第六十五話 三千年前の別れ 1/5
その時の表情。
クロスと呼ばれる少年の、自分を見つめる表情を、私は一生忘れないだろう。
そう思っていた。
それは怒りを暴発させ、目の前にいる少年の命を奪ってしまった自分への縛めのつもりだった。
それまでの日々を、私はただ優しさに包まれて育ってきた。自分に、いやそんな自分を含む「世界」に徒(あだ)成す存在があるなどと考える事など無く。
だからそんな私にとって、クロス・アイリスの存在はそれだけで大きな衝撃だった。
生まれて初めてこの世界には敵というものがいるのだという覆しようのない事実を認識する事になったからだ。
同時に私の中に今まで存在すらしなかった恐怖と怒りと憎しみという感情がが同時に発生し、あっと言う間に小さな体を満たし、爆発させたのだ。
いや。
私は自分の感情に溺れたのだ。
だから「それ」すなわち衝動は、小さな私の体に収まりきれず、あふれ出た。そしていとも簡単に「お継ぎ様」である私は、その「衝動」に支配されてしまったのだ。
幼いながらも他人の命を奪う事は「いけないこと」だという認識はすでにあった。
同時に自分の大切な人の命を守るためなら「仕方ないこと」だという言い訳を構築するだけのずるさも知っていた。
自己防衛本能という都合のいい言葉を使えば許されるのだろうか?
つまりあの時、私は簡単に「たが」を外してしまったのだ。
細かいやり方などはわからない。誰からも教わっていないのだからわかろうはずもなかった。ただ目の前にいた「排除すべき対象」を焼き尽くしたいと思っただけだった。
とはいえ自分にはまだ、直接的にそんな力などないことはわかっていた。だから「そこにあったもの」を使った。
私はそれを「当たり前にできる事」と信じて疑わなかった。
あの時、私はそこにあった武器、すなわち炎を能(よ)く操る強力なエクセラーを「使った」だけだ。
武器の名を呼び、自らの意思をその名に込める。
私がやりたい事はそれだけで叶うはずだったからだ。
そしてそれは結果として「正しい」使い方だった。
私は【真赭の頤(まそほのおとがい)】の名を呼び、その者の持つ炎の力に自らの意思を伝えた。
「目の前の敵を燃やし尽くせ」と、頭の中でただ叫んだ。
そしてシグルト・ザルカこと【真赭の頤】は、その持てる最大の力を使い、人の胴体ほどもある太い火球をクロス・アイリスに向かってぶつけたのだ。
そう。それが「あの時」だ。
私が【真赭の頤】の名を呼んだ一瞬後にはもう、クロスという名の少年の腹は火球により消滅していた。いや、腹を中心に体を上下二つに分断されたと行った方が適切であろう。
自分に何が起こったのかを理解するまでもなく、アルヴの姿をした少年は息絶えた。
そのはずであった。
信じられないと言った表情でこちらを見ているクロスの顔を、私は忘れない。いや、忘れてはいけないと思っていたのだろう。どちらにせよ私は、クロスから目を背けず、驚いた表情をじっと見つめていた。
そして自分に言い聞かせていた。
(これでいいんだ)と。
「やれやれ」
私は声を聞いてまばたきをした。
いや、そんな感覚はなかった。まばたきをしたのだろうと後で考えたのだ。
「え?」
ついで我が目を疑った。
目の前にクロスが居る。
全くの無傷で。
そしてその時の私は確信した。
これは夢だと。
悪い夢を見ているのだろうと。
そしてまだまだ幼かった私はすぐに混乱してしまったのだ。
「夢はどっちなのか」と。
「どっちが夢なのか」と。
私が少年を殺してしまったのが夢?
それとも平気な顔で、服にコゲあと一つなく平然とした顔で宙に浮いている少年の姿が夢の中なのだろうか?
言葉を失っている私の前に「白さま」、いや母レティナが立った。そしてすかさずクロスに向かって両手を広げてルーンを唱えた。
防御ルーンだ。
だが少年は動かない。
「驚いたよ、レティナおばさん」
穏やかな口調は変わらないが、少年の表情は険しかった。
「僕がどれくらい驚いたかわかるかい? そうだね、レティナおばさんが【先代の深紅の綺羅】を殺したって知った時よりも驚いたよ」
「そんな事」
母の声はしわがれていた。
「たぶん……私達の方が驚いているわ」
母はそれだけ言うと、私をチラリと見た。
そして小声でこう告げた。
(私の後ろに隠れているのよ)
「知らずにアレを使ったという事かい? そんな小さな子が? まだ『名前』もないただの子供なのに?」
「名前はあるわ。私はエイルよ」
あまりに幼い私は、自分に名前がないと言われて思わずそう怒鳴った。
侮辱だと捉えたのだろうか、それとも母につけてもらった自分のその名を自慢したかったのだろうか。
もちろんクロスの言う「名」とは十二色の王の名の事だ。賢者の名のようだが、亜神は賢者と違い王しか色の名を持たない。もともと賢者の名とは、つまりは十二色の王の名を模したものなのだ。十二色にあやかって、自分達にもいろんな色つけ、十二色に少しでも近い場所にいる「つもり」になっていたのだろう。
だから本当に血族のみが継ぐ十二色とは違い、賢者の名は一族が継ぐわけではなかった。
私はエイミイの王【白き翼】の「お継ぎ」だ。レティナ母さんが今上の【白き翼】で、私はまだ王ではないから名を持たない。ただのエイミイ一族のエイルなのだ。
「エイルか。良い名だな」
それはおそらく私にかけた言葉だったのだろう。
クロスは続けて母に向かってこう言った。
「皮肉にも程があるね、レティナおばさん。『癒やす者』という名を持つハイレーンが、僕の腹にいきなり風穴をあけるとはね」
皮肉めいた声色はむしろクロスのものであった。
「自己修復能力か?」
炎精……いや、父が母に尋ねた。クロスの傷が癒えた理由を尋ねているのだろう。つまり私は確かにシグルトに火球を撃たせ、クロスはそれにより腹部をごっそりと失ったのだ。
「『ケラタ・タカイシン』」
「え?」
厳しい表情のままで答える母に、オウム返しに私が尋ねた。
「けらた・たかいしん?」
「あの子が持っている『能力』よ。命に関わるようなことがあると、あっと言う間に少し前の無事な姿に戻ってしまう」
母は私ではなく父に向かってそう答えた。
「それが【黒き帳】の『神の空間』か?」
「違うよ、サラマンダ」
父の投げかける質問には【黒き帳】自身が答えた。
「これは僕だけが使える『力』だよ。アイリスの王が後生大事に受け継ぐ、あのつまらない力と一緒にしないで欲しいものだね」
それを聞いた私は、子供心に絶望を感じていた。なぜなら母の話が本当なら、目の前の少年は「無敵」だからだ。それくらいはその時の私にもわかった。いくら致命傷を与えても「元に戻る」のだから。しかも私が見た限り、詠唱など全く無しにだ。
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