第五十二話 エスカの右目 4/5

 ヘルルーガの話はその言葉で始まった。歯切れは……わるいままではあったが。

「私は、真の意味で彼の……おほん……ペトルウシュカ将軍……ごほんごほん……エスカ・ペトルウシュカ・フラウト将軍と……その……男女のちぎりを交わし、本当の夫婦となった」

 いや、それはあえて言葉にして伝える必要のない情報であろうと、その場の誰もが思った。むしろ聞きたくない類の話であろう。ましてや軍の最高司令官が、王宮前広場に集まった兵達に開口一番告げる言葉としては異例、いや前代未聞のものであったろう。

 だが、すぐに彼らは知る事になった。自分達が命を預けたヘルルーガ・ベーレントが、覚悟をもって夕べの「事実」を告げる必要があったのだと言う事を。

 要するに「表向き」「便宜上」「方便」ではなく、身も心もエスカと一つになったという事実が、ヘルルーガが告げる話の前提として、重要な事柄であったのだ。


「兵士諸君!」

 エスカの手を取り自分の横に並ばせると、ヘルルーガは赤面したまま二四〇〇人の部下達を見回した後、大声でそう呼びかけた。

「冗談でも嘘でもない。私はこの男に惚れた」

 広場はさすがにざわめいた。

 しかし、兵達のうろたえ振りに比べて、幕僚達は極めて落ち着いた態度であった。つまり、幕僚達はヘルルーガが今から話す事をあらかじめ知っているという事であろう。


「もちろん、今ここで私が諸君らに、恥ずかしげもなく惚気話を披露しようというのではない。これから話すのは我らがシルフィード王国にとって、いやこのファランドールにとって極めて重大な事柄だ。だが、その話をする前に、まずは諸君らには別の重要な事を思い出して欲しい」

 幕僚の落ち着きもあったのであろうが、ヘルルーガの言葉を受けた兵達のざわめきは次第に静まり、やがて水を打ったような沈黙がその場を支配した。

 その様子を見たヘルルーガは満足そうにうなずくと、ゆっくりと話し出した。

「重要な事というのは他でもない。諸君らがこの竜巻の部隊章を掲げる軍隊に加わった時の気持ちだ」

 それはゾルムスが昨日、幕僚達相手に使った「奥の手」と同じものであった。

 全ての兵達は、ヘルルーガに命を預ける誓いを立てた。その事を言っているのである。ヘルルーガ自身がその事を口にするのは驚きであったが、実のところその日のヘルルーガがそもそも驚きであったのだから、それに比べればもはやそんな事は些細な問題であった。


 兵士達はもちろん、全員がその事を覚えていた。ヘルルーガに向かって小さく、あるいは大きくうなずく者が大多数であった。

「実に光栄な事だと思う。私は諸君らの信頼に応えるべく、この部隊を導いていく事をここに改めて約束しよう」

 そこまでは士気高揚の為の演説と言っても差し支えない進行であった。

 だが、ヘルルーガの演説が単なる士気高揚の為でない事はすぐにわかった。彼らの指揮官はその次にとんでもない事を口にしたのである。

「知っての通り、私、ヘルルーガ・ベーレントは少将である。シルフィード王国軍の将官には様々な権限が与えられており、特に私はイエナ三世陛下より特別な命を受けている。すなわち、『お前は自由に戦うがいい』というお言葉を戴いている」


 兵達は誰もが息を呑んだ。予感がしたのである。

 敢えて自らの特権を口にするという事は、その特権をまさに今行使するという意味であろう。

「私はこれより、フラウト王国軍と行動を共にする事を決めた。なぜならそれが我が希望の道と重なるものだと知ったからだ。惚れた男に盲目的に従うのではない。それだけは矜持に賭けて誓おう。もちろんこれは私一人の決断であり、諸君らにそれを強制するものではない。すなわち諸君から預かったその命を、ここで持ち主たる諸君らに返そうと思う」

 ヘルルーガは、様子を見るためにいったんそこで言葉を句切った。

 さしものシルフィードの兵達も、ざわめき始めた。無理もない。司令官が何を言わんとしているのかがわからないまま、突き放されたようなものだからだ。しかも根本的に違和感がある話が基本となっているのだから混乱は広がっていった。


 シルフィード王国軍の将官が、国王どころか元帥の命令もないままに単身他国の軍と結託しようと言うのである。しかもたった一夜を過ごしただけの男の軍隊に、である。

 だが兵達のざわめきが拡大する前に、幕僚達が各(おのおの)の部隊に活を入れて制した。直属の上官のその態度を見た兵達は、すぐに落ち着きを取り戻した。自分達により近い幕僚達の態度を見ればわかる。彼らは既にベーレント少将に付いていくことを決めている表情であった。

