第二十三話 雨の檻 2/4

「その四つの椅子のうち、長きにわたって空席だとされていた《白》さまの席が埋まったのです。《蒼穹》さまが我々人とは違う存在であるなら、同胞である《白》さまは、大きな興味の対象になっても不思議ではありません。たとえそれがあの《蒼穹》さまであっても、そんな純粋、いえ単純な気持ちをお持ちだと私は今考えます」

 ラウと同様、ファーンもイオスの雰囲気が少し変わったことに気づいている様子だった。ファーンによれば、ツイフォンの時の感覚が以前と違うのだという。それはファーンにしかわからぬ変化だが、ではどう変わったかと訊ねると言葉にはしにくいもののようであった。


「今の時点では憶測でしか言えない私の言葉を許していただくなら、《蒼穹》さまがいらっしゃっても、あの方達は大変な事、ひどい事にはならないと思います」

 ラウはファーンの意見にうなずいた。

 根拠はない。だがイオスは何かを破壊するような行為の為に訪れるのではないという漠然とした予測はあった。

「そやね。もうこの話はやめにしよ」

 ラウはファーンと居る時には、意識せずに古語を口にする事が多くなっていた。古語を使うとファーンが嬉しそうな顔をするのが、ラウは少し嬉しかった。

 ファーンにしてみればラウが古語を使うのは、自分の目の前でラウが裸の状態でいてくれる様に思えるのであろう。信頼されているという思いが深くなり、自然に嬉しい気持ちになるのだ。しかしそれはイオス同様、以前のファーンには見られなかった感情の発現である。

 ラウにしても同様で、ファーンの笑顔を見ると自分自身が満ち足りた気持ちになる事を知った。


「そういえば、今日は《白》さまのご様子が普段と違うと私は感じていました」

 ラウはうなずいた。

「何かあるね」

「エイルさんに関する事でしょうか? なぜなら今日の《白》さまは、長時間ネスティとご一緒だと認識しています」

 ラウはうなずいた。

「あの事件からこっち、エルデを見てるのが辛い。その打開策でも模索しているのならええんやけど」

 ファーンは拳を握りしめてうなずいた。

「決して《白》さまはエイルさんを嫌っておいででは無いはずですと、私は認識しています。エイルさんの立場になってみれば私にもわかります。人に避けられるというのは、感情がへこみます。ましてや好きな人から避けられるとなおさらだと容易に推測できます」

 ファーンの口調に少し拗ねたような色が漂った。

「ああ」

 ラウは思わず微笑を浮かべた。好きな人に避けられるとへこむという言葉の向こう側には、ファーンの体験があるからだ。拗ねた顔もそこからきていた。

「そう言えば、ファーンは今日も振られてたな」

「そうなのです」


 ファーンはマーナートのマナちゃんに大きな興味をもっていた。ラウはもちろんそれを知っていたが、なかなか触る機会を見つけられずにいるのだ。

 エルネスティーネの頭や肩に乗っていれば、ファーンとしても声をかけやすいのだが、エルネスティーネは、昼間は大概エイルの側でファーンの目の届かない場所に居る事が多く声をかけるにもなかなか機会が無い。

 夜になるとマナちゃんはテンリーゼンに「場所替え」をするが、どうやらファーンはテンリーゼンに敬遠されているようで、近づくと遠ざかり、気がつけばどこに居るのかわからなくなっているという状況なのである。

 そのマナちゃんは、今日は朝からずっとテンリーゼンの肩に乗っていた。つまり食事時はファーンがテンリーゼンに声をかける絶好の機会なのだが、ファーンが実際に声をかけようと近づくと、あからさまにテンリーゼンは席を立って部屋を出て行ってしまったのだ。

 ラウは夕食時にも同じ光景が繰り広げられるのを見ていたので、ファーンが言わんとしている事がわかっていた。もっともマナちゃん本人に振られているわけではないのが救いではある。

「明日にでも私からリリアさんを通じて頼んでみてあげる。たぶん何かわけがあるんやと思う。断言するけど、ファーンのせいやないよ」

 ファーンほどではないにせよ、ラウもテンリーゼンからは敬遠されている。だから直接頼むのではなく、搦め手を使おうというのだ。

「そうだと良いと私は希望します。できれば私はあの子と少しお話もしたいのです」

「あの子、というのはリーゼと?」

「ええ」

「リーゼは言葉をしゃべれないと聞いてるけど?」

「精霊会話(エーテルトーク)が使えると聞き及びました」

「なるほど」

 風の属性をもつ能力の一つがエーテルトークだが、ファーンであれば周りに風のエーテルを纏わせる事により感度を上げる事ができるはずだった。ハイレーンは全ての属性のエーテルを制御可能なのだ。風の単一属性のエーテルを纏う事など容易にちがいない。

「少し不思議な子ですから」

 ファーンは独り言のようにそう言うと、何かを思いついたように立ち上がった。

「甘いお菓子を食べませんか? ラウっちの好きな砂糖菓子があると、ベックさんが今朝方、私に密告してくれました」

 ラウの返事を待たずファーンがその場を動こうとした時、庭に面した硝子扉が開く音がした。昼間ならまだしも夜になり、しかも屋外は先刻から雨模様である。外からにしろ内からにしろ、扉が開かれるのはこの状況下では常態ではないと言えた。すなわちラウとファーンは同時に音のする方へ注意を向けた。


「エイル!」

 先に声をかけたのはラウだった。

「どうした、ずぶ濡れではないか」

「よかった。やっぱり居てくれたな」

 その言葉はエイルがラウに用事があるという意味を成す。

 だが……

 ラウはファーンに目で合図をした。とりあえず体を拭くものが必要と判断したからだ。ファーンはラウの意を正確に汲み取りうなずき返すと、すぐにリネン庫へ向かって走り出した。

「頼みがあるんだ」

 エイルはチラリとファーンの行方を追ったが、すぐにラウに視線を戻した。

「頼み? 私にか?」

「ラウ・ラ=レイを高位コンサーラと見込んでの頼みだ」

 ラウはその言葉を聞くと、眉間に皺を寄せてため息をついた。

「お前もか。いったい今日などうなっているんだ」

「お前もって?」

「いや、こっちの話だ。とりあえず訳を聞かせてもらう」

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