第六十四話 木漏れ日の下 1/3

「まあ、どっちにしろ依頼とやらが終わったら、このカネは熨斗(のし)つけてたたき返したるけどな」

 軽い眠りに落ちていた二人は、夜半頃、ほぼ同時に目を覚ました。

 そんな些細な事が嬉しかったのか、エルデはまたエイルを求めてきた。少しして訪れたけだるく満ち足りた時間に包まれながら、エルデは鼓動を確認するかのようにエイルの胸に顔を載せていた。甘い一時をさらに確実なものとして実感しようとしているかのように。

 セッカは既に部屋から消えていた。それはいつものことで、エルデが敢えて命令をするまでもなく用が無くなるとみるとどこへともなく消えるのだ。

 本人曰く「わきまえている」のだそうだが、どちらにしろそれは双方にとってよいことであろうことは想像に難くない。


 一つの夜具にくるまったまま、二人はいつものようにとりとめの無い会話をしていた。話題はやがて直面する現実に戻り、エルデはミリアから渡された巾着袋を持ち上げてぶらぶらと揺らしつつ、スノウ・キリエンカが施したという白い四連の薔薇の刺繍を眺めていた


「まあもっとも今回みたいな『必要経費』については遠慮無う使わせてもらうけどな」

 そんな宣言をするエルデに、エイルは思わず小さな笑いを漏らした。

「なんや? 何がおかしいん?」

「いや、お前さえ自重したら『不必要経費』は使わなくて済むんだが」

「えー? そやかておかげで欲しい情報があらかた仕入れられたやん? それもすんなりとやで? ここは『ようやった。やっぱしオレのエルデは世界一の策略家やなー』 とか言うて頭ナデナデでして、めっちゃ褒めて甘やかして欲しいわ」

 エルデは文字通り甘えるような……いや、完全に甘えた声でそう言うと、顔を再びエイルの胸にすりつけた。その刺激でエイルは今度は違う種類の笑い声を上げた。

「やめろ、くすぐるな」

「そんなん言われてやめるわけないやろ。ほれほれ」


 エルデの言うとおり、いきなり従順になった宿の主人は、「迷いの森」の情報を快く提供してくれた。もっとも彼の中に拒否するという選択肢が存在したかどうかは不明であるが。

 エルデ達が知りたかったのはこれから行く予定の経路にある危険の有無、そしてなによりエーテル濃度の分布であった。多少遠回りになってもエーテルの濃度が高いとわかればそちらを選ぶつもりだったのだ。

 だがもちろん「エーテル濃度分布図」という都合のよいものは存在しなかった。結局のところ宿の主人の話は噂に厚みを持たせる程度の効果しかもたらさなかったのだ。すなわち迷いの森の中では「エーテル濃度は極めて流動的」だという事である。だが、それで諦め、いや覚悟が出来たとも言える。エイル達はいっそう気を引き締めてこのやっかいな旅と向かい合う事を改めて確認し合ったのだから。


 非エーテル地帯について宿の主人は言う。

「霧や雲みたいなものだ。刻一刻と変わると聞いてる。オレはルーナーでもフェアリーでもないから実感したわけじゃないが、それが『ここ』の『常識』だ」 と。

 だががっかりするような話ばかりでもなかった。

 固定的、つまり恒常的にエーテルが存在する「場所」が点在しているという。多くの集落はその「エーテル地帯」を基点として成立してきた経緯があるそうだ。もちろん町全体を覆うほどのエーテル地帯は存在せず、川面に上がる水蒸気のようにある程度の揺らぎもある様だが、少なくとも集落に入ればルーンが使える可能性があるということである。言ってみれば共用井戸のようなものなのかもしれない。

 どちらにしろ集落に入ればルーンが使える場所がある事がわかっただけでも収穫はあった。ルーナーにとってそれは心強い情報だ。

「お前さん達、本当にこの森は初めてなんだな」

 かなり細かい点まで根掘り葉掘り尋ねるエルデ達に、宿の主人はなぜか途中から俄然協力的になって、能動的に情報を伝え始めた。

 集落の中でルーンが使える場所は、たいていは囲いや建物が建っており、単純に誰でもが利用できるようにはなっていないこと。

 そもそもそのエーテル地帯が「利権」の対象である事。

 多くの場合、よそ者がエーテル地帯を使うには相応の供出、つまりカネがかかる事。

 そして予想通り一見の客にはまず立ち入りは許可されないか、法外な金額が提示されること。

「一泊目が千エキュのこの宿みたいに、やな」

 エルデの嫌味に主人は頭を掻いたが、本人の話を信じるならばその主人が飛び抜けて「ごうつく」だというわけでもないようだ。訳ありの人間ばかりが暮らしている特殊な地域である。彼らは未知の人間を極めて嫌うのだ。だから初めて森に足を踏み入れる者は間違いなく森の事情に通じた「案内人」を伴うのが常識なのである。運び屋達はそんな仕事も請け負っているのだという。


