第八十五話 第七条 1/5

 広場に響き渡った大きなどよめきの原因はすぐにわかった。新国王、イエナ三世が初めて来賓の前にその姿を現したのだ。

 ニームも、そして当然エスカもイエナ三世の姿を見るのは初めてだった。

 もちろん彼らはイエナ三世がエルネスティーネと名乗っていた王女時代にも会った事はない。正真正銘、全くの初対面といえた。

 いや。

 二人にとっては「対面」ではない。「姿を見た」だけにすぎないのだが。


「あれが新しいアルヴの王、イエナ三世か」

 エスカはそう言うと、固唾を呑んで事の成り行きを見守った。


 王宮から広場の中央に設置された舞台まで、まっすぐに緋色の敷物が敷かれ、それはすなわち女王イエナ三世の通り道となっていた。

 イエナ三世はどよめきの中をゆったりと歩み、舞台の上に上がった。

 そして広場全体を見渡す。

 真っ黒なドレスの上に白いマントを纏い、その上に豊かな金髪を流した姿に、人々は先ほどとは違うどよめきをあげていた。イエナ三世の金色の頭の上にはカラティア朝にいにしえより伝わる『マーリンの知恵の冠』と呼ばれる古めかしい王冠が載っていたのだ。それは紛う方無き新しいシルフィード王の姿であった。

 イエナ三世が優雅な手つきをマントを脱ぐと、側付きの一人がそれを持って下がった。

 それを見た王宮広場には再び水を打ったような静寂が訪れた。

 マントを脱いだという事は、これからが女王としての公式な行動になるからである。

 次にイエナ三世はゆっくりと目を伏せると、両腕を左右に水平に挙げた。その合図を受け、側付きの二人のアルヴは恭しく一礼すると、それぞれイエナ三世の左右の袖を掴み、お互いにうなずきあい、一気に左右から引っ張り合った。

 すると黒いドレスは音もなく真ん中あたりで破れ、側付きによりイエナ三世からはぎ取られるような格好になった。

 どよめきが再びおこる。

 そこには緑から青に変わりゆく、深い色のドレスを纏うイエナ三世の姿があった。

 人々はそれを見て、大葬の意味を改めて知る。

 喪に服していた新王が、纏っていた深い悲しみを振り切り、文字通り新しい王として自分の色を纏う。新王は自分自身の色を前王と国民に披露して、決意を示すのである。

 通常、新しい礼服の色は単色である。だが、イエナ三世は裾の緑色から肩の暗い青に続く二色を自らの色とした。それが何を意図するのか本人以外には知りようもないが、横紙破りの女王であることはその場の列席者の誰もが感じていた事であろう。


 側付きが舞台を下りた。いよいよである。

 水を打ったような静寂がその場を支配した。新しい女王の言葉を一言も聞き漏らすまいと身構え、その場にいる全員が息をすることさえ止めたかのようであった。

「我が名はカラティア朝シルフィード王国の王、イエナ三世である」

 若い女王の第一声は自らの名乗りであった。

 その耳障りの良い声はアルヴィンである小柄な体からは想像も出来ないほど良く通り、エスカやニームのいる場所でもその肉声がきちんと聞き取れるほどであった。


「風のフェアリー、いやエレメンタルならば、あの声の訳もわかる」

 イエナ三世の第一声に驚いたようなエスカに、ニームはそう説明をした。腕の中のニームはしかし、エスカではなくイエナ三世の姿を追っていた。

「私は今日この時をしっかりとまぶたの裏に焼き付けよう。あなたもしっかりと覚えておくといい」

 静かな調子でそうつぶやくニームに、エスカはまた心の中がざわめくのを感じた。だがエスカはまたしてもニームに声をかける機会を逸した。イエナ三世から次の言葉が告げられたのだ。


「前国王であり我が父であるアプサラス三世の『大葬』に参列の方々に申し願う。『大葬』を執り行う前にこの場で一つ二つ国事を執り行う事をお許しいただきたい」

 イエナ三世のその言葉に会場はいきなりざわつき始めた。だが間髪を開けず続けたイエナ三世の良く通る声はその場を再び支配した。

「さて、国王として問う。近衛軍大元帥サミュエル・ミドオーバよ、答えよ」

 広場のもう一方の端で片膝をついて突然の国王の登場を迎えていたサミュエルはいきなりの指名に我が耳を疑った。

「この異様な状況は何だ? まず説明せよ」

 そう言うとイエナ三世は両腕を広げて見せた。それが広場に続く四本の大通りを埋め尽くした王国軍の兵と近衛軍の兵が対峙しているかのような様を指している事はその場の誰もがわかっていた。

 頭を下げたままのサミュエルは唇を噛んでいた。

 それは彼がこの大葬に併せて準備をしていた計画が崩壊しつつあることを証明している行為だと言えた。順調に回っていたと思っていた歯車が思ってもいない回転を始めた事をもはや彼は認めざるを得なかったのであろう。

「どうした? 返事が聞こえぬぞ、バード長。我が名においてこの場でルーンを唱える事を許す。ここまで通る声で疾(と)く答えよ」

 サミュエルと会話をしたければ近くに呼べばよいだけのことであった。だがイエナ三世はそれをせず、広場の端と端という距離で会話をせよと申しつけたのである。

 もちろんそれには彼女の意図があった。二人の会話をその場の全員に聞かせる為である。

「立て。自慢の精杖を使って良い。我が力と対等の声で答えよ」

 サミュエルはいったん深々と頭を下げた後に立ち上がると、イエナ三世の周りを注意深く観察した。彼の理解では『変わり身』であるイース・バックハウスは風のフェアリーとしても極めて微弱な力しか有していないはずだった。つまりあれほどよく通る声を出せるわけがないのである。

 だとすれば強化ルーンを扱うルーナー、つまりコンサーラの存在がなければならない。

 だが国王の周りに配備したバードは皆彼の配下であるはずだった。なぜなら彼はそれだけの「仕掛け」をして大葬当日を迎えていたのだから。

 しかしイエナ三世の近くにはルーナーらしき人物の姿は見えなかった。

 彼は自分の側近である高位のバードの一人にチラリと目で合図を送った。バードは国王に向かって一礼するとサミュエルの側に近づき、片膝をついて指示を待った。

「バードの管理はどうなっている?」

 声をかけられた上級職のバードは首を横に振った。

「抜かりはございません。どういう事か私にもさっぱり……」

 彼はサミュエルの言葉の意図するところを理解していた。つまりイエナ三世が替え玉のイースであるという事をである。だから同じく彼女が使う力に同じように驚いていたのである。

「外部のバードではないのか」

「閣下の張った結界を超えられる者が居るとは思われません」

 誰も王宮の深部には近づくことができない。そう言う仕掛けを作ったのはサミュエル自身である。誰にも……いや少なくとも彼に気付かれずにイエナ三世に近づけるルーナーが居るわけがないのだ。

 だが……。


 サミュエルは思わず後ろにいるリーンを振り返った。

(現にあの文書を陛下に手渡した者が存在するではないか)

 そんな事ができる者がいるのだろうか? 

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