第六話 波紋 4/4

 その後、結局エイルはエルデのベッドの側に立つ事になった。

 エルデがどうしてもそうする必要があると言ったからである。

 既に独り言宣言はうやむやになり、会話のきっかけをあれこれ考えていたエイルにとってはなし崩し的に目的は達成できた。それ以上関係修復に向けた努力をする必要が無くなり、エルデには悪いとは思いつつ、ある意味では幸運だと考えていた。

 寝間着に着替えさせた後であるにも関わらず、エルネスティーネはエイルがエルデの側に居る事に対して難色を示した。いや、抵抗と言った方が的確であろう。

 エルネスティーネの主張は実に簡潔だった。

「なぜあなたがエルデの側に居る必要があるのです? 三聖……いえ四聖に仕えるのならこの中ではむしろラウとファーン、それにハロウィン先生ではありませんか?」

 エルネスティーネはエウレイの事を頑としてその名で呼ばなかった。いくつ名前を持っていようが、自分にとってはハロウィン・リューヴアーク以外の何者でもないというのがその主張であった。

 以前からその片鱗はあったが、ここへ来て一行の誰もがエルネスティーネ・カラティアという少女がとんでもない頑固者である事を強く認識する事になった。


 エルデがエイルを側に置きたがったのには意味があった。

 意識がエイルの体に入るのには空間的な制約はなさそうだが、その逆は極めて不透明で、つまり安全を考慮してすぐ近く、できれば接触している事が好ましいというのである。

 エルデの説明の口ぶりから察するに、エイルはそれが「不透明」な事ではなくまず間違いない「条件」なのだという事を確信していた。

 言いにくそうに、そして言うのは嫌々な口ぶりで話す事はエルデの場合、真実あるいは正解である事が多い。それはエイルだからこそ知るエルデの癖のようなものであった。

 だからエイルはまずはエルネスティーネという強固な防波堤を越える必要があった。


「あなたはエルデの側ではなく、私の側にいなくてはいけないのではないですか?」

 ミエリッタとなる事を誓ったエイルである。エルネスティーネのその言葉はもっともだと言えた。

 いや、エルネスティーネはもっともな事しか言っていないのだ。「あんな事」をした相手を差し置いて別の女の側に居たいなどという男は、事情を知らぬ者からすればあらゆる価値観に照らし合わせても最低な部類に入る存在であろう。

 だが、エルネスティーネはその点には一切触れようとはしなかった。自尊心の問題であろう。

 しかしミエリッタの件を持ち出されてはエイルには手も足も出ない。

 そもそもこういうことになるとは夢にも思ってはいなかったエイルである。ただ、エルネスティーネを自分の剣で守りたいと考えただけなのだ。一緒に旅が続けられる大義名分がミエリッタという立場だというのならそれだけで良かったのである。

 しかしその大義名分は、使いようによってはまさにとんでもない「シロモノ」だったのだ。

 さすがのエイルもエルネスティーネの思惑……いや、悪意のない、そしてとても甘美な罠に自分がまんまと「かかった」事をおぼろげながら自覚し始めていた。

 

 もっとも、エイルにもエルデの側に居なければならないという単純明快な理由はあった。もちろんちゃんとわけを話せばいいのである。

 説明さえすれば、それをはねつけるエルネスティーネではないと確信してた。

 だが、エルデが頑として譲らなかった。

 もちろんエルデなりの理由があるのだろうが、エイルがそれをたずねても明快な答えは返ってこなかった。


 エルデとエイルとエルネスティーネ、この三人以外にとっては痴話げんかにしか見えない「どうでもいい争い」に終止符を打ったのは結局エルネスティーネであった。

「あなたは私の側に居なければなりません。特に今夜は絶対に、です」

 両方の腰に手を置いて、エルネスティーネはエイルに対してピシャリとそう言った。

「今日は私にとって特別な日です。あなたを他の、たとえそれが男であろうと女であろうと、他の人の側で夜を迎えさせるわけにはいきません」

「ネスティ……」

「ですから、私もエルデの側にいます」

「え?」

 それは確かにエイルとエルネスティーネ双方の主張をどちらも退けない賢答と言えた。

【こ、こいつぅ……】

『それで問題は無いんだよな? 』

【問題あるやろ! ネスティの顔見てみ? 最初からそのつもりやったんや】

 エルデに言われて改めてエルネスティーネの表情を見たが、確かについさっきまでの険しい顔はすっかり影を潜め、そこには柔らかい笑顔のいつもの「ネスティ」がいた。

『最初からそのつもりだったって……? 』

【決まってるやん。アンタがどれだけ本気なんかを確認したかったんや。あっさり引き下がるならそれでよし。食い下がるなら何か意味がある。それならそれで一緒におったらええだけ。自分に隠れて仮死状態の絶世の美少女にちょっかい出さんように監視したる……っちゅうとこや】

『ちょっかいって何だよ』

【ウチに聞くな】

『お前が言ったんだろ?』

【ちょっかいはちょっかいや。ちゅうか、絶世の美少女っていうとこには突っ込まへんの? 】

『それはまあ、事実だからな』

【え……?】

『お前はどう見ても絶世の美少女だとオレは思ってる。だからまあ、その点に反論はできないさ』

【え? え? そういう反応? ええっとぉ……】


「これでよろしくて?」

 エイルの頭の中で繰り広げられている会話に一切関与も感知もしていないエルネスティーネは言葉に詰まったエイルにそう言ってにっこりと笑いかけた。


 結局、アプリリアージェの強い要求もあって、その部屋にはエイルとエルネスティーネの他にもう一人、ファーンが残ってエルデを見守る事になった。

 容態に変化があった場合、最も知識と経験があるのはハイレーンであるファーンが適任であることは明白で、アプリリアージェの要請を拒否できる合理的な反論は存在しなかった。

 その決定はエイルをホッとさせた。もちろんエルデの興奮を抑える効果もあった。

 だが、結論から言えば……いや結論を出すのは意味が無いかもしれない。ただ、おそらくはエイルの心配は無用のものだったと思われる。

 エルネスティーネはベッドの側に置かれた椅子に腰を下ろすと、目を開かないエイルの手をとり、心配顔でじっと見守り始めたのだ。

 エルデの豊かな黒髪を、時折そっと撫でながら。

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