第七十九話 右目の代価 1/3

 いつの間にかエスカの眠るベッドにもたれかかるようにしてうとうとしていたニームは、ある気配で覚醒した。

 眠る前に張り巡らせていた感知用の精霊陣が反応したのだ。

 だが、その気配そのものはニームにとっては既知のものであった。それは敵ではないが、さりとて味方と言うには不確定要素が多すぎる相手の気配だった。

(セッカ・リ=ルッカか)

 ニームにしてみれば気配と声だけの存在である。

 賢者月白の森羅(げっぱくのしんら)を自称するものの、大賢者の名を使ってもニームの命には従わぬばかりか、決してその姿を見せようともしない不敵な存在であった。

 新米賢者の為の情報提供者を気取っていて、事実ニームは多くの情報、それも全て事実と言えるかなり際どい情報をセッカから得ていた。その中でも最も重要なものが《深紅の綺羅(しんこうのきら)》についての情報であった。それはニームがエスカに近づくきっかけになったものだ。

 セッカが言うには《深紅の綺羅》の気配はエッダの王宮の奥にあり、ある場所で途絶えているらしい。そこに確実に入り込み、《深紅の綺羅》の身柄を確実に確保する目的の為の「手段」がミリアだったのだ。

 予定では戦争の終盤のどさくさで入り込む予定であった場所であり、今回の「大葬」による偶発的な訪問は想定外であった。従ってニームはまだセッカの言う「王宮の奥にある場所」にはたどり着いてはいなかったが、夕べの事件により、もはやその情報は間違いはないと確信していた。少なくともエッダの王宮にはニームが母と呼ぶ《深紅の綺羅》の痕跡があるのは間違いないだろうと思われた。

 セッカは情報を提供するだけではなく、ニームの依頼をいくつかこなしてもいた。もっともニームの部下であるリンゼルリッヒやジナイーダとは違い、セッカに対してなんでも自由に依頼を頼めるというわけではない。ほとんどの場合、依頼はセッカから申し出て、ニームがそれにうなずくという形で行われていた。要するにセッカは自分のやりたいことしかしないわけである。言い換えるならば自分に都合の良いこと、もしくは自分にとっても興味がある事柄についてはさらなる調査で情報を確かにする為に動くと言う事である。

 セッカは自らを《月白の森羅(げっぱくのしんら)》という賢者であると名乗った。名に聞き覚えがなかったニームはそれとなく賢者会に確認をとったところ、確かに存在する名前ではあった。だがその名は大昔に途絶えた名であるという。少なくとも賢者会が現在把握している賢者の名簿にはその名がないという事なのだ。

 しかしセッカが賢者であろう事をニームは大して疑ってはいなかった。ヴェリタス、つまりマーリン正教会には表と裏がある事をニームはすでに理解していた。賢者会そのものが裏なのだが、その賢者会にさらに表と裏があると言う意味である。

 大賢者であってもなりたての自分にはまだ見つけられない「裏」が存在してもおかしくはない。むしろあってしかるべきだとニームは思っていた。

 少なくともセッカがヴェリタスの内部に通じている人間であることは確かである。そしてそこまでできる存在は賢者以外であろうはずがないのである。

「賢者の徴」と数々の呪具が眠るヴェリタスの再奥にある庫(くら)と呼ばれる場所を視察した際に手に入れた「蛇の目」という名の呪具は、そもそもセッカの助言によるものだった。


 セッカは呪具については特に詳しかった。

 大賢者になりたてのニームにふさわしい呪具があると「蛇の目」を勧めたのが誰あろう《月白の森羅》を名乗る声だけの賢者だった。それがセッカとニームの最初の出会いで、特定の呪具の推薦はセッカが自分の言う事が真実であることを証明するために提供した情報の一つであった。

 半信半疑ながら、自分の能力をもってしても目の前に正体を引きずり出せない力を有する存在にニームは興味を持った。何の目的があって近づいてきたのかは未だにわからないが、自分に情報を提供すると言い出した人物の言葉に対する裏付けはとっておく必要があると感じたニームは、セッカの助言に従って「庫」へ赴いた。

 果たしてセッカが言うとおり「庫」に指定した呪具は存在した。

 一見ただの首回りの装飾品である「それ」は分厚くほこりを被り、長きにわたり人の手に触れていないことは一目でわかった。だがセッカの言に従い呪具の名を「蛇の目」と唱え、指先に針を刺して絞り出した血を一滴したたらせると、その首飾りを構成する複数の石のうちひときわ大きな三角柱の形をしたスフィアがまばゆい光を放った。ニームにはそれがまるで呪具が新しい主との出会いに喜びの挨拶をしているかのように思えた。

