第三十話 生者と死者 5/5

 エイルはエルデの肩を抱くことも忘れて、頭の中に浮かんでくる言葉を必死でもみ消そうともがいていた。

 認められなかった。

 断じてその言葉を思い浮かべてはならなかった。

 だからそれを振り払うように怒鳴った。

「何があった!」

 エイルは自分でもびっくりするほど大きな声を出していた。

「説明しろ! 何があったんだ?」

 それはその場にいる人間、つまりアキラとファルケンハインに向けられた言葉であった。そしてようやくその場にいない人間の事を思い出していた。

 アプリリアージェ、テンリーゼン、ティアナ、そしてベック。

 エイルは一転して押し殺したような声でさらに続けた。

「教えてくれ。どこへ行った? ここでいったい何があったんだ?」

 感情は低い声と反比例していた。急激に高ぶって、みぞおちに何かどろっとした塊のようなものがこみ上げてくるのをエイルは押さえられなかった。いや、押さえようとはしなかった。むしろそれをそのまま何かにぶつけたい衝動に駆られていた。

 しかし、エイルの意識はそこで途絶えた。

 視界が暗転し、意識が急速に冷め、そして底なしの穴に落ち込む感覚に襲われ、そのまま消えていった。

 だが、完全に意識が失われる寸前に、かぎ慣れない花の香りが鼻腔をくすぐった。だがよく知っている香りでもあった。その花の名前を思い出そうとして、そしてそこでエイルの意識は途絶えることになった。



「まさか、こんな状況で再会するなんてね」

 男の声がした。声と共に風が木犀の香りを運んできた。

 血の匂いで麻痺していたアキラは、鮮烈なその香りで意識が覚醒した。

 顔を上げ、声のする方を見た。

 それはよく知っている声だった。

「ミリア……」

 声の主を視覚的に特定する前に、アキラはその名を口にした。

 だが、アキラの声に応えたのは女の声であった。

「いつもミリアは遅すぎる。狂わないはずの計算がどんどん狂っている。今回も、フリストの時も……」

「言うな」

 珍しくミリアは気色ばんだ声でスノウの言葉を遮ると、難しい顔をしたままで動かないファーンの隣に膝をついて横たわっているミヤルデの腕をとった。


「頼む」

 アキラは今度は短くそれだけを口にした。

「ああ」

 同様にミリアも短く答える。

「助けてくれ」

「わかってる」

「大事な……大切な人なんだ」

「安心しろ。約束する」

「すまん」

 アキラは礼のような言葉を告げると、口調を変えた。

 ようやく異変に気付いたのだ。

「そうだ。いったいここへ何をしに来た? 俺に会いに来たわけではないのだろう?」

 ミリアが突然現れるのにはもうアキラは驚かなかった。だが、今現在のこの状況は異常である。

 アキラは改めて周りを見渡した。

 ミリア・ペトルウシュカとスノウ・キリエンカという異分子が突然現れたにもかかわらず、その場に居る人間は誰も反応しなかったからだ。予想はできていたが、それを確認したのである。

 案の定であった。

 ファーンだけではない。誰も動いていなかった。

 その場で命があるように見えるのはミリアとアキラ、スノウ、そしてミヤルデの四人だけだったのだ。

 何をどうやっているのかわからない。だがアキラはミリアのこの能力を知っていた。

 しばらくの間両手でミヤルデの腕を握っていたミリアは、顔を上げると少しだけ表情を崩した。

「アキラ、もう大丈夫だ。この子は助かる」

 そう言ったミリアの顔色がなぜか蒼白になっているのに気付いてはいたものの、アキラはまずはその言葉に反応した。

「本当か?」

 ミリアはうなずいた。

「このルーナーはハイレーンなのか? 極めて優秀、いやここまで高位のハイレーンなど聞いた事がないよ」

 心から感心したような声で、ミリアは傍らの動かぬファーンをたたえた。

「君の大事な人の命を救ったのは、このハイレーンだ。いいかい、これは大事な事だから覚えておくんだ。ボクじゃない、このハイレーンだ」

 ミリアはアキラをじっと見つめると、念を押すようにそう言った。

「単純な剣の傷なのが幸いしたね。傷は内にも外にも確認できない。既にこのハイレーンがふさいでいる。失血は多いけど、そっちももう問題ない。命には別状がないくらいに回復している。だからこのまま暖かくしてやればいい。じきに目を覚ます。その後は君の仕事だ。本人がたとえ嫌がっても栄養のあるものを食べさせて二、三日ゆっくり休ませるんだ。そうすればすぐに普通に歩けるようになると思うよ」

