第五十話 橋上の会見 2/4

 レナンスは概して好戦的であることはよく知られている。だがそれはあくまでも強い者に対して挑戦したいという気質が表に出てしまうからであって、剣を振るうこと自体に喜びを感じるといった類の性質ではないはずだった。

 エスカはそこに漠然とした不安を感じていたが、かと言って今のアキラに対して何を言っても、言葉が素通りするだけで、思いは届かないだろうと感じていた。

 それほどアキラが負った傷は深いのであろう。エスカとしても自分がアキラの立場で、剣を振るった相手がニームであったらと考えると、それだけでも目眩がする程恐ろしかった。

 だが、たとえ治しようのない傷であっても、生きているものと死んだ者の立場が変わるわけではない。生きているものは全てを受け止め、呑み込んで生きるしかないのである。

 あとは本人がどれだけ周りを受け入れる事ができるかであろう。

 幸いアキラにはミヤルデという文字通りの腹心がいる。エスカは当面、アキラの心をミヤルデに任せる事に決めていた。

 そもそもエスカにはアキラの個人的な事情に割く時間はそう多くはない。

 アダンの動向を見極める前に、事は動き出してしまったのだ。エスカの仕事はそれに当たることであった。


「つまり全滅したはずの一個師団が、西からあの街道を通ってやって来る、という事か」

 アキラはつまらなさそうにそう言うと、鳩が運んできた紙切れをエスカに返した。

「で、敵さんはお前の思惑通りに動いてくれるとでも?」

「アキラはどう思うんだ?」

 質問に対し、エスカはそう返した。

 暗い刃を瞳の奥にちらつかせているアキラがどれほど冷静なのかを探るつもりもあったのであろう。だが、アキラは事も無げに答えた。

「そうでなければ、ベーレント将軍の名将という評判が、根も葉もない噂だったということを世間が知る事になる。それだけだろうな」


「名将には二種類ある」

 アキラの答えに満足そうな微笑を浮かべると、エスカはアキラの隣に立ち、同じようにベーレント軍を見下ろした。

「臆病な司令官と、勇敢で頭のいい司令官だ」

「ほう?」

 エスカの話に、アキラは興味を示した。

「羨ましい事に勇敢で頭のいい司令官はシルフィードには多い。しかも皆んな清廉潔白でドライアドにはほとんどいない種類の司令官達だ」

「確かにな。強いて上げれば我らがペトルウシュカ少将くらいか」

 エスカはアキラの言葉に吹き出して見せた。

「よせよ。知ってるだろ? 俺は清廉でも潔白でもないし、勇敢ですらないんだぜ? 確かに奸計には多少長けてはいるが、基本的に小狡いし腹黒い。あまつさえ臆病者と来てる」

「まあ、確かにシルフィード王国軍ではあまり尊敬はされそうもない将軍だろうな」

「だいたい、これからやろうとしていることがそもそも歴史的な小ずるさに満ちている」

「歴史的という言葉と『小』という文字が矛盾関係ある。確かにあまり頭は良くないかもしれんな」

「ほっとけ。俺のこたあいいんだよ。シルフィード軍の名将の話だ」

「そうだったな。で、ベーレント将軍は勇敢で頭のいい司令官だという話か?」

 アキラの問いかけに、エスカはしかし首を横に振った。

「勇敢で頭のいい司令官なら、そもそもこの街道に軍を進めたりはしねえよ」


 エスカの言う事はもっともであった。

 ウンディーネ連邦の主たる街道からフラウト王国へ至る街道はおおざっぱに言えば一つしかない。南フラウト街道と呼ばれるのがそれで、まさに今シルフィード軍が陣を張っている断崖に沿った道がそれである。

