第五十九話 運び屋組 4/4
思ったよりも内部は広い店だった。それなりの喧噪もあり、入り口付近のちょっとした小競り合いは大声での応酬がなかった事もあり、特に注目されなかったようであった。あの程度はひょっとすると日常茶飯事のようなものかもしれない。
「素晴らしい機転です」
「だから言っただろう? こういうことがあるから男一人女三人はやめといた方がいいって」
「それは一理ありますが、私が言ったことも覚えてますか?」
「え?」
「ここがシルフィードならいざ知らず、ウンディーネを旅する場合、ファルでは目立ちすぎるんです」
アプリリアージェの言うとおりだった。店の奥まった所にあるカウンターに向かう一行は、主にファルケンハインの体躯のせいで徐々に注目を集めていた。注意深くその顔を見た者は、左右で色の違う茶色と空色の瞳を見てさらに驚いているようだった。
「私のせいじゃないでしょ? もともとは誰かさんのルーンの効き目がおかしいからこうなったんだから」
「それは私も驚きました」
ファルケンハインに扮したセッカは小さくため息をついた。
「だから私は迷いの森なんかに近づきたくなかったんだ」
セッカのぼやきを背後で聞きながら、エイルはエルデのルーン不調が迷いの森の影響だという推理が確信に変わるのを感じた。
エイルが宿の場所を変えて出直す選択肢を提案したが、アプリリアージェが即座に却下した。かえって目立つというのだ。予想以上に不穏な町なのはもはや明白である。騒ぎが起きていない以上、これ以上妙な動きはしない方がいいという意見に、エイルも従った。
部屋は空いていた。エイルとエルデ、アプリリアージェとセッカという組み合わせで二部屋とるのも、もう習慣であった。
一行は相場より相当に高い前払いの宿代を何も言わずに払った後、すぐに部屋には入らず、そのまま食事をとることにした。もしもの事があれば、即座に逃げる手はずになっている。いったん部屋に入って剣や荷物を置くと回収が面倒になる。だからそれも彼らの旅における定番の行動であった。
丁度いいぐあいに少し奥まった目立たない場所にあるテーブルが空いた事もあり、一行はそこに腰を据える事にした。
情報収集というわけではないが、テーブルに着くと一行はまず聞き耳を立てて店内の様子を伺うのが常だった。基本的には客層、いや客の中に自分達にとって宜しくない相手が存在していないかを観察するためである。
各テーブルでそれぞれ語られている話題の多くはどこも同じ、すなわち戦争がらみの話題、だいたいは各地の荒廃ぶりについての情報交換が主であった。残念ながら各国の軍の動きについての話題は特になかったが、変わったところでは少し前に町はずれで見つかったという首なし殺人の犯人に関する憶測で意見を交わしているテーブルがあったくらいであろうか。
どちらにせよ、既にエイル達一行に意識を向けている者はいないようであった。
エイルは小さくため息をついた。今夜のところはこのまま何事もなく過ごせるだろうと、安堵したのである。
だが、それは出されたビールをアプリリアージェが一気に空にした時に起こった。
それは客が店の給仕女にちょっかいを出した事による、よくあるいざこざだった。
そういう場合、あまり客がしつこいようだとこの手の店が雇っているであろう用心棒が出てきて事を収めるのが普通だが、用心棒役の男はあろうことかその客に簡単に「のされて」しまったのだ。一対一であれば用心棒もそれなりの仕事が出来たのだろうが、客側は複数いて、事態の収拾に乗り出した用心棒の背後から椅子で殴りかかった。
この騒ぎにはさすがに店内全体が騒然とした。
「バカにしてんじゃねえぞ。さっきからその派手な男につきっきりでこっちが呼んでも全然来ねえじゃねえか。こっちもボッタクリの値段に文句も言わず、ちゃんとカネ払っている客なんだぞ、いい加減にしやがれ、このアマ!」
どうやら本人にはそんなつもりはなかったのだろうが、ちょっと身なりがよく、同時にけっこう羽振りが良さそうな若いデュナンが、店の若い女給仕を侍らすように独り占めしていたようで、それを面白く思わない客が結託して事を起こしたと言ったところだった。
「あかんで」
エルデのけん制に、エイルは頷いた。
「ああ」
客の怒りは店の女給仕から件の「派手な服を着た羽振りのいいデュナン」に向かっていることはエイルにはわかっていたからだ。
「あの兄ちゃん、運がねえな。あいつら『運び屋組』の連中だろ?」
「ああ。素直に金払って土下座すれば助かるだろうが、下手したら明日の明け方には町の外で冷たくなってるだろうな」
近くのテーブルのやりとりから、因縁をつけている連中はたちが悪い集団の構成員であろうことがわかった。エイルはかわいそうなデュナンの客の様子をもっとよく見ようと首を巡らせて、カウンターの奥に目をやった。
確かに旅装としては派手な色使いの服を着たデュナンの青年がそこにいた。
青年の方は一人のようで、自分が窮地に陥っていることを自覚しているのかしていないのか、顔には笑みを浮かべていた。
