第三十二話 エコー・サライエ 2/5
「ちょっと気分が良くなったと思ったら『これ』か。お前の粗相の後始末をやらされているこっちの身にもなれ」
長い三つ編みを持つアルヴィンに叱られた茶色の髪の小柄なデュナンの少女は、少しだけ肩をすくめると、三つ編みの少女から視線を逸らした。
「まったく。というか、そこのお前!」
三つ編みのアルヴィンは、今度は視線を棒立ちになっているエコーに向けた。
「ぼうっとしていないで助けろ。お前と違って私には大した腕力がないのだ」
「え?」
いつの間にか三つ編みのアルヴィンの視線が、いや視線だけでなく意識の全てが自分に向いている事に気付いたエコーだが、言葉の後半が自分に向けられたものだと理解するまで数秒を要した。
少女の声が普通の声ではなかったからだろう。
「早く力を貸せっ!」
それは輪郭が強調されたような不思議な悲鳴に近い声が響いた。
いや、響いたのではなく耳の側に届いたと表現した方が正しい。つまりその声は周り全体に響き渡ったのではないようだった。ただ、エコーの耳で大きな音になっていたのだ。
それが能力の高い風のフェアリーが持っている独特な言葉の伝達方法だという事をエコーはまだ知らなかったが、勿論声には反応して、慌てて傾いたリザの体に駆け寄り、下から支えあげた。
三つ編みのアルヴィンは大きなため息をつくと、リザをエコーに任せて、自分はそのままそこに座り込んだ。
「ニーム!」
三つ編みのアルヴィンは座り込んだ格好のまま、茶色い髪のデュナンの少女に鋭い声で呼びかけた。エコーは人型の精霊の名前がニームだと知った。
「黙って見ていないで、ここはご自慢のルーンで助けるべき状況だろう?」
しかしニームと呼ばれた少女は唇の片側だけで笑い顔を作った。
「ふ……」
「何がおかしい」
「普段は鉄面皮のお前が珍しく必死に踏ん張る顔が、殊の外気に入ってな。忘れぬように見入っていた」
「嘘をつくな。視線を逸らしていただろう? と言うか、誰が鉄面皮だ」
「むう。むやみに現世でルーンを使うなと、ジーナに言われている」
「ならば問うが、そのジーナは、お前がむやみに外をうろついていいと言ったのか?」
「そんな細かいところまでは覚えておらんな」
デュナンの少女はそう言うと屈託のなさそうな笑みを作った。
突然現れた小柄な二人は、エコーとリザそこのけで言い争いを始めていた。
言葉の応酬こそけんか腰の部分はあったものの、エコーは不思議とそこに険悪な雰囲気は感じなかった。
確かに長い三つ編みのアルヴィンは大きな目を吊り上げて、ニームと呼んだデュアルの少女を叱責していた。だがその言葉の中には聞く者の体をこわばらせるようなトゲがふくまれていないのだ。
相手を値踏みする能力もそうだが、若いなりに芸歴の長いエコーは、好むと好まざるとに関わらず、観客の言葉や表情、仕草などから、反応を読み取る能力にも長けていた。会話をしている二人の人間関係がどの程度であるかを推測するくらいなら、朝飯前だったのだ。
だからそんなエコーの目には、二人は「けんかをするほど仲の良い」友人同士に映った。
「そんなことより、そこのデュアルの娘」
「え?」
三つ編みのアルヴィンにニームと呼ばれた少女の視線がエコーを捉えた。
「な、なんでしょう?」
リザを支えたままだったエコーは、少女に声をかけられて体中に緊張が走るのを感じた。
「それで? お前達は聖堂に忍び込んでいったい何を見に行くつもりなのだ?」
エコーは絶句した。
リザとの会話はニームという名の少女に全て聞かれていたのだ。
ニームはエコーの答えを待たずに質問を続けた。
「で、どうだ?」
「は?」
それは思いもしなかった問いかけであった。
(どうだ? と言われても……)
エコーが心の中でそう言葉を整えた時、意識の全てを覚醒させるような衝撃が走った。
「え? もしかして」
