第四十八話 雨。時々絶望 2/7
最初にドンッという地響きがして、誰しもが自らの体重が変化するのを感じた。それはもちろん、決して気分の良い感触ではなかった。
そして二度目に体重が少し軽くなるような感触を得た直後に、今度は地面が大きく揺れ出した。
地震、それも相当大きな地震であると認識した時には、エルデはシーレンからも、そしてアプリリアージェからも離れたところに転がっていた。
すぐに立ち上がろうとしたが、すぐにそれは困難だと悟った。揺れが大きすぎてまともに立っていられないほどなのだ。
エイルは横になったままで顔を上げ、周りの様子を見た。
観客にかけられたニームの術はまだ解けていない。そのせいで、人々は折り重なったような状態で揺れに合わせて転がっている。
仲間が居る方へ目を向けると、ニームの上に覆い被さるような格好のエルデが目に入った。それはまるで……いや、間違いなくニームの体をかばおうとしていた。
間を置かず、会場全体に妙な音が響いた。
それが会場を覆う仮組みの簡易外壁が崩れ始めた音だということを認識するのに、たいした時間はかからなかった。
エイルは躊躇せず腰から再び短剣を抜くと、剣の名を叫んだ。みんなを守ってくれと願いながら。
どういう仕組みなのかはわからない。だがそれこそが妖剣たる理由なのであろう。ゼプスはエイルの願いを汲んだルーンを放ってくれる。エイルは極めて単純にそう理解していた。
そして決心すると立ち上がった。
横揺れにおぼつかない足をなんとか動かし、エイルらはエルデのもとへと走った。そのわずかな間にもその地震が想像を絶する牙を持っている事を思い知りながら。
エイルの内から声にならない悲鳴が上がった。鈍い音を立て、崩れ落ちていく劇場が目に入ってきたのだ。思わず見上げるとまさに天井が崩れ、梁として使われている何本もの丸太が落下するのが見えた。
(ちくしょー!)
エイルの心に浮かんだのは助けたいという一念であった。もう会場にいる観客の事は頭から完全に消失していた。その時心から助けたいと願った対象はただ一人だけだったのだ。自己中心的だとそしられようがかまわない。会場の客が全員死んでも、そんな事はもうどうでも良かった。ただ一人だけが助かればそれでいい……。エイルは心からそう願っていた。
エルデの居る場所まではたいした距離があるわけではない。だが、それでもそこへたどり着くまで時間は待ってはくれない事を、エイルは心の中で理解していた。あと一秒も経たぬうちに建物は全て崩壊してしまう事は間違いなかったのだ。
だが絶望はしなかった。
その代わりにもう一度願った。かつて無いほど強く。
「助けたい」と。
するとエイルは次の瞬間には自分が例の赤い光球の中にいる事に気付いた。光球は思いのほか大きかった。エイル自身は意識して制御をしたつもりはなかったが、その光球はちょうど劇場全体を覆い尽くすように広がり、その大きさをきっちりと維持していた。
エイルが光球、すなわちエレメンタルの結界を張り巡らした事で、そこに外界からの干渉が途絶える空間が生じた。今まで平衡感覚を保つ事すら困難であった大きな横揺れも、もはや感じなかった。足は地に着いているようでいて、実のところ浮いているようでもあった。自分の足下の感覚がなんとなくであるが把握できたのも、エイルは今回が初めてだった。
固い、いやしっかりしたものを踏んでいるという実感があった。だが揺れは伝わらない。結界の内部に入り込んでいる視線の先のエルデだけでなく、劇場内にいた全ての観客が体を揺らすことなくその場に止まっているのが見えた。
エイルは少し落ち着くとあらためて上を向いた。落下していた劇場の構造物は既になく、代わりに視線の先には空があった。いや、空と、そして劇場脇に立っていた大木の梢だけであった。
こんどはゆっくりと視線を落として周りに目を向けてみた。結界の外側を囲むようにかつて劇場の壁面と天井を構成していた様々な「物」が、仮初めの低い壁を形成していた。
その向こう側に見えるのは、この大規模な催しに集まった大勢の人々がうずくまり、倒れ、あるいは中腰で逃げ惑う姿だった。
まだ揺れは収まっていないのだろう。
エイルはさすがに揺れの時間が長すぎると思っていた。
これはどうやら本当にただの地震ではなさそうだと。
そんな事を考えているうちに、光が消失した。手にしたゼプスも発光をやめ、鈍い光を反射するだけの、常態、つまりただの剣に戻っていた。
エイルはゼプスを鞘に収めると、思い出した様にエルデのもとへ駆けた。
「大丈夫か?」
大丈夫だと確信していたが、それでもエイルは本人の声を聞きたかった。声をかけ、じっとうずくまっているエルデの肩に手を置いた。
エルデはそれに反応して目を開けて少し体を持ち上げると、エイルではなくニームに声をかけた。
「どこも、なんともないか?」
ニームは無言で頷き、それに応えた。
その時にはようやく大きな揺れは収まっていたが、それでもまだ小刻みな余震があるようで油断はできない。
「教会もやられたんか……」
ニームの無事を確認したエルデは、ようやくエイルにぎこちない微笑を見せた。そして視線をエイルの背中に移した。そこには建物の残骸があるはずであった。
エイルはエルデと情報を共有する為に、ゆっくりと振り返った。
想像通り、かつて大聖堂であった半壊の建造物が目に入った。
「でっかい地震だったな」
エイルはそう言ってエルデに手を伸ばした。だがエルデはそれを見て首を横に振った。
「足に力が入らへんねん」
足を痛めていて、膝立ちしかできないのだという。
「コイツの、あの電撃でか?」
険しい顔でエイルがそう言うと、エルデは苦笑で答えた。
「いったい何もんやろな。ウチがここまでやられるなんてなぁ。この子はコンサーラとしても飛び抜けてる」
「三つ眼があるし、賢者なんだろう?」
「そやな。そう言うとったしな」
エルデはうなずくと、ニームの猿ぐつわを緩めにかかった。
「おい!」
エイルは慌ててエルデを制した。
「大丈夫や。ルーンが詠唱できるようになっても、もうこの子は誰も襲わへんよ」
エルデは穏やかな声でそう言うと、エイルに向かって笑って見せた。そこにはもう、ぎこちなさは存在しなかった。
「こういう場合、ファルは遠慮無しやさかいな。さすがル=キリアというべきなんやろけど。でもこのままやとアゴが折れて顔が変形してしまう。そもそも、めっちゃ苦しいはずや」
エイルの心配をよそに、エルデはそう言いながらエイルではまず解くことができないほどきつく結ばれた猿ぐつわを事も無げに引きちぎり、ニームの口を開放した。
声すらまともに立てられぬまま苦しさと痛みで涙をにじませていたニームは、血が混じった涎だらけのままで、たちまち盛大に咳き込んだ。猿ぐつわのせいで唇の両端が割けるように切れて血が滲んでいた。それを認めたエルデは、一瞬の詠唱で治癒して見せた。だが猿ぐつわによる締め付けで血流が遮られていた青黒く偏食した下あごはそのままであった。エルデに依ればもとのほのかな赤みを帯びた白い肌に戻るにはもう少し時間がかかるようで、しばらくは痛々しい状態のままだという。
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