焦げ茶色の髪は長く、後ろで無造作に束ねられている。珍しい事に、その青年は眼鏡をかけていた。エイルはファランドールにきてからこっち、ほとんど眼鏡をかけている人間に出会った事がなかった。メガネに供するガラスを生成するのに求められる技術が高いため、この当時は相当に高価なものであった。
「おいてめえ、何へらへら笑ってんだよ!」
エイルの目からも、確かにへらへらと笑っているように見えた青年に、『運び屋』の怒声が飛んだ。
「あ? 聞いてんのかおめえ!」
別の仲間が青年の背後からそう声をかけると、後から青年を羽交い締めにした。前にいた別の仲間は青年の前にゆっくりと仁王立ちになり、いつの間に抜いたのか短剣の刃を青年の頬に軽く押しつけた。
「やだなあ。そんなぶっそうなものはしまって下さいよ。ここはホラ、冷静に話し合いましょう。人間なら話せばわかりますからね。ボクの方としてはそんなつもりはまったく無かったのですが、結果として彼女たち全員を話相手として独占してしまった事は事実ですし、店の業務に支障をきたした事に対しては責任の一端は確かにあります。そこでこういうのはどうでしょう。ボクがここに居る皆さんにワインを一杯ずつ、いや一樽奢りましょう。それを呑んでみんな仲良く酔っ払う。そう言う感じでここは一つ手を打ちませんか?」
青年はそう言うと掌を見せ、握り持っていた革の小さな巾着を示した。
「ウソじゃないですよ。ワイン一樽分くらいはここに持ち合わせがあります。これでパアーっと行きましょう。だからそのお嬢さん達は離してあげて下さいよ」
青年の言うお嬢さん達とは、三人いる女給仕達だった。言われてエイルは改めて彼女たちの様子を見ると、それぞれが『運び屋組』に後から羽交い締めにされており、皆怯えた表情で震えていた。
眼鏡の青年の前に立ち塞がっている無精髭の男は、差し出された革袋をひったくると、さっそく中を検(あらた)めた。
「それで足りないようなら、ほら、あそこにも」
青年はそう言うと、自分がいる席の真上、つまり店の天井を指さした。
全員が視線をそこに向ける。そしてほぼ同時に全員が小さく声を上げた。
「え?」
そこには金貨と思しき硬貨が一枚、張り付いていたのだ。しかも普通の金貨ではなく、かなり大振りなものであった。
「それでも足りないなら、ほら、そのビアグラスの下にも一枚」
青年は今度は自分が飲んでいたグラスを指さした。
運び屋がグラスを上げると、青年が言ったとおり、これまた大振りの金貨が一枚置かれていた。
「てめえ、手品師か?」
無精髭の男は青年の正体に気付いて鼻を鳴らした。
「なんだよ、偽物かよ」
金貨は通常流通しているウンディーネやドライアドのものより相当大型で、直径がざっと二倍ほどあった。つまりウンディーネの通貨でないのは一目みれば明らかであった。最初は驚いていた運び屋達だが、自分達がからかわれたことに気付くと怒りを増長させた。
「ふざけんなよ、兄ちゃん。おめえ死にてえのかよ?」
青年を羽交い締めにしていた男が、その手を首に置くと力を入れた。
「いやいや、ボクはふざけてなんていませんよ。金貨は本物ですって。まだたくさんあります。欲しいんだったらまずは彼女たちを解放してもらえば……ぐえええ」
男が首をさらに締め付けると、涼しい顔をしていた青年もさすがに苦しげな声を上げた。
「おい、お前ら、このお兄さんが女共を解放しろだとよ」
「あいよ。解放するわ」
声をかけられた仲間の一人はそう言うと、羽交い締めにしていた腕を下ろすと、今度は両手で胸を掴んだ。
悲鳴が上がる。
「ほら、『介抱』してやったぜ。なーんちゃってな。こら、可愛がってやってるんだからあばれるんじぇねえよ」
男はそう言うともがく女給仕の髪を掴み上げ、乾いた音を立てて往復で頬を打った。軽く叩いたわけでないのは音の大きさと、悲鳴すら上げられなかった女の表情でそれとわかる。
「ホラホラ、開放してやったぜ。これでいいんだろ、兄ちゃん」
青年の首を絞めていた男はそういうと、頬に押しつけていた刃を立て、何のためらいもなくそれをスッと引いた。当然の帰結として青年の頬には赤い筋が生まれ、そこから細い筋が二筋、要するに血が顎を伝ってカウンターにしたたり落ちた。
「やめて!」
同時に悲鳴があがる。別の女給仕の声だった。見れば運び屋の男の一人に服をむしり取られようとしていた。
「抵抗すんじゃねえよ。俺達に逆らうより素直に従った方が身の為だぜ? お前もこの町に住んでるんなら俺達に逆らうことがどういう事かもうわかってるだろ?」
「嫌ーっ」
それでも抵抗する女の頬を男が叩く。今度は鈍い音がした。拳で殴ったのだろう。堪らず女給仕は後に倒れた。
「やめて! その子のお腹には赤ん坊が居るんだよ!」
その様子を見ていた別の仲間の女給仕が怒鳴った。もちろん「運び屋組」の男がその女給仕の頬に拳を下ろした。
店内に悲鳴が響いたすぐ後、エイルの視界を薄茶色の布地が遮った。
エイルがその正体に気付いた時には、もう遅かった。
「やめや!」
瞳髪黒色の美しい少女が、三色の木で撚られた精杖を手にして立っていた。
エイルはその後ろ姿を見ると覚悟を決め、腰の妖剣ゼプスの柄に手をかけた。
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