第四十三話 邂逅の知らせ 3/4
「こういうことははっきりしておいた方がいいと私は思う。これは経験則だ」
シレっとした顔でそう言うニームにエコーは複雑な表情を浮かべた。
「どうした? 変な顔の百面相か? 悪いがそれにはつきあえんぞ」
「いや、どの口が経験則という言葉をお使いになるのかと」
「なんだと?」
ニームは一瞬目を吊り上げたが、すぐにため息をついた。
「確かに経験はない。知っている男も一人だけだ。だが、それで充分ではないか? 何も一人の男を見て全ての男を語ろうというのではない。私が言いたいのは自分の気持ちに素直になって本当に良かったと思っているということだ。だからエコーにも素直になる事の重要さをわかって欲しくて、ただそれをすすめているだけだ。私の言う事は間違っているか?」
ニームの答えにジナイーダとシーレンは顔を見合わせた。
「まあ、間違っているかと問いわれると」
「間違ってはいないと答えるしかないでしょうね」
「そら見ろ、お世辞という言葉を知らぬ存ぜぬと言い張る二人が二人ともそう言っているのだぞ」
二人のお墨付きをもらった事で自信が出たのだろう。背中をいつも以上に逸らして、腰に手を当てたニームは鼻息が荒い。
エコーは思わず視線を逸らせた。
「あ、あの……私はそろそろ舞台の方に……」
そもそもニームの突然の言葉に動揺していたエコーは、なんとか立ち直るとそう言ってテントを出て行こうとした。だが、それをジナイーダが止めた。
「待って。あなたこそ動揺したまま舞台に上がってはあぶないでしょう?」
「だ、だ、だ、だ、大丈夫です!」
見ればエコーは顔を真っ赤にしていた。誰が見ても、その状態で精密な演技などできそうも無い状態であった。
「教会の関係者としてそれらしい説教をさせてもらうなら」
ニームはそんなエコーを見ても顔色一つ変えずに淡々とした口調で言葉をかけた。
「お前も今の世界情勢はわかっていると思うが?」
ニームの問いにエコーは無言でうなずいた。知り合いになった友人の言葉だから、とりあえず逃げ出さずに話だけは聞くつもりなのか、あるいは「偉い人」の言葉に逆らえないのか。それはわからない。だがニームにとってはどちらでもよかった。
「ここらあたりはまだまだ平和にみえる。だが明日はどうなるかわからない。今度の戦争はおそらくファランドール全体に関わってくるものなのはまちがいない」
エコーが再度小さくうなずくのを見ると、ニームは少しだけ目を伏せた。
「それがわかっているのならば、もう私が告げるべき言葉はない。この先何が起ころうとも、後悔の無い今を過ごせ、それだけだ」
ニームは伏せた目を上げてエコーに小さく微笑んで見せた。
「どちらにしろ後悔する可能性はある。だが事を起こさず後悔するより、起こした事について後悔する方がずっといい。そうは思わぬか?」
エコーはその言葉には明確な態度を示さなかった。うなずくのは簡単だ。だが言われた事を行動に移すにはまだ覚悟が足りない。そんな風にニームには見えた。
「私はエスカと出会った事を毎日後悔している」
ニームはエコーから視線を外すと、共であるジナイーダにそれを移した。
「ニームさま」
ジナイーダはニームの寂しげな視線を受け止めると思わずそう声をかけた。
「勘違いするな。あんな事になってしまったのだ。一生後悔するに決まっている。だがな、私はもう、エスカに出会わなかった自分など想像ができない。ジーナと今こうしてここにいられるのもエスカに出会ったからだ」
ニームの言葉はそれで終わりだった。
それきりしゃべれなくなったからだ。
小さなニームは、あっと言う間にジナイーダに抱きしめられていた。
「ああもう、なんて可愛らしいんでしょう」
エコーは、突然の事に戸惑いの視線をニームのもう一人の共に向けた。
強く抱きしめられ、抗議の言葉すらまともに発せられずにもがくニームと、うっとりした顔でその拘束をさらに強めていくジナイーダを、意外にも優しい顔で見守っていたその人物は、その優しい顔のままでエコーに声をかけた。
「もう行った方がいい。我々は客席から楽しませてもらう」
「はい」
エコーはシーレンにつられるように微笑むと、そう言って会釈をした後でそっとその場を離れた。
いつの間にか動揺は収まっており、代わりに少しあたたかいものがこみ上げてくるのを感じていた。
「行ったようだな」
シーレンの言葉が合図であったかのように、ジナイーダはニームの拘束を解いた。
「ジーナは私を窒息死させるつもりか」
上気した顔で息を整えるニームの文句に、しかしジナイーダは取り合わなかった。
「あら、そうなったら私はすぐに後を追って冥府にお供しますよ」
