第四十九話 蛇の目(じゃのめ) 4/4

「言葉は悪いが、我が軍は本来寄せ集めではある。だが今ではまるで前世より一つの軍として行動を共にしていたかのように立派に機能しているのは諸君も知っての通りだ。さらに言えば、ここに集うのは歴戦の勇者ばかり。ヴォールを拠点とする事ができれば、補充部隊を再編し、各(おのおの)がまた存分に力を振るう機会も与えられよう。特に交易港を抑えることはすなわち相手の補給を完全に絶ち、こちらに太い補給路が手に入るということだ」

「しかし、あの辺りは海賊が制海権を握っているという話ではないですか?」

 幕僚の質問に、ヘルルーガはしかしニヤリと笑って見せた。

「それについては案ずるな。訳あって詳細は後にするが、拠点さえ制圧すれば、海の道は開ける。私を信じろ」


 トラヴェルソの戦いは、シルフィード軍の大勝利として記録されている。だからそれだけを見ればサクソルンが負い目に感じるようなものはなにもない。

 だが、その勝利は一人の軍人の犠牲によって得た勝利であった。

 少なくともサクソルンはそう思っていたし、おそらく生涯その思いを変える事はなかったであろう。

 トラヴェルソの戦いに於いて、シルフィード軍は当時のサラマンダ王国の貴族と密約をかわしていた。

 具体的にはトラヴェルソ付近にある城塞都市の領主と不可侵条約を交わしたのである。トラヴェルソ攻略にあたり、その城塞都市が背後を守る形に位置しており、城塞都市を背にしてトラヴェルソを責めるわけにはいかなかったからだ。

 当時のサラマンダ王国の内部は既に一枚岩ではなく、機を見るに長けた貴族の中には、シルフィードやドライアドになびくものも多かった。

 その城塞都市の領主は大局を見るに長けており、すなわち自国サラマンダの敗北を予想していた。そして戦後の身の振り方を考えた上で、シルフィード軍に恩を売る機会だと捉えて条約締結に応じたのである。だが、それだけでは弱いと判断した司令官、すなわち当時のサクソルン・ユーフォニアム少佐は人質を預けることにした。

 人質の意味は二つある。一つはもちろん、トラヴェルソを占領した後、条約を破って攻め入ってこないようにである。だが、サクソルンは人質にもう一つの意味あいを持たせて、相手を安心させる手にでたのである。それはサラマンダ王国に対する「言い訳」もしくは手土産として使えるという一言であった。


 シルフィード軍がそのままトラヴェルソを占領し続けるならば問題はないが、戦況がかわり、王国軍がその場を再び占拠した際に、条約の事を嗅ぎつけ、それを裏切り行為とした場合、領主である貴族の立場はまずいことになる。サクソルンはその為の言い訳を用意してやったのだ。

 すなわち、

 一、人質は終戦まで預ける事

 二、互いに人質をとったことにする事

 三、だが、人質を差し出すのはシルフィード軍だけである事

 これだけではわかりにくいかもしれないが、要するに人質交換の上で停戦条約を結べば、貴族の体面は保たれることになる。サラマンダ軍が来れば、預かった人質を渡して恭順の意を改めて示せば良いのである。貴族は娘を人質としてとられていることにしておき、その実実際には相手に渡さず手元に置いておき、サラマンダ軍に対しては逃げ帰った事にしておけばよいのだ。つまり、その時点で人質は捕虜と化すわけである。

 シルフィード軍としては全く分が悪い話であるが、それだけに決意と誠意が伝わる「約定」と言えた。


 結局、その一年後にトラヴェルソは別な部隊同士の大きな戦場となり、その戦火で町は消失した。その辺り一帯は一時的にサラマンダ王国が奪還した為、貴族は保身の為に人質を利用。だが、人質は捕虜ではなく、諜報の工作員と見なされ、すぐに処刑されたという。

 人質はその作戦を立案したサクソルンの幕僚の一人であった。そしてその幕僚とは、今日ではサクソルンの実の娘だということがわかっている。ただの幕僚では人質の役にたたないと判断した娘は、自らがその役を負う事を強く志願した。司令官の娘であるからこそ、人質たり得るのだと。

 勝利を確信していたものの、さすがに父親であるサクソルン懊悩した。だが結局、その作戦を選んだのである。

 戦いは彼の思惑通り大勝利に終わった。ただ、戦争自体の終結が彼の思惑よりも相当長引いてしまったのである。


 そしてまさに今、酷似した状況下にサクソルンは身を置いていた。

 因縁や運命という言葉を持ち出しても心が晴れるわけはない。

 だが、目の前でその作戦の理を説くヘルルーガは往事の娘とだぶって見えた。

 娘はただの幕僚では意味がないと説いた。ヘルルーガも司令官以外では意味がないと言う。言葉は違えど同じ意味を口にしていた。


「それからこれは言いたくなかった台詞だが、これ以上議論をするつもりならば、敢えて言おう」

 ヘルルーガはそう言うといったん言葉を切り、唇を結んで胸を張った。そして右手で左襟の部隊章に手を触れた。

「これはイエナ三世陛下より拝命したシルフィード王国軍少将としての命令である」

 ヘルルーガのその一言で、その場の全員がうなだれた。おのれの無力さをまざまざと見せつけられたようなものであった。誰もそれ以上、勝利に近い作戦を立案できなかったのだ。

