第二十三話 雨の檻 1/4
時間を少し遡ろう。
ラウとファーンは、食事後の一時を広間の一角にあるソファで過ごしていた。
夕食後の一時をここで過ごすのはラウとファーンにとっては日課のようなものだった。ファーンと話をしながら、食後の一時をベックがいれたコーヒーの香りを楽しみながらゆったりとするいい時間だった。
食後に出されるお茶は、シルフィード陣の好みに合わせた紅茶と決まっていた。だからコーヒー好きのラウは毎食後、大広間の片隅で香りの強いコーヒーを飲まずには居られなかったのだ。
その日の夜も、いつも通りにポットにたっぷり入ったコーヒーを二人で分け合って話をしていた。
話題は翌日のイオスの訪問についてであった。
彼らにとっては師でもあるイオス・オシュティーフェだが、もちろん単なる師弟の定期連絡などではない。明日の来訪は水のエレメンタルに関する重要な事柄だとしか知らされていない。
三聖の重要な使命、いやおそらく最大の使命がエレメンタルの監視である事はラウも既に知っていた。
イオスは当然ながら今この屋敷にいる者を全て把握している。つまり、ここには水精ルネ・ルーとは別の、もう一人のエレメンタルがいるという事を知っているということである。
イオスが二人のエレメンタルに対して何らかの意思表示、もしくは行動を起こすことは間違いないと思われた。
三聖であるイオスは、水精、すなわち水のエレメンタルの監視者であるという。風のエレメンタルの監視者ではない。考えてみれば現状がいびつである事がわかる。エレメンタルは四人。だがその監視者は三聖。すなわち三人しかいないのだ。そのために風のエレメンタルのみは特別で、三聖の合同監視という事になっていた。
だが、本来の監視者が存在している事をラウは知っている。問題は本来は四聖であるにもかかわらず、それをなかった事のように抹消し、古来よりずっと三聖であったかのように取り繕っているのか、である。
もちろん、いくら考えてその理由はわからなかった。もちろんイオスは知っているだろう。他の三聖もおそらくは。そして本来は四聖の一人と呼ばれるべき《白き翼》ことエルデ自身は間違いなく答えを持っているに違いない。
だが、ラウはそれを敢えて聞こうとは思わなかった。歴史から抹消するだけの理由があるのであれば、興味本位でほじくり返していいものではないと理解していたからだ。その辺りからはラウの律儀さが垣間見える。
むしろラウの興味はエレメンタルにあった。即ちエルネスティーネである。
十八年ほど前にシルフィード王国で風のエレメンタル誕生の公式発表があった。正教会(ヴェリタス)はそれを受けて直ちに三聖の名前によるエレメンタルの引き渡しを申請した。エレメンタルという存在は名目上「マーリン教にとっての聖なる存在」である。だから、国や立場などを超越したところでヴェリタスにその存在を託して欲しいというものであった。
もちろんいかなる理由があろうとシルフィード王国が自国の王女をヴェリタスに引き渡す事などありえない。同様にヴェリタス側でもシルフィード王国が要請を受け、引き渡しに応じるなどとは露ほども考えていなかったであろう。
ヴェリタス側のそれはつまりは一つの形式、いや様式なのだ。
風のエレメンタルに限らず、エレメンタルの存在が確認された場合、ヴェリタスはその「聖なる存在」の確保に動く。ヴェリタスの権力が及ぶ国や組織であれば、それは平和裏に行われる可能性が高かった。市井の人間の間に生まれた子であれば、正教会は家族ぐるみでヴェリタスに招待したであろうし、事実過去にはそういう事例もあったようである。
だがエルネスティーネの場合は事情が複雑なのだ。シルフィード王国の王女である事に併せ、国があらゆる宗教活動を禁じている無宗教国家である。基本的にヴェリタスとの結びつきが強くはない。敵対などはしていないものの、友好的な交流もない。つまりシルフィード王国が「はいそうですか」と受諾する可能性を論じる方がどうかしていると言うものだ。
だが、当の風のエレメンタルが自国を離れているならば話は別である。
三聖であるイオスは果たして風のエレメンタルを確保するのだろうか?
ラウの考えでは強い意味での確保はないと思っていた。
理由はこの屋敷の環境である。
イオスほどのルーナーであれば、屋敷に入り込んだ時点で外に出られないように結界拘束する事はたやすいと思われた。
だがそれをしなかった。それどころかきわめて快適かつ開放的で自由な場所を提供している。
もちろん違う見方もできる。
こちらには三聖ならぬ四聖の
空精、風のエレメンタルの本来の監視者である。
法を絶対視し、筋を通すことこそ自らの存在意義としているように見えるイオスにとって、本来の監視者が存在している時点で自らの空精に対する拘束力はいったん解除されたと考えていてもおかしくはない。
要するに風のエレメンタルの事は《白き翼》の役目であり、正式な役目がいる限り、水のエレメンタル担当である《蒼穹の台》が口を出すべき事はない、という考え方である。もちろん空精の監視者が己の役目を全うしうるとイオスが判断する事が前提ではあるが。
「ラウっちの疑問が《蒼穹》さまの表面的な目的についてでしたら、事は単純だと思われます」
ラウはそんな心に浮かんだ思いを隠さずファーンに告げていた。二人の間ではもうそれが自然な事になっていた。ファーンはそんなラウにマーナートの毛先ほどの忌憚も含まずに思った事を返してくれるのだ。ラウは今のそんな関係を心地良いと感じていた。
「つまり《蒼穹》さまがお越しになるのは、単純にお話をしたい、という欲求ではないでしょうか?」
「誰と? エルデ? それともネスティ?」
「私が思うに、どちらとも、ではないかと。ラウっちの質問の意図が比重に関するものだとすれば、現時点では《白》さまへの興味の方が大きいと推測します」
意見を求められたファーンはそう答えた後で、思い出した様に付け加えた。
「私は今、記憶の中から関連性のある事象を特定しました。そもそも前座には四つの椅子があるのです。それまで私はその椅子はエレメンタルの為ものだと説明を受けていました。しかしその椅子に《蒼穹》さまはお座りになっていたのです。つまり三聖がもともと四聖であるとすれば、あの椅子はエレメンタルのものではなく、本来の四人の監視者が座るべきものだったのだと腑に落ちます」
ファーンはイオスの側付きとして、普通の賢者としては例外的に前座に入る機会が多かった。だから前座の内部の様子をよく知っている。
「兄はエレメンタルの座する場所だと私に説明しましたが、今ならそれが間違いであると、私は胸を張って指摘する事が可能です」
ファーンの兄とは、つまりイオスの守護役である
ラウよりも長くイオスと接しているだけでなく、兄からもイオスについてのさまざまな情報を得ているに違いない。つまりファーンはラウよりもイオスについては理解度が高いと言えた。
そのファーンがそう言うのである。
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