 ミリアはそれだけ言うと、アキラから視線を外して隣のスノウを見た。

 スノウはミリアと目が合うと、ゆっくりと首を左右に振った。


 わかっていた事ではあるが、スノウはエルネスティーネの死亡確認をしたのである。

「お姫様は残念な事をした。悪いがボクでもこうなっては手の施しようがない」

 ミリアはアキラの肩に手を置くと、そう言って立ち上がった。

「スノウの言うようにボクがもうちょっと早く駆けつけていたら、こうはならなかったかもしれない。でもね」

 ミリアは言葉をそこでいったん切ると、動かないエルデとエイルに顔を向けた。

「さらなる悲劇の幕開けは阻止することができたよ。誰も褒めてくれないかもしれないけど、その点だけはボクは自分自身を誇りたい。なぜなら君をここで失いたくはないからね」

 アキラは怪訝な顔を向けたが、ミリアはそれにはとりあわなかった。

「エスカに会ったら言っといてくれ。一つ貸しだってね」

 どういう意味だ? とアキラが尋ねる前に、珍しくミリアは自分でその理由を告げた。

「その顔だと知らないようだね。まあいいさ。実は今、ボクは炎のエレメンタルの暴走を止めてみせたんだけどね」

「なんだと?」

 アキラはミリアの視線を追い、エイルとエルデを見つめた。

「その口ぶりだと、君は知らなかったということか。まあ、本人はひた隠しにしていたんだろうね。そしてそれは正しい判断だろう。何しろボクもつい今し方まで炎のエレメンタルは消滅済みだと思っていたくらいだからね」

 ミリアはそれだけ言うと、エルネスティーネのところに赴き、その小柄な体を軽々と抱き上げた。

「おや?」

 抱き上げた拍子に体を覆っていたマントから玉になった水が転げ落ちるのを見て、ミリアは不思議そうな顔をして薄茶色のマントをつまみ上げた。

「瞳髪黒色のルーナーの持ち物だ。別のルーナーが感謝の気持ちを込めて自分の髪を織り込んで作った」

「ふむ、なるほど」

「それより、ネスティをどうするつもりだ?」

「これかい? もちろんボクがもらうよ」

「何だと?」

「おっと」

 立ち上がろうとしたアキラは、すぐに自分の体が拘束されたのを知った。

「ボクからのお願いだ。ここはおとなしく見送ってくれ」

 ミリアはそう言うとエルネスティーネの体を覆っていたマントを脱がし、スノウに合図してそれを手渡した。

「そんなに大事なものは経帷子としてはふさわしくない。生きている持ち主に返してやろう」

 スノウはうなずくと、マントをエルデの肩に羽織らせた。

「どうするつもりだ?」

 アキラの質問は、もちろんエルネスティーネの遺体を持ち去ろうとする事に対して投げられたものだ。

「生きていれば生きていたで良かったんだが、まあ死体にも死体なりの使い途というやつがあるということさ。エスカや君にはできない事でも、このボクにはできるからね」

「貴様、何を考えてる?」

「何って、色々さ」

 それだけを言うと、ミリアはアキラを見ようともせず、そのまま遠ざかっていった。

 その後ろ姿を眺めるしかないアキラの元に木犀の香りと共にスノウが近づき、その耳元で短い言葉をつぶやいた。

「心配ない。ミリアに利用されないように私がきちんと火葬をする」

 アキラの意識があったのも、そこまでであった。

 スノウが立ち去る気配と共に、全ての感覚が消失した。



 星歴四〇二七年白の一月十日

 それは、どの歴史書にも間違いなく記載されている日付である。

 すなわちその日、ドライアド王国がシルフィード王国に対して宣戦布告を行った。

 しかし、どの歴史書にも掲載されていない重大な事柄がある。

 ミヤルデ・ブライトリングの手記に依れば、星歴四〇二七年白の一月十日は、エルネスティーネ・カラティアがエルミナにて没した日とされている。

 そしてその日はエルネスティーネの誕生日でもあり、享年は十八歳であったとされている。

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