 崖際を掘削して作られた部分が多くを占めていることからもわかるが、馬車の通行は基本的に不可能である。

 すなわち大軍の進行には全く向いていないのだ。こういう山道では軍隊が伸びきってしまい、数千人規模の軍隊にもなれば全軍の掌握・統率は事実上不可能と言っていい。

 軍隊が南フラウト街道に全て入った時点で万が一東西両方から敵に攻められれば、全滅は必至であろう。

 そもそもフラウト王国の主たる交通手段は、街道を使った陸上にはない。ぐるりと城砦を取り囲む二本の川を使った水上交通であった。

 フラウト王国を手に入れる事ができれば、その水上運搬船を手に入れることができる。しかしどちらにしろ大軍の為の要塞ではない。川に面してはいるが支流であり、大きな船を導けるほどの水深があるわけではないからだ。

 つまりフラウトはどう考えても重要な軍事拠点とはなり得ない小国家なのだ。

 翻って攻め落とすには困難を極める自然の要害に守られた要塞国家である。

 そこに敢えて入り込んだベーレント少将は「勇敢で頭のいい司令官」ではない、とエスカはいいたいのであろう。


 ベーレント軍を見下ろしながら、エスカは嬉しそうに目を細めた。

「だが、俺がベーレント少将でも同じ事をする」

「街道を抜けた東側にはドライアドの大軍の拠点があると知っていてもか?」

 南フラウト街道が幹線と交わる付近にはアキラが言うとおり北東戦線に於けるドライアド軍の主要拠点があった。間違って南フラウト街道から敵がやってきたとしても、そこは塞がれているのである。

「じゃあ聞くが、アキラがベーレント少将なら山脈の向こう側のイアシウス街道を使うのか?」

 イアシウス街道はウンディーネ連邦の中央部を東西に貫く大動脈であった。街道沿いにはフラウトより大きな都市国家が点在している。

 アキラはエスカの問いに苦笑で返した。

「俺も臆病な司令官だからな」

 エスカは満足そうにうなずいた。


「ベーレント少将の戦略は正しい。どうせ戦うなら一度で済ませるべきだ。交渉次第ではその戦いすら回避できる可能性もある。だが、あのお姉さんには運がなかったという事だ。フラウト王国にまさか俺達がいるとは思うまいよ」

 エスカのいう「俺達」とは、もちろん類い希なる才能を持つアキラという戦術家であり、戦場ではシルフィード軍がおよそ見たこともない程強力な攻撃ルーンを使う賢者、【黄丹の搦手(おうにのからめで)】ことリンゼルリッヒ・トゥオリラの存在を指していた。

 さらに言えば、フラウト王国は「その時の為に作られた」要塞である。小規模な城砦国家という表向きとは裏腹に、武器や食糧の備蓄量はもちろん、ドライアドから派遣されている「守備隊」は辺境に派遣された無能兵士ではない。しっかりと訓練された選りすぐりのエスタリア兵をドライアド軍の派遣兵としてエスカ自身が提供していたのだから。

 しかも兵士の数はドライアドの軍部に提出された公の数字の五倍とも十倍とも言われる人数が派遣されていたのである。かてて加えて軍備関連には全て巧妙な偽装が施されており、一般のフラウト国民ですら自国の裏側を知らないのだから、他国、少なくともシルフィード軍がその内情を知り得るわけがないのである。


「公式な発表を信じているほど間抜けじゃねえだろうが、まさか百倍以上の戦力を有している国だとはさすがに思わねえよな。むしろ正直に全部をぶっちゃけてもいいくらいだ。絶対信じてもらえねえだろうし」

「百倍かどうかはともかく、口で言っただけでは信じてもらえないだろうという見解には同意する。だが、今では実戦力以上の評価をフラウトに対して持ってくれてはいるだろうな」

「わっはっは。リリの『あれ』にはさぞかし泡を食っただろうなあ。リリが火球をぶっ放した時のベーレント少将の顔は見物だったろうなあ。向こう10年以上はそのネタでからかえたのにな。変装して近くに潜り込んでいればよかったぜ」

「相変わらず悪趣味なことだ」

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