第八十五話 第七条 2/5

 いや、いる。

 ただしサミュエルが即座に思いついたのは三人だけであった。

 三聖。

 彼らならばやってのけるだろう。サミュエルにしても三聖の真の能力については未知の部分が多い。可能性は大いにあった。

 しかしそれは同時にその可能性を否定する事でもあった。

 三聖のうち、筆頭とも呼べる能力の持ち主である『蒼穹の台』は彼自身が倒していた。《深紅の綺羅》は「そんなこと」ができる状態にないことを彼は知っていた。そして三聖の末席に名を連ねる『黒き帳』が『封じられている』事を彼は知っていたのである。

 ではいったい誰がファランドールでも類をみない程の強力な結界の中に入り込めるというのだろう? 

 サミュエルはゆっくりと深呼吸をするとイエナ三世に顔を向け直した。

 彼の目に映る小さなアルヴィンの女王はしかし、彼の知る穏やかな表情に柔らかく優しい性格がにじみ出るような「よく知っているはずの少女」では、もはやなかった。

 アプサラス三世崩御後に不安におびえる無力な王女であったはずの「変わり身」エルネスティーネであるイース・イスメネ・バックハウス。

 それは彼の計画に必要不可欠な「傀儡」であるはずの無力な風のフェアリーで、文字通り言いなりにこれまで動いていたはずであった。

 たった一つの例外を除いて。

 それはもちろん女王の名前の件である。

 記録では王女エルネスティーネはエルネスティーネ一世を名乗ることで各方面が了解していたと言う。

 しかし、王の名を決める戴冠の儀において彼女が口にしたのは「我は本日この時よりシルフィード王国国王、イエナ三世である」という一言だった。

 打ち合わせとは全く違う行動をとったイースは、戴冠の儀の後その事を側近に責められると青ざめた顔で自らの失態を詫びる言葉を口にした後で失神し、それ以来床に伏せることが多くなったと言われている。

 戴冠の儀で国王が自ら定めた名前はそれが正式となり、訂正は行われない。イエナ三世の名は確定したのである。


 サミュエルは即座に治癒専門のルーナーであるハイレーンを数名伴ってイエナ三世を見舞い、事の真相を探ろうとしたが「私はあの時、どうにかしていました」という言葉以上の成果は得られなかった。

 その時の心細そうで不安げな少女の面影が、今目の前で舞台の上に立つイエナ三世には微塵も感じられないことに、サミュエルは違和感を覚えていた。

(これではまるで……)

 まるで、別人。

 そう思った瞬間に、サミュエルの頭の中である仮説が構築された。

(おのれ、アプサラス三世。私を謀ったな。本物は『こっち』であったか!)

 長い間に築いた信頼の裏で計画し、そして自ら本物の「風のエレメンタル」の旅立ちにも立ち会ったサミュエルに、その選択肢はあり得ないものであった。

 だが眼前の王が纏う圧倒的なエーテルはどうだ? 

 まるで当たり前の王のように、イエナ三世は壇上で凛と立っていた。

 そこには少女などというはかなげな言葉は一切似合わない強靱で強大な存在感を纏った「国王」が君臨していた。

 

 エレメンタルであれば、たとえ三聖が張った結界であろうと破ることはたやすいであろう。

 いや。破れるか破れないかはわからない。誰も三聖の真の力を知らないのと同じようにエレメンタルの真の力を知る者はいない。

 だからこそ可能性を否定できないのである。

「どうした? サミュエル・ミドオーバ!」

 まるで巨大な槍に貫かれるかの様に、鋭さを増したイエナ三世の声がサミュエルに突き刺さった。


 その場に居合わせた大葬列席者のほとんどは、大軍がエッダの城塞の中に入り込んだ事により生じた混乱を、国王が単純に叱責していると感じていに違いない。

 しかしより深いところを知る一握りの人間にとって、これは極めて重大な場面であることがわかっていた。

 公式行事前だとは言え、各国のお歴々が出席する場所で国王が重鎮の叱責を行うなどという事はどちらにしろ異常事態である。

 要するにそこにいた誰もが「いったいこの後どうなるのだろうか」という不安の中、固唾を呑んで事の成り行きを見守っていたのである。


 その時のサミュエルの心中を推し量るすべはないが、その場で一番混乱していたのはおそらく彼であったろう。

 つまらない言い訳は出来ない。

 王国軍が五個師団も引き連れて、それも突然にエッダに入り込むなどと言う事は一切聞いていないし、そもそもそんな大軍を動かしてエッダに入るのは非常識だ。だからキャンタビレイ大元帥がみんな悪い、などと言えるはずもない。

 そもそも流れをみればわかる。イエナ三世とガルフは「通じて」いるのだ。

 少なくとも示し合わせた行動であることはもはや疑いようがなかった。

 罠に填めたつもりが、いつの間にか自分自身が罠にはまっていたのである。もはやそれを認めないわけにはいかなかった。

 つまり彼にとってここが正念場であると言えた。

 彼には大葬の参列者という味方がいる。いや、味方につけることができる可能性があると言った方がいいだろう。

 たとえ自国の内政の問題であろうと、国王が強引に下手な事をすれば各国を敵に回す事にもなりかねない。ましてやサミュエルが他国側の思惑に沿った政治を目指している立場であることを示せば、それに相対するイエナ三世はファランドール全体の敵という単純な図式を構築しかねない。

 不安定な情勢、しかも準備不足が囁かれる今のシルフィード王国にとって、全世界を敵に回すのは得策ではないことは誰の目にも明かである。イエナ三世が本物の存在感を示しているからこそ、軽はずみな行動は取るまいと思われた。

 で、あれば自身の理をはっきりさせておく必要があった。

 その為には……


「お待ちあれ」

 その時、参列の席から大きな女性の声が上がった。もちろん人々は一斉に声のする方へ顔を向けた。

 声のする方……そこには白い正装に身を包んだ一団がいた。

 イエナ三世も同じく声のする方へ顔を向けた。そして顔色一つ変えず、ただ沈黙した。

 それを見た声の主は、続いての発言を促されていると判断したのであろう。自らの名を告げた。

「南方マーリン教会の堂頭、ミンツ・ノルドルンドでございます」

 通称マーリン新教会。正式名称を南方マーリン教会という、いわゆる新教会の代表であるミンツの声もイエナ三世やサミュエルと同じく、会場に綺麗に届くものになっていた。つまり、ルーンを使っていたのである。

「これはこれは。新教会の頂(いただき)様が直々に大葬にご参列とは。国王として心よりお礼を申し上げます」

「いえ、それは当然のこと。それよりこの事態、いささか……」

「しかし、思い違いをされては困ります、ノルドルンド堂頭」

 ミンツは意見を言う前にその言葉を遮られた。その声の調子は極めて強く、ファランドール中に信者を持つ大宗教の頂上にあるミンツをして思わずゴクリと唾を飲み込む程の威圧感があった。

「宗教家が一国の国王に意見するのは、まあ良いとしましょう」

 強い音圧でイエナ三世の声が広場中に響いた。だがその口調には明らかに不快感を表すものが含まれており、新たな緊張が広場中に走った。

「ですがそれも時と場合によりけり。ここはシルフィード王国。そして今は国儀の最中です。他国の人間が口を挟むなど一切無用。あまつさえ」

 そこまで言うと言葉を句切り、イエナ三世はその右手を真っ直ぐ天に伸ばし、そして振り下ろした。

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