エコーのその反応を見た少女は、その時初めて満面の笑みを浮かべて見せた。それはいたずら好きの子供が見せるような邪気たっぷりの、しかし心から楽しいといった笑顔で、朝の陽の光に映えてエコーはそこにある種の神々しさを感じた。
「話の内容からして、おそらく余が、その『やんごとなきお方』 であろうな。つまりお前達はわざわざ忍び込む手間が省けたというわけだ」
焦げ茶色の髪をした、神々しいまでの瞳の輝きを持つその少女は、まさしくリザの噂の主であったのだ。
エコーは今こそ目の前で起こった一連の不思議な現象の答えを見つけたと思った。
全ては一言で解決できることだったのだ。
「本当に賢者……さま?」
エコーの呼びかけに、少女は再びいたずらっぽい笑顔を浮かべ、小さくうなずいて見せた。
本当に賢者は存在するかもしれないとは思っていた。
だが、自分がその賢者と言われる存在と会うことは一生ないだろうという、妙な確信をもっていた。
賢者とは庶民にとってはそれほど浮き世離れした存在であったのだ。
加えて、自分の想像が全て砕かれていくのを感じていた。
賢者とは腰の曲がった老人達だと、エコーは勝手に思い込んでいたからである。
しかし「実物」の賢者はどうだ?
エコーは驚きのあまり、体から力が抜け落ちていった。
それはつまり、抱えていた自立できない多関節の物体……要するにリザが支えを失い、重力の法則に則り自由落下することを意味していた。
「あっ」
気付いた時にはもう間に合わなかった。伸ばした手をすり抜けて、哀れなリザの体は側溝に向かって崩れ落ちて行き……
「アニマト!」
その時鋭い声がした。そして次の瞬間には、またもやリザの体はあり得ない格好で空中に静止した。
「やれやれ……」
力ないため息が側溝の向こう側から聞こえた。
そこには地面に座り込んだ三つ編みのアルヴィンが、肩をすくめてニームを睨んでいる図があった。
******
カノナールやエコーが身を置くサライエ一座とは、例外はあるものの、基本的にはデュアルだけで編成された少し変わった旅芸能一座であった。
座長であるリコ・サライエ自身もデュアルで、一座の構成員のほとんどは彼が旅の途中で「拾った」デュアルなのだ。
もちろんこれには事情がある。
サライエ一座はもともとウンディーネを本拠として家族でこぢんまりと活動していた一座だった。
十年以上前の千日戦争後の事である。
暗くなっているだけでは駄目だ。だから自分は人々に娯楽を届けようと決心し、戦乱で荒れ果てたサラマンダに入ったリコ・サライエは、ある町へ向かう途中で目にした光景に衝撃を受けた。
街道の両脇が延々と死体で埋め尽くされていたのである。
戦いで死んだ兵士がそのまま放置されていたわけではない。無造作に路肩にうち捨てられていた遺体の服装は一目見て兵士ではなくは普通の民間人のそれだとわかった。
たまりかねたリコがすれ違う馬車に訳を尋ねたところ、多くは力のない老人や幼い子供で、身寄りのない者達が食べるものもなく弱り果てた末路であると言う。道の真ん中で倒れるものも多いが、通行の邪魔なので脇に寄せられているのだという。
餓死か病気か……どちらにしろ抵抗力のない弱い者達にとって敗戦後の荒廃したサラマンダは過酷に過ぎたのだ。
リコは自分達の馬車を止めると、街道の道ばたの遺体を一つ一つ調べて回った。すると、全てが遺体ではない事がわかった。
声を出す力もなく泣いている子供がいた。
泣く仕草すらできず、しかしまだ息がある赤ん坊がいた。
進むうちに両親の遺体の脇で物乞いをしている幼い子供も見つけた。
リコはそれらの子供を文字通り「拾って」世話をした。
もちろん現実的には全ての子供を育てる事などリコにも不可能だった。そもそも見つけた子供を全て拾い上げる事すら一人の人間には荷が重すぎた。
彼は涙を流しながら、結果として何十人何百人もの子供を見捨てなければならない自分を呪い続けたという。
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