第十三話 開戦の報 3/3

 しかしなぜそうなったのかを反芻するまえに、今度はアプリリアージェが参戦してきた。

「あら? エイル君は私にはそんな笑顔を見せてくれた事はありませんよ?」

 その一言はエイルだけでなくエルデの表情をも固める力があった。

 もちろん二人ともアプリリアージェの「罠」に気づいていたからだ。

 固唾をのんで見守る一同と凍り付く二人を尻目に、エルネスティーネがあきれたような声でその「罠」を踏みつぶした。

「エイルはきっと、見た目ではなく実年齢に敏感なんですよ、リリア」

 最近のネスティはほぼ全員を呼び捨てだった。

 エイルの記憶では、以前は「リリアさん」と呼んでいたはずだ。だがそれは決して偉そうな物言いではない。むしろ以前よりも親しさを感じさせる呼び方だった。少なくともエイルは「エイル君」よりも「エイル」と呼ぶ今のエルネスティーネを身近に感じていたし、今までは傍目にも遠慮がちだったアプリリアージェに対しても、そこにあったはずの垣根が消えたように感じていた。

 だが、今の一言は間違いなく狙ったものだ。


「お願いですから、その気もないくせに面白半分にエイルをからかうのはやめてください。エイルはただでさえ優柔不断なんですから」

「え?」

(オレ、今心外な事を言われた気がする)

「あら。じゃあこれから二人で町の人にどちらが可愛らしく見えるか聞いて回りましょうか?」

「そ、それは……」

 アプリリアージェの切り返しは反則といえた。

 実年齢の話をしているのにそれを無視して「見た目」の話を強引に引きずり出したのだ。

(しかも無理矢理に勝ち負けの話に持って行こうとしているし……)

 実際問題として、もしアプリリアージェが言うような勝負が行われたとしたら、おそらく、いや間違いなく勝つのはアプリリアージェだとエイルは思っていた。

 もともとダーク・アルヴもアルヴィンも少年少女の姿から老いる事がない。見た目で年齢などはわからないのだ。

 だからあとは単純に「見た目」の勝負になる。

 そうなるとアプリリアージェのあの笑顔は反則だった。

 アプリリアージェの事を知らない人間が見れば、そしてそれがデュナンであれば、その心がとろけてしまいそうになる笑顔に抗えるはずがない。

 もちろんエルネスティーネも美しいし愛らしい。

 だがそれはどちらかというとデュナンがよく知る「人形のように整った顔立ちのアルヴ族」の範疇に入るに違いない。

 それに例の呪法が消えたエルネスティーネは、ここに来て少女らしいというよりは、むしろアプリリアージェよりも大人の雰囲気を感じさせる顔立ちに変わっている。

 勝負の基準が「どちらがより可愛らしいか」となると、それは不利だった。「どちらが美人か」という勝負であればまだわからない。だがそれならアプリリアージェが子供っぽい微笑をやめるだけで美人になってしまう。しかもあまり見かけない黒髪のダーク・アルヴは典型的なアルヴィンのエルネスティーネよりも目を引く事はまちがいない。

 おそらくエルネスティーネもエイルと同じ事を想定しているのだろう。返答に間があった。

「と言うか」

 エイルは頭を振ると痛さのあまり流れ出た涙をぬぐった。

(これ以上脱線してる時間は無い)

 決意の一言だった。


「えっと……オレ、話の続きをしてもいい……ですかね?」

 そう言いつつおそるおそるアプリリアージェの様子を見ると、そこにはいつも以上にニコニコと満面の笑みをエルネスティーネに向けている少女にしか見えない黒髪のダークアルヴがいた。

(お、怒ってる?)

 つきあいも長くなってくると、ある意味無表情なアプリリアージェの感情が少しだけわかるようになっていた。

 アプリリアージェはいらだったり怒りを覚えたりすると、いつも以上に上機嫌な顔になるのだ。

(そういえばあの時もそうだったよな)

 ジャミールの里の入り口でラシフと対峙した時、アプリリアージェは心から楽しそうな顔をして落雷を呼んだのだ。

 エイルは改めて一つの言葉を記憶から引きずり出した。

(笑う死に神)

 もちろんその二つ名の元々の由来はアプリリアージェが背負う背中の入れ墨であることをエイルは知っていた。

 だが、たとえ例の入れ墨が無くとも、いずれ同じ二つ名がついたに違いない……そう確信していた。


「こほん」

 アプリリアージェの表情を見て再び固まってしまったエイルの代わりにエルデが声を出した。

「実際にやるのはウチやから、ウチから言うで、ゾフィー」

「は、はい」

 思いもしない展開になってしまっていたが、いきなり話が自分の事に戻って、ゾフィーはあたふたと居住まいを正した。

「絶対元通りの体にしたる。もう何にも悩む必要は無い」

「ほ、本当ですか?」

「ウチが嘘をついてるとでも?」

「い、いえ、そういうことではなく……」

「ならもう何も言うな。鬱陶しいから」

「は、はい。ありがとうございます」

「礼も今はいらん。事が済んでから聞かせてもらうわ。その時になっても礼を言う気があったら、やけど」

 エルデの最後の一言にエルネスティーネが反応した。

「さっきとは違ってずいぶんと吹っ切れた顔をしてますね、エルデ?」

 その言葉にどういう意味が込められているのか……エイルにはさすがにそこまではわからなかった。

 だが、エルデがエルネスティーネに対して投げかけた問いの答えがまだだった事に思い至った。

 エルデも同じ事を考えていたのだろう。

「さっきの答え。ここで聞かせて欲しい」

 だからエルデはエルネスティーネにそうたずねた。

 それを見たエルネスティーネは柔らかくため息をひとつついた。

「私が首を縦に振る事を決めつけているような展開ですね」

「順番が逆になったんは謝る。でも、それでも……ウチはネスティにうんと言うて欲しい」

「何のことかをちゃんと説明されてもいないのに?」

「それでもや」

 エルネスティーネはじっとエルデを見つめていたが、やがて肩をすくめた。

「あなたにはかないませんね、エルデ」

「どういう意味や?」

「いろいろな意味です」

「いろいろ?」

「まあ、いいでしょう。でもエイルは今回関係ありませんよ。私はエルデを信じるのですから」

 エルデの右眉が少し吊り上がった。

 それを見てエルネスティーネは続けた。

「ハイデルーヴェン城で倒れていた大勢の新教会の僧兵達……でも彼らは誰一人死んでいなかった……その事実だけで私には十分です」

 そう。

 エイルですらエルデは「神の空間」にいた敵の命を奪っていたものだと思っていたのだ。

 それはエイルがハイデルーヴェンを離れ、ヴォールへ向かう途中で敵の死体を放置した事を悔いるような発言をした際、エルデ自身から告げられた話だった。

 命までは奪っていない。ただ数日は動けない程度に吸い取ったのだと。

 エルネスティーネはその時の事を覚えていたのだ。


「なるほど。でも、ウチが嘘ついてるかもしれへんやん?」

 エルデの言葉に、しかしエルネスティーネは首を横に振った。

「それはありません」

「なんで言い切れる?」

「あなたがそう言った時の、エイルの嬉しそうな顔を見てしまったからです。あの顔はあなたの言う事を無条件に、全面的に信じている顔でした」

「え?」

「だから悔しいけれど、私も信じるしかないじゃないですか」

 エルネスティーネはそれだけ言うとばつが悪そうな顔をしてそっぽを向いた。

 それを見たエルデとエイルは顔を見合わせた後、お互いに苦笑しあった。


「よっしゃ。ほな準備をしてさっさと行こか。戦争開始はいろんな意味でかえって好都合や。この件に関してだけは、な」

 エルデが嬉しそうにそういうと、エイルはポンと手を打った。

「なるほど。ずるい考えだけど、確かに今の状況だとあまり胸が痛まないな」

「どっちにしろやるつもりやったんや。ずるかろうが卑怯やろうが、多少なりともこっちの気持ちが軽くなるのは許してもらおか」

 エイルとエルデの会話の意味がわかっていた者も、わかっていない者も、ゾフィーが助かるという点についてほっとしていた。

 そしてアキラが言うように早めにヴォールを発てる事についても安心感を覚えていた。


「で?」

 安堵の雰囲気がその場に漂ったところで、アプリリアージェが声をかけた。

 そして続いて問いかけた言葉は短いながらも少々緩んでいた一行の雰囲気を一気に凍りつかせるのに十分なものだった。

「勝負はするんですか? しないんですか?」

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