 だが彼らには、そんな無力感に浸る時間さえ与えられなかった。


「私が一時離隊している間の軍の指揮はユーフォニアム大佐が執る」

 作戦が決まったのだ。後は行動である。

 きびきびとしたヘルルーガの指示で、幕僚達は自らのやるべき事を思い出した。

 気持ちを切り替えた彼らの士気は高かった。彼らは自分達の司令官に心酔していた。その司令官が掲げた目標に向かってかつてないほど気持ちが一つになっており、それをその場の全員が共有していたのだ。

 もちろんヘルルーガが留守の間、サクソルンが司令官となる事に対して異を唱える者は皆無だった。ヘルルーガが直前に行った演出も功を奏していたのだろう。誰が考えてもそれ以上妥当な人選はないと思われた。


「それからこれは、軍人ヘルルーガ・ベーレントとしてのお願いなのですが」

 幕僚達の様子を冷静に眺めていたヘルルーガは、まるで思いついたようにサクソルンにそう声をかけた。

「何なりと」

 ヘルルーガとしては命令ではなく、敢えて「軍人」という言葉を付け、まるで同僚相手に振る舞うかのごとく声をかけたのは、相手に受け身ではなく能動的な選択肢を与えるつもりがあったのだろう。

「私は単身でサラマンダ大陸に渡ったようなものだが、一人だけ直属の部下がいる」

 その言葉でゾルムスが顔を上げた。

 同時にサクソルンにはヘルルーガの意図が伝わった。

「皆まで仰いますな。アルダー少佐は責任をもってお預かりいたします」

「頼む。大元帥閣下よりお預かりした参謀だ。アルダー少佐は幕僚というには控えめに過ぎると思われるかも知れぬが、大佐もご存じの通り部隊の補給などにほころびがないのは彼の手腕に追うところが大きい」

 サクソルンもその点はしっかりと把握していた。有能な参謀であることは間違いないと感じていたのである。だが幕僚会議などではたいした発言もせず末席を暖めているだけで、補給調整の専門家なのだろうと決めつけ始めていたところであった。それだけにヘルルーガが推薦する言葉は強く印象に残る事になった。


「大元帥閣下はゾルムスを私に紹介する時に、こう言われた。『私が再び前線に立つ時が来れば、是非彼を右腕に使いたいと考えている』と。あいにく私には器量がなく彼の能力を補給役にしか使ってやれませんでしたが、大佐が面倒を見てくれるならば、私は安心です」

 ヘルルーガの言葉を聞いたサクソルンは、その目を細めて改めてゾルムスの体を上から下まで吟味するように眺めた。

 当のゾルムスはその眼差しに批難の色を込めてヘルルーガを見つめていたが、観念したのかサクソルンに恭しい礼をしてみせた。


「なるほど」

 サクソルンはそういうと、ヘルルーガに対して一礼した。

「こう見えて、私は自分に足りぬものを自覚しております。司令の補佐役の意見、この先決して軽んじる事はないでしょう。我が矜持に賭けて」

 ヘルルーガはその言葉を聞くと肩の力を抜いたような微笑を浮かべた。


「ではさっそくだが、貴官の意見を聞こう。アルダー少佐」

 サクソルンは末席のアルダーに声をかけた。

 呼ばれたゾルムスは目礼で答えた。

「この後、フラウト側との折衝はどうする?」

 チラッと一瞬だけヘルルーガを見たゾルムスは、その場で立ち上がった。

「僭越ながら」

 ゾルムスは小さく深呼吸を一つしてそう言うと、一同を見渡して、ニヤリと笑って見せた。

「善は急げ、と申します。東進が決定という事ならば、とにもかくにも急ぎ会談の申し入れを行いましょう。相手が密かに援軍要請でもしていると取り返しが付きません」

 ヘルルーガはサクソルンにうなずいて見せた。

「早期の交渉はもちろんだが、しくじることは許されん。如何にする?」

 サクソルンの問いかけに、ゾルムスは間髪を置かずに答えた。

「お許しいただけるなら、その依頼、この私に努めさせていただきたく」


 ゾルムスがそう言って深く頭を下げた、その時であった。

 ぐらり、と地面が持ち上がったような衝撃があった。

「地震だ!」

 誰かが叫んだ。

 言われるまでもなく、それは地震であった。

 上に持ち上げられるかのような大きな衝撃の後、今度は左右の揺れがやってきた。

 幕僚達はとっさに体を低くして転倒を避けた。

 ゾルムスは揺れの中、足下がおぼつかないにも関わらず、とっさにヘルルーガの下へ走っていた。膝と腰をテーブルで打ち、倒れた椅子の脚で嫌と言うほど向こうずねを叩かれながらも、うめき声一つあげずに前進した。

 もちろん「主」と決めた人物の身をなんとしても守るためである。

 まさにゾルムスは骨の髄までアルヴであった。

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