第六十三話 イオスの使者 4/4
しかしその話を受けた時に、エウレイはある計画を思いついていた。
対面の機に乗じてルネを取り戻す方法である。それにはどちらにしろ、とにもかくにもエルデをアダンに連れて行く必要があったのだ。そしてアダンで
エルデ・ヴァイスはルネの事も、もちろんハロウィンと名乗っていたエウレイの事も知っている。さらに言えば《蒼穹の台》とも既に面識がある。
ならばここでエウレイが小細工を使う必要はなかった。自らの正体を明かし、素直に囚われたルネの奪還を願い出るだけでいい。
エウレイの見立てでは、《蒼穹の台》との関係を見る限り、エルデが盲目的に三聖側に立つ亜神ではないはずであった。
エルデはまだ本来の力を得てもいない若い亜神である。かつて四聖の一つの柱であった
その存在が明らかになってしまうと《白き翼》の持つ能力を知る人間は、間違いなくエルデを確保しようとするに違いない。
男の姿でエイル・エイミイを名乗る剣士がルーナーとは気付かれないのは確かである。エルデの隠れ蓑としては悪くないのかも知れない。だがいったんその存在が明らかになってしまえば、疑わしい者はとにかくまず確保されるだろう。確保した上で本物かどうかを見極めればいいだけの話なのだ。
逃げられるくらいならば、とにかく捕らえる。そして本物かどうかを確認する。そこには多くの犠牲が生まれるに違いない。だが、捕らえようとする側にとって、犠牲などどうでもいい事なのだ。手にする事が出来る「力」の前では……。
そしてエルデ・ヴァイス本人は、そんな事など百も承知なのだ。
エウレイの計画の鍵はそこにあった。
つまり、取引である。
エウレイの計画に乗るならば、《白き翼》の痕跡を彼の名にかけてファランドール中から抹消すると約束をしよう。
その代わりに……
そう。その代わりに、持っている力の一部をエウレイに貸し、《蒼穹の台》ことイオス・オシュティーフェという亜神をファランドールから抹消する……。
エウレイはルネを取り戻し、エルデは身の安全を確保できる。
エウレイの計画自体はとんでもないものであったが、勝算はあった。
彼にはまだいくつかの切り札があり、その切り札を《蒼穹の台》は知らないのだ。
たとえば風のエレメンタルの所在を《蒼穹の台》は知らない。いまだにエッダの王宮の奥にいると信じている事だろう。
いざとなれば風のエレメンタルを交渉の道具として使うこともいとわぬつもりであった。
イオス自身は水精の監視者であり、空精、つまり風のエレメンタルの監視者ではない。なぜなら空精の監視者とは《白き翼》の名を持つ亜神の事だからだ。
空席となった風のエレメンタル監視の役は、現在では三聖全員がこれに当たることになっていた。だが、《白き翼》再降臨ともなれば、エルデにも三聖と同様の監視義務が生じる。奇しくもエルデは今、風のエレメンタルの近くにあり、本人同士の意思はどうあれ、形としては空精は監視下に置かれていると言えるのだが、今のところ言葉としての《四聖》制度は存在しない。すなわち「法」としては、エルデにその義務はないとも言えるだろう。そうなれば杓子定規に法を重んじる《蒼穹の台》としては、自らが空精の監視者としての義務を負う事を否定できないはずである。
ならば、空精を手の内に駒として持っている事は有利にこそなれ不利になることはあり得ない。
もちろん風のエレメンタルを水のエレメンタルの代わりとしてルネを解放してもらう事は不可能だ。エウレイが狙っているのはそうことではない。
実際に《蒼穹の台》イオスの前に出た時、交渉する時間を稼ぐ為の道具として使おうとしていたのである。
首都島アダンは天然の「エア」 つまりエーテルと呼ばれる精霊波が存在しない特殊な空間にすっぽりと包まれている。正教会の治領の一部にエーテルのある空間を作り上げ、そこでイオスはルネを軟禁状態にしているわけだが、いったんその空間を出れば亜神であろうがなかろうが、エーテルを使った能力が使えないことは間違いがない。
で、あれば。
治領内のエーテルを全て消費するか、治領から《蒼穹の台》を引きずり出せばいい事になる。だが実際問題として治領内からイオスをおびき出す事は困難であろう。だからエウレイは治領内にあるエーテル空間の中にあるエーテルというエーテルを全て消費するつもりでいた。それそこがエウレイの作戦の要旨であった。