 以来、ニームの首にはその首飾りがかけられている。


 呪具には二つの効果があるとされている。

 そして多くの呪具はその効果自体が不明である。いきおいそれは自分で見つけなければならないことになるが、セッカはそれについても一つの効果だけはニームに告げていた。

 例の「雨に濡れない」という効果であった。

 当初、ニームはヴェリタスの庭にある噴水の近くに立って効果を確かめたが失敗に終わった。セッカに言わせれば「蛇の目」は文字通り「雨」にしか効果がないからだという。

 そして検証の結果、それは事実である事が判明した。たとえ同じように頭上から降り注ぐ水であっても噴水のそれには効果がないが、雨には全く濡れないのだ。周りに結界がはられたように、降り注ぐ雨を少し離れたところではじいてしまう。

 便利だといえなくもない効果だが、ニームにはセッカがそれを自分に勧めた意図を計りかねていた。

「俺は小さな助言をするだけだ。それをどう理解し、利用もしくは行動するのかは自分で考えるんだな」

 セッカはこともなげにそう言うと楽しそうに笑った。

 その笑いにはいつも邪気は感じられなかった。ニームはそれもあってセッカの情報には注意を払うことに決めたのである。


 セッカの一番の問題は、ニームからは連絡は取れない事であった。賢者会すら存在を掴んでいない賢者である。新参者のニームに連絡のすべがあるわけがなかった。ましてや姿形を知らないとなれば自分から声をかけるのは絶望的である。いきおい向こうからの訪問を待つことになる。

 そしてそれはいつも唐突で、時間や場所を選ばない。ニームにとっては忌々しい限りであるが、それももう慣れてきていた。

 それよりも今、ニームにはセッカに聞きたい事がいくつかあった。そのうちの一つは極めて重要な事だ。


 ニームは眠っているエスカを起こさぬようにそっと立ち上がると、気配のした部屋の外へ向かうべく扉の方に裸足のまま忍び足で向かった。廊下に出てから、小さな結界を張るつもりだった。

 さすがにエスカがいる部屋の中でセッカと話し込むことは躊躇われた。熱を冷ますために今はエスカにはできるだけぐっすりと眠って欲しい。起こすことがあってはならない。さらに、エスカに対してやましいことは何もないものの、セッカの事を説明するのも躊躇われる部分があった。何しろニームはセッカにエスカの調査を依頼した事があるのだ。

 もちろんエスカにそれを話したとしても決して腹を立てたりニームを責めたりはしないだろう。それはもう確信があったが、ニーム自身が知られたくないと思ったのだ。

 なぜか? と問われると一言で、いやいくつの言葉を駆使しようが明瞭な回答などできないに違いない。それにも確信があった。

 今までこんな感情を抱え込んだことがなかったニームにしてみればエスカと出会ってからの自分はそれまでの自分とは別人のように感じていた。

(こんなことなら、もっと早くに思い切ってセッカ・リ=ルッカの事を話しておくべきであったな)

 そんな事を重いながらも、ニームは違和感を覚えていた。

 いつもなら気配がしてから少し経てば、セッカの方から唐突に声をかけてくるはずであった。しかしその夜のセッカはいつもよりのんびりとしているようだった。

 あるいは……

 ニームは思い出していた。

 セッカは「エスカとの閨(ねや)には入らない」と言っていたのではなかったか? 

 確かにエスカとニームが二人だけで過ごす夜の部屋を閨と呼ぶのは正しい判断かもしれない。セッカは自ら口にした約束を律儀に守っていると言う事なのだろうか。

 そこまで考えてから、ニームは「閨」という言葉の意味するところに思い当たり、思わず顔が熱くなるのを自覚した。

 だがすぐに顔の上気は収まった。

 ニームが扉に手をかけた時にセッカの気配が消えたのだ。今までニームに声をかけずに消えることはなかったはずなのに。

(まさか、私達に気を遣ったとでも言うのか? )

 一瞬浮かんだ自らの考えをニームはすぐに否定した。

 セッカ・リ=ルッカは目的があって訪れる。その目的を遂行することについては極めて真面目な人間であることもニームは知っていた。つまり目的のない来訪などあり得ないのだ。

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