第三十九話 二つの碑文 2/6
「正教会の賢者会や高位のお役を持っている人にニームという名の少女はいないのですか?」
アプリリアージェは今度はラウ達にそう訪ねた。
もっともニームという名前が本名である保証はない。さらに言えば賢者にとって現名はさほど意味を持たないものなのだ。賢者同士でもお互いの現名を知らないのが普通である。
ラウがその説明をすると、アプリリアージェは再び視線をエルデに向けた。
「フェアリーはシーレンだけで、後の二人はルーナーやな」
エルデは問われるより先にそう答えた。それを聞いたアプリリアージェは目を細めた。
「なるほど。それで、あなたたちはピクサリアに行くつもりですか?」
「リリア姉さんを残して行くのは不安やったんやけど、決心がついたわ」
エルデはそう言うとエイルを見た。エイルは何も言わずにうなずいた。
「向こうには敵意がないのはわかってるし、一人はリリア姉さんの知り合いとなれば、合わへん訳にはいかへんわ」
「セッカというエーテル体だか黒猫だかとの約束はどうするのです?」
エルデとエイルがセッカより前にニーム達に会う事を決めたのは、セッカとは別にニーム達に「ネッフル湖の解呪士」についての情報がないかを探れるからという理由もあった。たとえニーム達が解呪士の事は知らなくとも、セッカ・リ=ルッカという現名の黒猫の事は知っているかもしれない。もしくは《月白の森羅(げっぱくのしんら)》という名の自称賢者でもいい。つまりエルデ達にとって彼女達の存在は一つの可能性であった。その可能性を言葉でなく現実にするためには会って話す必要がある。
エイルとエルデはその事をラウやファーン、もちろんファルケンハインやベックにも告げるつもりだったのだ。アプリリアージェの復帰はうれしい誤算であったが、そのせいで可能性に希望が追加されることとなった。
シーレンとアプリリアージェが旧知であることがそれである。しかもただの知り合いではない。ル=キリアの司令官と部下という関係なのである。しかもル=キリアはただの部隊ではない。特殊部隊であるル=キリアに要請される作戦は通常の戦闘ではないのだ。常に命を賭したものであったろう。アプリリアージェとシーレンとの間には普通の部隊の上官と部下以上の強い関係があっておかしくない。
「金の三つ編み、って言うたっけ?」
話の途中で思い出したようにエルデが訪ねた。
「やっぱりその名前は知っていましたか」
おそらくアプリリアージェは敢えてシーレンの二つ名を口にしたのだろう。アプリリアージェ達ル=キリアの事を知っていたエルデである。正教会が持っている情報網に「金の三つ編み」の名前がないはずがないのだ。
「あのアルヴィンが凶兵、『金の三つ編み』なんか。そんな風には全然見えへんかったけど」
そう言ったエルデを見つめる疑問符のついたエイルに対し「後で詳しく説明する」というほどの意味を込めてエルデが小さくうなずいた。エイルはそれを見ると何も言わずに同じように小さくうなずいて見せた。
アプリリアージェはそんな二人の些細なやりとりを見て微笑を笑顔に変えた。
「私がぼうっとしている間に、二人の間の空気はすっかり変わりましたね」
「え?」
アプリリアージェの言葉に、エイルとエルデは再び顔を見合わせた。
「あ、気にしないでください。悪い意味ではありませんから」
アプリリアージェがそういうと、その言葉を受けるようにファーンが口を開いた。
「私も全く持って『アプたん』と同意見です」
『アプたん』はエイルもエルデも初めて聞く愛称だった。
二人から同時に視線を向けられたラウは複雑な苦笑を浮かべると、視線を宙に泳がせた。エイル達はそれを既知の情報が成させた証明行動であろうと判断した。おそらくラウ達にはすでにお披露目していた愛称なのだろう。
「アプたん」ことアプリリアージェはさすがと言うべきで、およそ予想外と思える愛称を当然のごとく使うファーンに対してもその表情に全く動揺の色を見せず、にっこりと笑いかけた。
ファーンはそれを肯定されたと認識し、自説の披露を続けた。
「以前の『白さま』と『エイルん』なら、ここでボケとツッコミを繰り広げて長時間話の本筋から脱線し、迷走の地平線を目指していたと私は確信します。即ち……」
「即ち?」
「以前は『ああ言えばこう言う』間柄だったものが、今では『ツーと言えばカー』、『以心伝心』、『打てば響く』 つまり」
「いや、だから何が言いたいん?」
「とても仲の良いご夫婦のようです」
「いや……」
エルデは絶句した。
言葉に窮したエルデの代わりにアプリリアージェが答えた。
「『ようです』、ではなくて『仲の良いご夫婦』そのものですよ。もっとも迷走の地平線を目指していた以前から仲は良かったと思いますけどね」
「リリア姉さん……」
アプリリアージェの言葉にエルデの顔が上気した。
「そういえばオレ、確かに以前はいろいろ罵られていたっけ」
エイルがそう言うと、エルデが反応して真っ赤な顔をエイルに向けた。その眉はつり上がっていたが、すぐに下がった。
「う……」
「う?」
「うるちゃい……」
エルデは目をそらして消え入りそうな声でそう言うと、顔を背けた。
「うるちゃいって……」
二人のやりとりをみて、ファーンが目尻を下げた。
「白さま、なんだかとってもかわいらしいです」
そう言うと顔をラウに向けて、じっと見つめた。
「な、何?」
「ラウっちもあんな表情をしますか?」
「はあ?」
「見てみたいので、希望します」
「いや、あれはさすがにちょっと恥ずかしいでしょ?」
「何やて?」
ラウの一言にエルデは赤い顔のまま反応した。
「い、いや、そういう意味ではなくて」
怒気に満ちたエルデの顔を見て、ラウは慌てて顔の前で両手を振って見せた。
「私にはそんなかわいらしい仕草は似合わない、とそういう意味で」
「ぐ……」
「いえ、ラウっちもきっと常識外れなくらいかわいらしいに違いないと、今、確信しました」
「お願いだから勝手に確信しないでちょうだい、ファーン」
ラウはそう言うとエルデから視線を外してうなだれて見せた。
「良かった……」
エイルとエルデのそのやりとりを見て、アプリリアージェがため息混じりにそうつぶやいた。
つぶやきに反応したエイルとエルデに対し、アプリリアージェは自らのつぶやきの意味は一切告げず、脱線していた話題を元に戻した。
「シーレンはフリストのおかげで人に戻りました。小隊の仲間のイブキやクシャナと一緒に暮らすようになってからは、もうほとんど普通の若い娘でしたよ。ただ」
「ただ?」
「その代償として、シーレン・メイベルは大事なものをなくしてしまいましたけれど」
アプリリアージェはそこでいったん言葉を切った。そしてエイルとエルデが共に口を開かないのを確認すると、付け足すようにつぶやいた。
「今のシーレンには、もう人は殺せません」
エイルとエルデには、アプリリアージェが言わんとした事がなんとなく通じていた。
シーレン・メイベルという特殊な生い立ちの戦士は、おそらく二人が恐れる存在にはならないだろうと告げたのだ。
それはつまり、ニーム達に会う事をアプリリアージェなりに肯定してみせたのだと思われた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます