第十話 交換条件 1/4

 光がさんさんと降り注ぐ部屋には、しかし空はない。

 天井に明かり取りはなく、ましてや壁には一枚の窓すら穿たれてはいない。

 ルネ・ルーに与えられた不思議なその部屋は、相当に広かった。

 勿論、寝室一部屋だけではない。十人でゆったりと食事を楽しめるテーブルが据えられた居間と、来客と会う為に使える独立した部屋、居間に続くのは書斎と呼ぶには広すぎる、書架に囲まれた大机のある部屋で、ルネは普段、その机にいる事が多かった。


「これも君の口には合わなかったのか」

 書架に続く居間から、少年の声がした。

 さっきまで、部屋には誰もいなかったはずだった。少なくとも人の姿は見えなかった。だがルネはもうそんな事には慣れっこになっていた。不思議とも何とも思わない。

 ここでは不思議が普通で、普通の基準が曖昧だ。

 食べ物はいきなりテーブルに出現するし、少年は突然現れては消え、消えてはまたふいに現れる。

 声だけのこともあれば、姿だけの事もあった。

 少年が現れる時間は決まってはいないようだった。現れる間隔も一定ではなく、頻繁に姿を見せる事があったかと思うとしばらく何の音沙汰もない場合もある。

 だが、食事やお茶はだいたい決まった時間にテーブルの上に置かれていて、ふと気がつけば跡形もなく消えていた。もしそれらすべてを少年が自分でやっているのだとすれば、定期的に部屋へは訪れている事になるのだろうが……。

 補充が必要な日用品や衣服はいつの間にか更新されているし、成人のアルヴが二人でゆっくり浸かれる程広い浴槽には定期的に湯が満たされ、部屋の各所にいくつか備えられている蛇口からはいつでも望むだけの水が出た。

 居間からでて広い廊下を通った突き当たりには簡単な調理と食事が出来る場所があったが、さすがに燃料はなく、火を使う事は許されていないようだった。しかし水を入れておくとなぜか数分で湯にかわる取っ手付きのジャーがあり、その場所に据え付けられた戸棚には紅茶や珈琲類は豊富にあった。そのまま食べられる保存食、干し肉や魚介の乾物や塩漬け、ビスケットやクッキーなどは勿論豊富だ。すぐ横の部屋はワイン蔵で、素人目にも高額な年代物が数百本も積まれていた。

 ルネはそれらを自由に使い、消費する事を許されていたし、少年がいる時は彼が給仕を買って出た。

 少年は押しつけがましいことは言わない。

 それどころかルネが質問をしなければ何も口にしないことの方が多かった。

 無口な美少年執事だと思い込めば、客観的にはまさにその通りの存在であった。

 要するにルネは、相当に好待遇な環境で暮らしていたと言えるだろう。

 だが、常識という価値観で見るならば、その部屋には設計上の欠陥があった。

 窓だけでなく出入り口すらもなかったのだ。

 部屋を満たす光は天井に埋め込まれた無数の透明な円柱……水晶か硝子でできているようだ……が光る事によって部屋全体に供給されていた。

 それは時間と共に暗くなり、夜と思われる時間にはほぼ完全に消灯する。するとそれに呼応する形で、部屋の壁に据え付けられたルナタイトの灯り台が光り始め、柔らかい夜の部屋を作り出していた。

 少年の話では天井の硝子棒は外に繋がっていて、昼星の光を運んで光るのだという。それはルーンではなく物理的な方法であるらしかった。

 ルナタイトはもちろんルーンで発光する。部屋がある一定の光量に下がると自動的に光るように灯り台一つ一つに精密な精霊陣が施されているのだ。窓がなくともこの部屋の住人は、灯り関しては何も手を出す必要は無いのだという。