「オレは有毒の霧というヤツが気になる」

「そやな。火山性ガスの一種なんやろうけど、アレばっかりは確かに危険やな」

「幻影を見て仲間同士で殺し合う事があるなんて洒落にならないよな」

 宿の主人の話を聞けば聞くほど、横断にしろ縦断にしろ迷いの森を長く旅するのは想像以上に危険である事がわかってきていた。

 もちろんエルデのルーンやエイルのフェアリー、いやエレメンタルとしての能力が使えないことが前提になるからだ。亜神としてのエルデの膂力(りょりょく)は頼りになる要因ではあったが、人が相手でない場合、エイルの先読みの力も剣技も一切何の役にも立たない。むしろ幻を見るようなガスを吸って錯乱し、仲間を敵だと思い込むような事態になれば結局のところ剣技や必要以上の力はむしろ危険と言えるだろう。


「ウチが錯乱してアンタを襲ったりしたら……」

 エルデはエイルの胸に顔を埋めながら言う。

「ゼプスでサクっと首をはねてな?」

「ばーか」

 エイルはそんなエルデの頭を片手で抱きながら、空いた方の拳で形の良い後頭部をコツンと叩いた。

「冗談でもそんな事は言うな。そのあとで正気に戻ったオレを暴走させてファランドールを滅亡させたいのか?」

 返事はない。

 明るい調子で言ったつもりだったが、確かにエルデが言うような事態にならないとも限らない。おそらくエルデは冗談めかしてああ言いながらも様々な状況を頭の中で展開しつつその解決策を探っているのに違いない。

 違いないのに、即答しないということはまだ解がないという事なのだろう。エイルにしても解決策の糸口さえ見えてはいないのだ。

 あらかじめガスの効果を防ぐ服用薬や「顔当て」を売っている集落もあるというが、それで助かったという人間の話を聞いたことがないという。要するにそんなものは気休めなのだ。

 もっとも宿の主人の言う事を信じるならば、危険な毒ガスが出やすいのは目的地に近い一帯だけのようだということが救いではあった。


「よう考えたら」

 少し経ってからエルデがつぶやいた。

「ゼプスが自由自在に使えたら、エアでもイケるっちゅう事か」

 妖剣ゼプスの仕組みについて、エルデにはエルデなりに推理をしていた。

「ミュインモスとゼプスは対になっている存在」

「ルーン由来の力をゼプスは有している」

「持ち主であるエイルはルーナーではない」

 これらの現象からエルデが導き出したゼプスの正体は、「一種のルーン遠隔出力装置」というものだった。ミュインモスは入力装置で、空間を越えてゼプスへと繋がっているのだと。

 引き出されるルーンは出力装置であるゼプスの持ち主の意思が反映されることから、強い思いがミュインモスに伝わり、「向こう側」のルーナーがそれを唱えるというものだ。

 ほぼ正解に近いエルデの分析であったが、そうであればエアであろうとミュインモスの出力機能は働くのではないかというのだ。

「なるほどな。試してみるか?」

 エイルはそう言うと上体を起こしかけたが、エルデがそれを止めた」

「どうした? こういうのは『善は急げ』だろ?」

 エイルがいぶかると、エルデは顔を上気させて目を逸らした。

「ひょっとしたら……」

「ひょっとしたら?」

「こっちの状況が向こうに筒抜け……とかいう仕組みも考えられるやろ?」

「こっちの状況?」

 オウム返しにそう言ったエイルだが、すぐにエルデの言わんとする事を理解した。

「確かにこの状況をラシフさまに見られるのは恥ずかしい……かな」

「刺激が強すぎてぽっくり逝ってまうかもしれんし」

「おいおい」

 互いに顔を見合わせると二人は同時にクスクス笑いをはじめ、その声はしばらくの間寝室に満ちていた。

 微かな違和感と言葉に置き換える事ができない不安を喉に刺さったトゲのように知覚してはいても、思えばその時のエイルは今までで最も幸せな時間の中にいたと言えるだろう。

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