第五十八話 父と娘 3/6
カノナールはラウの言葉の意味を理解するのに数秒要したようだった。そして驚いたような顔でエコーを見た。そこには顔を真っ赤にした「姉」がいた。
「姉さん?」
「な、何よ」
「求婚って……」
「い、いきなり婚儀とかそう言う話じゃなくて……というか、カノン、あんた本当に全く全然これっぽっちもい気付いてなかったっていうの?」
「えっと、何を?」
「何をって……あんたどんな神経しているの? おかしいでしょ? 鈍すぎるでしょ? 本当に人間なの? というか、男? いや、女装させてる私がこんな事を聞くのはおかしいのかな。そっか、私はおかしいのか。おかしいんだ。あ、違う違う。そう言う事じゃないのよ、なんていうかその……いや、違う違う。また自分で勝手に納得するところだった」
途中から声の調子が落ちて、視線も下がり最後は独り言のようになってしまったエコーだったが、不意に顔を上げると目を吊り上げてカノナールをにらみ据えた。
「なんか、だんだん腹が立ってきた」
「え?」
「え? じゃない。男なら男らしく答えなさいよ。どうなのよ」
「どうって」
カノナールはエコーの剣幕に押されて、目を泳がせると事の発端であろうと思われるラウに助けを求めた。
ラウはしかしカノナールの視線をはずすとエコーに声をかけた。
「お前の申し出は人手が欲しい折、実のところ私としても助かる。だが自分が思っている事を言葉にして相手に確実に伝えられないような女は願い下げだ。そんなやつはかえって仕事の妨げになる。少なくとも私は要らん。だからどうしても手伝いたいというのなら、まずはその鈍感な『美少女』にはっきりと自分の意思を伝えてみせろ」
エコーには外部からの後押しが必要だった。自分から思いの丈をぶつけるなど、エコーでなくても年頃の娘がそうそうできるものではない。ましてやエコーにとっては初めての経験なのだ。もとよりラウにはエコーのような気持ちになった経験はまだなかったが、いや、なかったからこそ真っ赤に上気した娘に必要なものは一歩踏み出す勇気だということは理解できていたし、そうすべきだという信念を持てた。だからこそ勇気を出すきっかけを与えたのだろう。
「私は……あんたが好きなのよ!」
きっかけを掴めば、後は勢いが後押しした。
「そうよ、大好きなのよ。そりゃもうメロメロなのよ。毎晩あんたの事を思って眠れないほど惚れちゃってるんだから。だから責任とれ。離れるなんて嫌。離れたらきっと死んじゃう……。一緒にいたい。そう言ったのよ。ねえ、気付いてよ、この馬鹿カノン」
今にも殴りかかりそうな形相で、真っ赤な顔のエコーはカノナールにそう怒鳴りつけると腰が抜けたのか空気の抜けた風船のようにしおれてその場にへたり込み、声を上げて泣き始めた。最高潮に高まった緊張の糸が切れたのだろう。それが涙となって湧き上がったのだ。
カノナールとて、エコーのことが嫌いなわけがなかった。男女間の感情とはまた違う種類の「好き」だったが、それでもその強い好意はきっかけさえあれば劇的に変化する。いや変換すると言った方がいいのかもしれない。それが人間の感情というものなのだろう。 エコーにとって、いやそれはカノナールにとっても同様だが、ニームに対するカノナールの慕情がまだ微かであやふやな段階だったことが幸いしたと言うべきであろう。下手をするとなまじ好意を持っているエコーがニーム亡き後を狙って行動を起こしたと捉えてしまうと、好意は憎悪に容易に変容する可能性があった。
ともあれ戸惑いながらも一緒に居ることを受け入れたカノナールは、子供のようになきじゃくる「姉」であった女性をたどたどしく抱きしめたのだ。
「でもあの後、ファルまでピクサリアに残ると言い出したのにはびっくりしたな」
「いや、ファルの決断は正解かもしれへん。ティアナを変に連れ回すより一カ所に留まった方がええと思う」
エルデがそう言うとラウがそれを支持した。
「ファーンや私も居ますから、多少なりともあの子の無聊を慰められるでしょうし」
「そうだな。でも、触られないようにしないといけないのが辛いところだよな」