 少年の名はイオスと言った。

 だが自らをイオス・オシュティーフェと名乗るアルヴィンが、一般的には別の名で呼ばれている事をルネは知っていた。

《蒼穹の台(そうきゅうのうてな)》

 その名を知らぬ人間はファランドールにはいないだろう。

 同時にその名を持つ人物に出会った事のある者もほとんどいないとされていた。

 ましてやその三聖の一人に食事の世話から衣服などの汚れ物の世話までさせている人間はファランドールの歴史を紐解いても自分だけかも知れない。

 そもそも三聖にも現名が存在する事など、イオスを知るまで考えてもみなかった。


 ルネはぼんやりとそんな事を考えながら声のする居間に顔を向けた。

「サクランボの砂糖漬けが食べたい」

 イオスと目が合うと、ルネはそう言った。

 この部屋に軟禁されてから、ルネの感覚ではかれこれ一月以上は経っているはずであった。その間にルネは彼女なりのイオスとの付き合い方を確立していた。

 今のところイオスはルネに危害を加えるつもりは全くない様子であった。

 イオスの喜怒哀楽という感情は、ルネの持っている常識からは計り知る事が出来なかった。だが、完全に無表情というわけではない。

 三聖をただ冷たいだけの浮き世離れした存在だと解釈していたルネは、自分の考えが間違っており、そして同時に正しい事を理解しつつあった。


 イオスは時折笑う。

 だが、それは楽しいから、おかしいから笑うのではない。自分で笑おうと思った時に笑うのだ。ルネはそれがいったいどういうときなのかがわからないだけなのだ。

 無表情で優しい言葉をかけてくる事もある。その場合、優しいのは言葉であってイオスではないのだと思おうとした。

 だが、そう思った時に限ってイオスの行動が相手をいたわるものであったりする。

 そしてその次にはぞっとするような残酷な事を笑顔で口にしたりするのである。

 そうやってイオスを観察していたルネは、ある結論を見つけた。

(この人には悪意というものはないのだ)

 イオスはまた、よく法という言葉を使う。

 彼が言う「法」とは国際法やマーリン正教会の聖典に書かれているような事ではなく、それが特殊な、三聖だけが知る「法」なのだという事もようやく理解出来た。それ以外の「法律」は「人間の決まり事」という言葉にまとめられていて、要するにイオスにはどうでもいいことのようであった。

 イオスという人物は、自らが唯一認める「法」に従って行動しているだけなのだ。

 そして誰かに与えられたと、イオスだけがそう信じている「仕事」を、ただひたすらに、純粋に遂行しているだけなのである。

 それを知ったルネは、やがてイオスに対して当初とは違う感情を抱くようになった。それはかなりあやふやでまだ形になってはおらず、自分でもつかみ所のないもので、とても一言では言い表せぬものだった。従って適当な言葉を見つけられずにいた。

 それが哀れみに属する感情なのであろうという事はなんとなくわかっていた。

 だが「気の毒」とは違う。

 かといって「かわいそう」という言葉には違和感を覚える。


 ルネの問いかけに対して、イオスはほとんどの事柄について答えていた。だからこそそこに大きな疑問が生じたのである。

 イオスがやっている事、やってきた事、そしてやろうとしている事。

 ルネが抱いたのはそこにイオスの意思が存在しないことに対する疑問であり、それにより生まれた感情であった。

 だからこそ生まれるやり場のない理不尽さ。

 なぜ私はハロウィンと引き離されねばならないのか。

「力の暴走を防ぐ為だよ」

 イオスは言う。

 だがイオスがルネの力の暴走を防ぎたいと思っているわけではない。「水精の監視者」という役割に課せられた使命なのだ。イオスはその使命に忠実な作業員であり、使命に対する見解は持たない。

 力の暴走を防ぐ為なら、それはもう大丈夫だ。

 少なくともルネ自身はそう確信していた。

 ルネ・ルーの水のエレメンタルとしての発現は早かった。物心ついた時にはすでに自分が持っている力を自由に扱う事ができていた。

 いや、正確に表現するなら、ルネは自分の力を自由に扱えなかったという記憶がないのだ。だからこそ、幼い頃からルネは世間と……いや、世界から隔離されていたのだとも言える。

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