第六十三話 餞(はなむけ)の効果 5/5

 エルデが殺すのはエイルなのか、はたまたエイルが「見とれた」相手なのか、エイルは敢えてそれを尋ねるのはやめた。

「さすがにそれは嫉妬深すぎるだろ」

「嫉妬して何が悪いんや?」

 聞きようによってはその言葉は相当に赤裸々な気持ちの発露であろう。エイルはそれ自体、悪い気はしなかった。一連のエルデの「過剰表現」の流れだと受け止める事にした。

「それとも何か? アンタはウチが客に色目使ても平気なんか?」

「使うのかよ?」

 反応してから、エイルは思わずそういう場面を想像した。即座に黒い気持ちが湧き上がるのを感じた。

「使うワケないやろ、このスカポンタン! ウチをなめんな」

「オレだってお前以外に見とれたりしないって」

「それは全っ然、信用でけへん」

「えええ? オレってお前にどんだけ信用されてないんだ?」

「ソレとコレとは別や。アンタの事は信用しているけど、かわいい女の子に目がないっちゅう点についてはこれはもうどうしようもないな。病気や。そやからウチはずっと前から色々と対策を練ってはいるんやけど、コレというのがなかなか」

「対策って……」

 エイルは思わず音を立てて唾を飲み込んだ。

「聞きたい?」

 ニヤリと笑ってそう言うエルデに、エイルは思い切り首を左右に振って拒否する旨を伝えた。もちろん、嫌な想像しか浮かばなかったからだ。

 これ以上この話を引きずるのはまずいと考えたエイルは、無理矢理話題を変える事にした。


「『ぜんざい屋』もいいけどさ、オレはパン屋がやりたい」

「ほー?」

 案の定、エルデは食いついてきた。もっともエイルとてこの話題が気に入っていたのは確かだ。だから口にしたことは本心であった。

「ぜんざいだけだと飽きられたらアレだ、先細りというか。だから毎日必要なものがいいと思うんだ」

「それでパン屋なんか?」

 エイルはうなずいた。

「今思いついたんだけどさ、オレって実はけっこう本気でパン屋がやりたいのかもしれない」

「今かい!」

 エルデはそうつっこんだが、その表情は嬉しそうだった。

「でもパン屋とか街には必ずあるし、新たに参入とかすると客を取ったの取られただので人間関係とか色々めんどくさそうやな」


 エルデの指摘はもっともだ。だがエイルはその言葉にもエルデという娘の変化を感じずにはいられなかった。以前のエルデならば間違いなく「他のパン屋の事とか知るかいな。勝負や!」 と鼻息の荒い事を言ったに違いない。「他との関係」を真っ先に気にするエルデなど、昔のエルデを知る人間、例えばアトラックなどに聞かせたら目を丸くするに違いないだろう。

 おそらくエルデは今、真剣なのだ。「そうなった時」の事を頭の中で模擬展開し、生じるであろう問題に真剣に向き合っているようにしかみえない。まるで二人で店を始める事が既定の事実のように。


「だな。オレも先住のパン屋にいきなり喧嘩を売るつもりはないさ」

「ふーん、考えがあるっちゅう事か? エイルのくせに?」

「『エイルのくせに』は余計だ。もちろん考えはある。まあ聞け」

「うん。聞いたる」

 エルデはそう言うとエイルの横に腰掛けた。その仕草や表情からは本当に上機嫌なのがわかる。

「考えてもみろよ」

 ピッタリと密着したエルデの柔らかい感触と心地良い体温を楽しみながら、エイルも同様に上機嫌な口調で答える。

「お前のおかげでオレはファランドール中をけっこう歩き回ったわけだ」

「そやな。全部の大陸に渡ったし、残ってる主だったところはツゥレフ島くらいかな」

「うん。つまりいろんなパン屋を見てきたわけでもある」

 エルデは頷く。

「翻ってオレは誰だ?」

 エイルはニヤリと笑ってエルデに挑むような表情を見せた。

「むう」

 謎をかけられたことがわかったエルデだが、その謎の答えがわからない。その素朴な苛立ちが無意識にふくれっ面を作った。そんな自然な表情を見せるエルデを、エイルは思わず抱きしめたくなった。そのままベッドに押し倒して貪りたい衝動に駆られたのだ。それほどエルデの仕草や表情はエイルの心を虜にした。


「オレはフォウの人間だろ?」

 自分の衝動を抑えるようにエイルは小さな助け船を出した。

「そうか!」

 案の定、それだけでエルデはエイルの出した謎を解く事に成功した。

「フォウのパンを売るんやな?」

 エイルはうなずいた。

「それは名案や。で、ファランドールに無うて、フォウで人気で、こっちで売れそうなモンがあるんか?」

「そりゃもう、いくらでもあるぞ。中でもまず押さえるべきはカレーパンだな。あれはもう、絶対に売れるぞ」

「カレー?」

「ん。そうだな……」

 ファランドールでは未知の料理について説明する困難さをエイルはこれまで何度も経験していた。最近はベッドでの会話の多くがフォウの文物についてで、毎晩エイルはエルデの質問攻めにあっていた。

「激辛シチューから『激』を抜いて、いろんな香辛料を加えて味を複雑にしたようなものかな。ちょっと独特な味と香りなんだ」

 それを聞いたエルデはエイルの提案に難色を示した。

「そやったらシチューパンではアカンのか?」

 想像したらしい。そして今ひとつだと結論付けたのだろう。しかしエルデは自信に溢れた顔で断言した。

「いや。絶対に売れる。いいか、そもそもオレはパン職人じゃないんだ。最初から単純にパンで勝負できるわけがない。でもカレーパンならパンの優劣はさほど重要じゃない」

 エイルのその発言はおよそフォウのカレーパン職人に対する冒涜とも言えるものだったが、本人には一切悪びれたところがなかった。


「パンの方はまあ、商売を続けながら腕前を上げるさ。いや、むしろパンの部分に関しては職人を雇ってもいいな。オレはカレー作りに注力する。カレーパンがあたったら、後はそう。焼きそばパンに焼きめしパンあたりだな。これならオレでもすぐに行ける。その後はあんパンとかメロンパンとか、パンの存在感の割合が大きめなものに挑戦していけばいいんだ」

 だんだん熱を帯びてきたエイルの顔を、エルデは本当に楽しそうに見つめていた。エイルはしかしそんなエルデの笑顔を見て、ある事を思い出して突然口をつぐんだ。

「どうしたん?」

 いきなり顔を曇らせたエイルに同調するかのようにエルデからも笑顔が消えた。

「……すまん」

「え?」

 苦しそうな表情で目を逸らしたエイルにエルデは不安げな声を投げた。

 一見唐突な情緒の落ち込みに見えたが、エルデはすぐにそんなエイルの心理に追いつくことができたのだろう。

「おおきに。でも、気にせんといて欲しい」

 優しい声でそう言うと、エルデはそっとその手をエイルの胸に置いた。

「アホやな。そんな気遣いは要らんねん。いつも言うてるやろ?」

「無理言うな」

 エイルはエルデに味覚がない事を忘れてしまう自分が許せないのだろう。そう言うと悔しそうに自分の膝を拳で叩いた。

 エルデはそんなエイルに横合いから抱きついた。その勢いで二人はそのままベッドに倒れ込んだが、エルデは起き上がろうとするエイルを押さえつけ、唇を重ねた。


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