「その事やけど」
エルデはティアナのキャンセラー能力について、その回避方法をずっと考えていた事を明かした。
もっとも答えは見つかっていないのだが、一つの可能性に通じる道を見つけたのだという。
「それは?」
エルデのその話に俄然食いついてきたのはファーンだった。ファーンはティアナと仲がいい。それだけにティアナに触れられないように距離を置いているのが心苦しかったのだろう。
「ちょっとズルい方法やけど……」
エルデはもったいぶってそう言うと、その「方法」を披露した。
「イオスに聞いてみ?」
「え?」
エルデの考えは極めて単純なものだった。
コンサーラとしておそらく最高峰に立つイオス・オシュティーフェは同時に亜神【蒼穹の台】として「神の空間」をも使える。
ならばキャンセラに対する対策も知っているのではないか。
「少なくともウチの知ってるハイレーン系の防御や防衛、強化に関するものでは対処はムリやと思う。でもコンサーラのイオスやったらどうやろ? 強化の専門家で、しかもシグルトの知る限りでは歴代のティーフェの王の中で最も能力が高いそうや」
「それはそうでしょうけど」
「そのイオスでさえ、ウチが使うハイレーンの力の一部しか知らへん。そやからその逆は当然成り立つ。そやろ?」
ラウとファーンは顔を見合わせた。
「私自身の欲望をこの場で吐露させていただくならば、心憎からず思う相手の周りにある難攻不落の運命の高殿を取り除く可能性を是非もなく追求したく」
ファーンの物言いに、ラウは思わず苦笑を漏らした。
「ファーンはティアナと手を繋いだり、抱きしめたりしたいっていう事ね」
イオスに尋ねると共に、方法があるのならば教えて欲しいと頼んでみるとラウは言った。
「方法があるんやったら教えてくれるはずや」
エルデはそう請け負った。
そもそもティアナがキャンセラである事をイオスは知らぬはずなのだ。知っていたならばイオスはすでにその方法をラウ達に伝えていたのではないかというのがエルデの考えだった。
なぜならイオスの指示で動いてもらわねばならないラウとファーンにとってティアナは障害になるからだ。
もっとも、一番簡単な方法は「障害」を排除する事だ。賢者とはそういうものなのだ。ラウがためらいもなくカレナドリィを「使った」事と何ら変わることはない。だが、今のイオスにそれはないだろうとエルデは言った。
それを言い切れると判断したからこそ、ラウにティアナの事を話すように勧めたのだ。
ラウもエルデの考えに同調した。
「その件なんですが」
「どの件や?」
「その、誤解を怖れずに言えば【蒼穹】さまが多少なりとも情に流されるようになった事に関する話です」
訝しげな表情で続きを促すエルデにラウはさっきから感じていた違和感と、それに関連した憶測を口にした。
「大賢者【天色の楔(あまいろのくさび)】さまの件です。あれはさすがに唐突過ぎる処刑でした」
ニームの話題がラウの口から出ると、エルデはあからさまに顔を曇らせた。
「【天色】さまは本当に処刑されたのでしょうか?」
ラウの言葉にエルデは両の目を見開いた。
「違和感があったのです。そしてその答えが今わかったような気がしました」
「今?」
ラウはうなずいた。
「シグ……いえ、【真赭の頤】に対して【蒼穹】さまが行った処刑の話です」
そこまで聞いたところでエルデとエイルは同時に同じ言葉を小さく叫んでいた。
「龍墓!」
イオスが「いい話」と分類した、その「いい話」は口にはできない事だという。だが龍墓に行けばわかるとも。
おそらく戴く法がある限り、イオスとしては立場上何がどうあっても罰を下さねばならなかったのだろう。そして亜神が下す罰とは命を奪うことだけなのだ。生か死か、選択は二つしかない。無実か、有罪か。有罪であればそれは即処刑なのだ。
「エルデ」
エイルの呼びかけにエルデは大きくうなずく。その顔は明るい。思いは同じだった。
「急ごか」
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