とは言えそれは簡単な事ではない。大賢者を名乗ってはいても、エウレイ一人の能力ではとうてい不可能だと推測はしていた。エーテルを消費するには相当に強力なルーンを一気に使う必要があるが、エウレイがルーンを使ったとしても、途中でイオスの妨害に遭うことは間違いがない。賢者ではあるが人であるエウレイには高位ルーンの詠唱を端折る事など許されないからだ。
そもそも《蒼穹の台》の『神の空間』内では彼の命令が絶対になる。
だが亜神なら話は別だ。
ルーンを発動させる為に全文を詠唱する必要が無い。彼らは既知のルーンであれば、低位高位に関係無く、認証文のみでルーンを発動させることが可能だからだ。
エウレイとてそれを知識として知っていたわけではなかった。亜神にそんな反則とも言える能力が在ると知ったのは、いや気付いたのは、ヴォールでイオスと対峙した時だった。
亜神が目の前でルーンを唱えるのを見て、初めてエウレイは亜神の異常なルーン詠唱能力に気付いた。そしてエルデとイオスの特性を合致させる事ができたのだ。エウレイがエルデ・ヴァイスが亜神であると確信したのも、実はその時であった。
そんな謀をハロウィンという名の仮面の下に隠したエウレイにとって、エルデより先にアプリリアージェ達と合流出来たのは、ある意味で幸運だと言えた。
エルデとアプリリアージェの二人を一度に丸め込むよりも各個撃破の方がエウレイにとっては楽だからだ。
まずはベックという感情に訴え得る存在を使ってエルネスティーネを情で落としさえすれば、ティアナはそれに従うであろう。その上でエウレイは自分の正体を明かしアプリリアージェの信頼を勝ち得る算段だった。
そもそもエウレイにはアプリリアージェに対しての切り札があった。もちろん、風のエレメンタルを確保に準じた形で掌握している事である。
イオスにそれを秘匿していると言えば、アプリリアージェはエウレイとの取引に応じざるを得なくなる。だがエウレイとしては取引ではなく本心としてのルネ・ルー奪還に協力して欲しい。だから風のエレメンタルの事は匂わす程度でいいのだ。いや、アプリリアージェならば何も言わずとも察するに違いない。
だから取引というよりはむしろ参加条件である。
エウレイ・エウトレイカ、いや
問題はエルデである。
エウレイの見立てでも、《白き翼》という亜神は感情の起伏が激しく、しかも気まぐれだった。《真赭の頤(まそほのおとがい)》にかけられた呪法を解除するという目標以外にこれと言って拠り所とする目的を持ってはいない様子にも見えた。
正教会の法にはある程度従った行動はとっているようではあるが、エレメンタルやファランドールの動向に関心がある様子もない。風のエレメンタルを前にして何の行動も起こそうとしないのが、その証拠と言えるだろう。
そんな相手に対し、もうほとんどこの世に存在していない同族を倒す手伝いを申し出ても、すんなり承諾を得られるとは思えない。
それは言い換えるならばアプリリアージェの協力を得る為の条件の一つが解決していない事を意味する。
アプリリアージェ達の協力の前提条件、つまり「エルデ・ヴァイスという亜神の同行・協力がある」ことは絶対であった。
それには事前にエルデの承諾を得ておく必要がある。
一種の二律背反がそこにあった。
だがそれでも、エウレイはエルデ・ヴァイスは必ず承諾するだろうと確信していた。
もちろん根拠のある自信である。
エルデでもアプリリアージェでもない、ある人物がその鍵を握っているのである。
「ここです」
そういうと、不意にゾフィーが立ち止まった。
ただゾフィーの背中を追って夜のハイデルーヴェンの人気の少ない路地を足早に歩いていた一行は、比較的大きな建物の壁の前にいた。
場所を把握しようとあたりを見回す余裕は、しかし与えられなかった。
「急いで下さい。誰にも見られないうちに」
そういうとアルヴの少女ゾフィーは、その建物に扉を出現させた。いや、扉というには取っ手も飾りもなにもない。ゾフィーが壁を押すと、そこに空間が口をあけただけだった。
「さ、早く」
ゾフィーの催促に、エウレイは迷わずその空間に脚を踏み入れた。不安顔のベックもそれに続く。
最後にゾフィーがその空間に入り込むと、数秒後に壁は元通りの姿に戻り、辺りは静寂に包まれた。
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