞く耳持たへん」

 絶望的な表情を浮かべたハーモニーは、視線をフィンマルケンに移し助けを求めた。だがフィンマルケンは敢えて視線を逸らせて協力を拒否した。なぜならフィンマルケンはすがるハーモニーの表情を見る前に、エイルから目配せされていたからだ。それにフィンマルケンには邪気に満ちたエルデの表情とは裏腹に、その瞳髪黒色の美しい娘が醸し出す空気が妙に心地良く穏やかに感じられていた。

(これは悪いようにはならない)

 彼の本能がそう判断していたのである。


「アリキヌ・ミステルこと【秘色の鞦韆】は今後ハーモニー・エッシェと名乗り、フィンマルケン・ノールと契りを結ぶべし。なお婚儀の証人としてエイル・エイミイがこれを認証するものなり」

「ええ?」

「了解だ」

 ハーモニーの小さな悲鳴は、エイルの承諾の声にかき消された。

「オレ達二人が証人になる」

 エイルの答えに意味ありげな笑いを浮かべたエルデは小さくうなずいて見せた。

「まあ、順番は逆になったけど、形式は大事や。フィンマルケンの求婚にちゃんと答えてやり」

 エルデの邪気に満ちた笑いはここへ来て最高潮に達したかと思いきや、いつの間にか力が抜けた優しい表情にかわっていた。

 ハーモニーはそれを見ると唇を噛み、頬を染めてうつむいた。

 それは観念したという態度だったのだろう。だが、それでもハーモニーは自分から声を出せないでいた。

 エルデはそれを見て咳払いをすると、再びフィンマルケンに目配せをした。

 背中を押されたと判断したフィンマルケンはうなずくとハーモニーに向かい、改めて問いかけた。

「もう一度言おう。俺と結婚してほしい。一緒に暮らしながら、一緒に苦労して、一緒に楽しい時間を過ごして、そして一緒に歳をとっていきたいんだ」

 フィンマルケンの言葉に最初に表情を変えたのはエルデであった。微笑が一瞬崩れたのだ。だがそれに気付いた者はいなかった。


 ハーモニーは落としていた視線をゆっくりと上げ、その上気した顔をフィンマルケンに向けると、小さな声で一言だけつぶやいた。

「はい……」

「うおおおおおお!」

 それは本当に小さな声で、耳を澄ませていなければ目の前のフィンマルケンにすら届かない程の「はい」であった。

 だがもはやフィンマルケンにとって声の大小などどうでもいい些細な問題であった。腹の底からひねり出したようなうなり声を上げると、たった今婚約が成立した相手、つまりハーモニー・エッシェを思い切り抱きしめた。

「ありがとう! エッシェさん」

 フィンマルケンは感極まって何度も何度も抱きしめなおすと、ハーモニーにそう言って礼を述べた。


「いや、そこで『エッシェさん』はないんじゃないかな」

 そう言うエイルの肩に、エルデはそっと自分の頭を載せてきた。

「こういう時に無粋な突っ込みは無しや。というかそれはハーモニーが抗議すべき言葉やな」

「だな」

 エイルはそう言ってうなずくと、エルデの肩にそっと手を回した。

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