第五十一話 不滅の懐剣 1/4

 ライサ=リザレー・フラウトは顔を幾分上気させながらそう言うと、ゾルムスへ一歩近づいた。ゾルムスと言えばその剣幕にあてられたのか、思わず上体を後退させた。


「嘘はいけません、姉上」

 そのやりとりを受けて今度はもう一人の王女が口を開いた。ライサ=リザレーの妹、国王リムル二世の末娘であるヒナティーダ=ユーレーである。

 まだ成人前だが、一三歳という年齢の割には背も高く大人びていて、むしろ姉のライサ=リザレーより落ち着いた雰囲気があった。エスカにしろアキラにしろ、初見の際、紹介されるまではヒナティーダ=ユーレーが姉姫だと思っていたほどである。


「何を言うの、ヒーレー。嘘ではありませんわ」

 ライサ=リザレーは振り返るなり妹をにらみつけた。

「もうすぐ婚儀を挙げるのですから、エスカ様はもはや夫同然、私は妻同然です」

 ヒナティーダ=ユーレーは興奮した姉の言葉を受け、冷ややかなため息をついた。

「婚儀を挙げていないのですから、まだ夫婦ではありません。それとも夫婦同然である証拠でもございますか?」

「そ、それは……」

 妹の鋭い、いや一見鋭く聞こえるものの実のない指摘に対して三歳年上の姉はあっけなく調伏された。ライレーは恨めしそうな視線をエスカにちらりと送ったのち、そのままうつむいてしまったのだ。


 エスカは姉の扱いに長けたヒナティーダ=ユーレーの肩をポンと叩いた。

「エスカ様?」

「ライレーをいじめるな。それに、ざっくり考えればあいつの言ってることは嘘じゃねえだろ?」

「ざっくり、ですか?」

「ざっくり、だ」

「そんな曖昧な事ではこの先……」

「これくれえおおざっぱじゃねえとこの先はダメなんだよ」

 エスカは不満げな妹姫にまさしく曖昧な笑顔で答えると、ゾルムスに近寄った。

「そういうわけで、俺はドライアドの将軍だが、フラウト王朝にも深く関係する者だ。これでもお前さんは俺の発言が軽いと思うか?」

「いえ……」

 ゾルムスは思わず頭を深く下げた。

「我が失礼をお許し下さい」


 そもそもエスカが軍の責任者であることはゾルムスとして重々承知していた。彼が気にしていたのはちょっとした違和感だったのだ。それはエスカの態度だった。

 重要な事柄をその場に居合わせている国王に逐次断らない態度はいい。軍事関係については一任されているならそれは普通のことであろう。だが、エスカはゾルムスとの会話の最中に、国王であるリムル二世に全くといっていいほど注意を払わないのだ。一瞥だにしない。

 ゾルムスはそこにエスカ、いやドライアド王国がフラウト王国を属国扱いしている構図を見ていたのである。ドライアド王国に対しての根本的な反発心が理屈を構築して、ああいう言い方になったのである。

 だが王女と婚儀の約定をしているという立場ならば、フラウト王国がドライアドの属国であろうがなかろうがもはやそんな事は関係ない。フラウト王国に対する使者であれば、いや使者であるからこそエスカの立場を尊重すべきなのである。ゾルムスはだから「理解した」という意思を態度で表したのだ。

 それに対してエスカはそんなゾルムスの感情を揺り動かすような言葉を口にした。


「だが、そうだな……確かに手ぶらで帰すのは申し訳ねえな」

 それは大きな独り言のようなものだった。エスカの言葉の真意をはかりかねて顔を上げたゾルムスは、懐に手を入れたエスカの姿を見た。

 エスカとゾルムスとの距離は近い。ゾルムスの見立てでは、エスカはそこそこの「使い手」であった。そんな相手が懐に手を入れたのを見たゾルムスは当然ながら最悪の事態を想定し、思わず自らに警鐘を鳴らした。今の体勢から相手が懐剣で襲ってきたら、まず回避は不可能だったからだ。

 緊張で体をこわばらせるしかなかったゾルムスの前で、果たしてエスカは懐剣を取り出した。だが抜き身ではない。鞘に入った状態で、かつ、柄を握ってはいなかった。

「これを少佐に預ける」

 エスカはそう言うと自らは鞘を持ち、柄をゾルムスに向けて懐剣を差し出した。

「これは?」

「見ての通り懐剣だ。だがよ。そんじょそこらにある『ただ』の懐剣じゃねえ」

 ゾルムスは差し出された懐剣を眺めた。赤い四連野薔薇のクレストがあしらわれた鞘に収まっているのは、品のいい形の柄を持つ懐剣である。


「家宝と言うとまあ、あれだが、要するに俺の守り刀だ。しかもさっきも言ったようにただの懐剣じゃねえんだな、これが。そんなわけでまあ、そう身構えずにとりあえず受け取ってくれ」