 ヘルルーガは幕僚達に目礼すると、再び兵達を見回した。

「さて、これから諸君にある男の話をしよう。あろう事かファランドールを単一国家として我が物にしようと企んでいるおおぼら吹きの男の話だ」


 ヘルルーガの長い話は続いた。

 大ぼら吹きの男とは、もちろんエスカの事である。

 彼女は自らが知り得たばかりのエスカの計画……彼が掲げる「設計図」の一部を、シルフィード王国軍に所属する兵士に話して聞かせたのである。

 兵達は最初、ヘルルーガが美貌を誇るエスカに一目惚れし、完全にたぶらかされてしまったのだと考えていた。端正なアルヴである彼らの目をしてもそれだけエスカが眉目秀麗であったと言う証左であろう。だが幕僚達までがヘルルーガ同様、エスカに骨抜きにされて操り人形になったとは考えにくい。

 次に兵達が考えたのは、ルーナーによる洗脳や催眠術の類である。だがそれなら、その催眠術を兵達にかければいいだけの話である。そもそも敢えて誰も信じないようなホラ話をするよりも、命令だと言ってそのまま部隊を掌握すればいいだけの話だ。

 だが彼らはやがてヘルルーガが正気である事を理解した。


 彼らの驚愕が頂点に達したのは、エスカが事もあろうかイエナ三世を正妻として娶る約定をなんと本人と交わしているという話を聞かされた時である。だがその頃には二四〇〇人の兵達はほとんどヘルルーガの話術の術中にはまっていたと言える。ヘルルーガは名ばかりの将ではない。それどころか名将である。それは兵達が一番よく知っていることである。彼らの気持ちには、もともとヘルルーガの話を受け入れる道筋が出来ているのだ。そこへ持ってきておそらくは一世一代の扇動をヘルルーガが行ったのである。その話がホラ話であったとしても、いやホラ話であったからこそ、兵達の心は大きく高鳴ったのだ。


 途中でヘルルーガの要請に応じてエスカが自らのより抜きの兵を紹介し、ヘルルーガ軍を得た事により、思いつきで大それた事を言い出したのではない事の証明が終わる頃には、竜巻を掲げる二四〇〇人のシルフィード軍人は、自分達が今居るべき場所はフラウト王国しかないと思い込むようになっていた。いや、自分達が新時代を切り拓く先兵である事に誇りを持つまでに変化していったのである。

 エスカが途中行ったのは、フラウト王国軍の人材の紹介であった。もちろん、全員を紹介したわけではない。彼が行ったのは最も手っ取り早い手段……すなわち、自軍一番の剣の使い手とヘルルーガ軍一番の剣の使い手との一騎打ち、シルフィード軍の用語を用いるならば「試闘」であった。


 シルフィード軍からは髭面の大男、クォーク・レプトン大佐が広場の中央に歩み出た。二四〇〇人の中で最も剣技に長けた人間であったかどうかはともかく、ヘルルーガ軍の兵士達は誰一人としてその人選に疑問を持つ者は居なかった。

 対するするフラウト軍からはもちろんアキラ・アモウル・エウテルペ大佐が選ばれた。

 兵達が退き場所をあけた広場の中央に対峙する二人は平均的な身長のアキラと、アルヴでも大男とされるクォークである。それはまるで親子と見紛うほどの体格差があった。それを見たヘルルーガ軍はおそらく全員が自軍の高級将校の勝利を疑わなかったに違いない。

 しかし、ヘルルーガが合図をしたその十数秒後に、彼らはデュナンの剣士の力を知る事になったのだ。


 合図と共に襲いかかるクォークの最初の一撃をギリギリでかわしたアキラは、二の太刀を振り下ろそうとするクォークの懐に飛び込み、振り下ろそうとするクォークの剣の柄のあたりを片手でいなし、相手が姿勢を乱した所に閃光の速度で剣を振り上げ、その首を薙いでいた。時間にして十秒程度。まさにあっと言う間の決着であった。


「納得がいかぬなら、もう一度やるか?」

 ヘルルーガはそう尋ねたが、尻餅をついたクォーク・レプトン大佐は首を大きく左右に振った。

 初めて現れた時から、アキラの立ち居振る舞いは剣士として一分の隙も無く、まさに礼節あるものであった。二四〇〇人の兵達が感心したのは、それが全てシルフィード流であったからだ。目上の相手であるレプトン大佐に対する、それがアキラなりの礼儀なのだと、説明されずとも兵達は理解した。勝負が付いた後の残心の長さと、尻餅をついた相手に対して表情を変える事なく深い礼で勝負の終了を自ら宣言した態度など、彼らは強さだけでなく剣士としてのアキラの「矜持」をそこに見たのである。

 たとえそれが敵であっても、強い者は強いと認めるシルフィードのアルヴ兵である。彼らはフラウト軍を率いる指揮官アキラを、誰言うことなくある言葉で呼び、尊敬することとなった。

「剣聖」の誕生であった。

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