ニームは大げさに肩をすくめると、エコーたちが出て行った出入り口に視線を向けて、ポツリとつぶやいた。
「あれで上手くいくとは思わんが、何もしないよりはマシというところか」
「しかし、カノンが男の子だと知った時は驚きました」
ジナイーダの言葉にニームはうなずいた。
「私もシーレンが指摘するまでは美しい少女だと思っていた」
話題を振られたシーレンは穏やかな表情のままで自分の鼻を指さした。
「色々あって、私は常人より感覚が鋭いからな。匂いで性別やある程度の年齢がわかる」
「まるで犬のようだな」
「なんだと?」
「大したものだと褒めたのだ」
「褒めているようには聞こえないのだが」
「まあまあ、そのへんにしておきましょう」
ジナイーダの仲裁で二人は肩を落とした。
「それで、どうだったんです?」
二人の様子に苦笑しながら、ジナイーダはシーレンに水を向けた。
シーレンはうなずくと、近くの椅子に腰を下ろした。
「私は今まで運命などというものを信じた事は無い」
ニームとジナイーダは、その言葉に思わず顔を見合わせた。
「お前にしては珍しく持って回ったような言い方だな」
ニームの声からは嫌味らしきものはかぎ取れなかった。それは悪気無く、本心からただそう思っている事を意味している。もっとも嫌味は含めていても、もはやニームが悪意をシーレンに向ける事はなかったのではあるが。
「持って回ったような前口上をしなければ報告できないということだ」
シーレンはそう言うと真顔をニームに向けた。
「お前の予想通り、奴らはあの辺りに現れた」
「ふむ」
ニームはうなずいた。
広範囲な感知ルーンでピクサリア周辺を探知していたニームが見つけた不審な結界の中でも、ニームが移動精霊陣の可能性が高いと指摘していた場所が、シーレンの言う「あの辺り」で、即ちそれはラウが穿ったイオスの移動陣の事であった。
「時を置かずここへやってくるという事か」
シーレンはうなずいた。
「お前はそれが運命的な事だというのか?」
ニームは怪訝な顔でそう問いかけた。それだけではない事は既にわかっていた。だが敢えてそう問いかけたのだ。そこがニームの不器用なところであり、ニームらしいところでもあった。
「奴らには共がいた」
それも想定の範囲であった。要するにその共がシーレンをして「運命」という言葉を口にさせる原因であるのは間違いなかった。
「その口ぶりから察するに、共の中に既知の人物がいたということだな」
ニームの問いかけに、シーレンは無言だった。だが言葉の代わりに、態度で示した。襟に手を当ててめくり上げると、その裏側をニームに見せたのだ。
そこには銀翼の矢の縫い取りがあった。
ニームもジナイーダも、シーレンがいまだに襟裏に部隊章を付けたままでいる事は既に知っていた。勿論それが意味するところも。だが、それを見た二人はまさかという顔で小さく口を開けた。
「こんな偶然があると思うか? 随行者がよりにもよってル=キリアだぞ。しかも司令と副司令が揃っている」
「お前がそこまで動揺しているのは珍しいな」
あきらかに声の調子が強くなっているシーレンに、ニームはゆっくりとした口調でそう言った。もちろんその意味がわからぬシーレンではない。ハッとした表情を一瞬見せた後、片手を胸に当てて数秒後には苦笑いを浮かべていた。
「お子様に諭されるとはな」
「いい歳をしてやもめのお前に子供扱いされる謂われはない」
「一つ忠告しておく。確かに司令もお前同様『やもめ』だ。だが、あの人と直接話す機会があっても絶対に歳の話はするな」
怪訝な表情を浮かべるニームに、シーレンは肩をすくめてみせた。
「いいな。忠告はしたぞ」
「わかった。お前がそこまで言うのなら善処する」
「あの瞳髪黒色のルーナー達は何者なんだ?」
「直接聞けばいい。私もさらに興味が湧いた」
「直接、だと?」
ニームはうなずいた。
「お前の話では、相手はお前を特定していると考えるべきだろう?」
問いかけに無言のシーレンに、わざとらしいため息を一つついてから、ニームは続けた。
「あの二人に、我々は自分達の名を名乗った。そして我々は何の口止めもしなかった。つまり、そういう事だろう?」
ニームの言うことはもっともであった。エイル達がアプリリアージェにもたらした情報は名前だけではなく、その風貌についても当然ながら付加されているはずである。シーレンという名だけではまだしも、長い金色の三つ編みを持つアルヴィンの剣士と説明されて特定出来ない間抜けがル=キリアの司令などに収まっていられるはずがない。
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