 促されたゾルムスが恭しく懐剣を受け取ると、エスカはニヤリと訳ありげに笑ってセージを呼んだ。

「悪ぃが、急いでゲンノウか掛け矢を持ってきてくれ」

 いきなり妙な注文を受けたセージは怪訝な顔をしたが、エスカの妙な注文は今に始まったわけではなかった。だから彼はエスカと不毛なやりとりをする愚を犯す事なく一礼すると、ものの一分も経たずに一振りのゲンノウを手に戻ってきた。

「早ええな、おい」

「小型ですが、門番小屋にありましたので。こんなものでよろしゅうございますか?」

「上等だ」

 アルヴのげんこつが二つ分程度の大きさがある鉄の頭部を持つゲンノウをセージから受け取ったエスカは、その柄を握り締めたまま周りを見渡した。


「いったい何が始まるんですの?」

 ライサ=リザレーがゲンノウを手にしたエスカに尋ねた。だが、エスカはニヤニヤと笑っているだけで答えようとはしなかった。

「少佐。その懐剣が思いっきり特別だっていう証拠を今から見せる。まずはを鞘から抜いて橋の上に置いてくれ。木じゃなくて補強してある鉄の板の上にな」

 ゾルムスはもうどうにでもなれという気持ちになっていた。「状況が変わった」という言葉はもちろん気になっていたが、それよりも目の前の美貌の将軍がただの軍人ではないばかりか普通の物差しでは測りきれない……有り体に言えば相当に変わった人物であるということの方が興味深かった。いつの間にか旧知の関係であるかのような物言いをされていたが、不思議に不快感はない。おそらくそれもエスカの持つ力なのであろうと素直に受け入れることすらできるほどであった。

「危ねえから少し離れてくれ。特に姫様達は念の為に誰かの後ろに体を隠しておけ」

 全員がやや距離を置いたのを確認すると、エスカは受け取ったゲンノウを振りかざして迷いなくそれを自らの懐剣に振り下ろした。

 金属同士がぶつかる硬質で重い音がした。

 そんな事をされれば、おそらくどのように鍛えた剣であろうとひとたまりもないと思われた。それがたとえリリス製であったとしても。

 だが……。


「どうだ?」

 エスカは自信ありげな笑顔でゾルムスを見やると、剣の上にあるゲンノウを持ち上げて見せた。

「これは」

 跳ね橋は木製である。だが補強のために部分部分に鉄板が使われている。ゾルムスはエスカの指示通りその鉄板の上に懐剣をおいていたのだ。

 だが、そこにあった懐剣は全くといっていいほど元の姿から変化がなかった。ゲンノウがぶつかった鉄板の一部がゲンノウの形にへこんでいるにも関わらず、だ。

「何なら少佐自身で試してみるか? アルヴの力はオレなんかより強いだろうからな」

 エスカがそう言ってゲンノウを差し出したが、ゾルムスは首を左右に振った。

「いえ、結構です。ですがその……」

「手品のタネが知りたいって言うのか?」

 ゾルムスはうなずいた。

「世間にはまったく知られてねえが、そいつは我がペトルウシュカ家に古くから伝わるいわゆる家宝ってやつさ」

 エスカが得意げにデタラメな解説をし出すと、アキラは苦虫をかみつぶしたような顔をした。

「何でもご先祖さまが亜神から授かったそうだ」

「亜神、ですと?」

「うさん臭ぇだろ? まあ秘宝の伝説なんてそんなもんだ。そいつはどうやっても壊れねえ。少なくとも俺が試した限りは刃こぼれ一つしねえ。手入れをする手間が省けて便利この上ねえ懐剣だな」

「なるほど」

 ゾルムスは話を早めに切り上げる決心をするとそう答えて懐剣を鞘に戻し、それを恭しくエスカに差し出した。


「何のまねだ?」

「この懐剣がきわめて特殊で希有な逸品だということは疑いようもございません。それほど大切なものをお預かりするわけには参りません」

「ほう。じゃあ俺のいうことを聞いて引き上げてくれるというんだな?」

 ゾルムスはうなずいた。

「たとえ口約束であれ、ペトルウシュカ将軍はそれを反故にする人間ではない。恐れながら私はそう思います」

「こいつは光栄だな。デュナンの俺がシルフィード王国のアルヴに信頼されるとはな」

「恐れ入ります」

「だが、それはやっぱり持って行け。勘違いするな、おまえじゃなくてベーレント将軍に対しての俺からのけじめだ。というか、少佐を手ぶらで帰す訳にはいかねえんだよ。そうだな。シルフィード流に言うなら『矜持が許さぬ』ってやつだ。ここは俺のわがままだと思って持って行ってくれ」

 ゾルムスはほんの数秒、逡巡するような表情を見せたが、何も言わずエスカに最敬礼をすると懐剣を懐にしまい、きびすを返した。

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