第六十三話 イオスの使者 3/4

 ハロウィンの合図で、ベックは慎重に扉を開いた。

 そこにいたのはまさしくアルヴの少女だった。デュナンのベックにはアルヴの娘の実際の年齢はわかりかねたが、それでも彼が知るアルヴ、ティアナ・ミュンヒハウゼンより若い事くらいはわかった。

 少女は部屋に入る前に一礼すると、

「ゾフィー・ベンドリンガーと申します。ベンドリンガーは借り物の族名なので、私の事はゾフィーと呼んで下さい」

 そう名乗った。

「ベンドリンガーって、あの資産家のベンドリンガーか?」

 ベックは少女の族名に反応した。

「お前の言う資産家のベンドリンガーとは、首都島アダンの実質的な支配者と噂されるショウ・ベンドリンガーの事か?」

「資産家のベンドリンガーってのは俺の知る限りそいつだけですよ」

「あまり表の社会に名を出す事のない義父の事をよくご存じですね。さすがは調達屋というところですか。ベック・ガーニーさん」

「え?」

 少女の呼びかけにベックが反応した。

「そちらのアルヴがハロウィン・リューヴアークさんですね。ファランドール中を旅している呪医とうかがいました」

 続いてゾフィーはそう言った。つまり彼女は二人を特定していたのだ。

「先ほどハロウ先生という名前が聞こえましたので、お二人に間違いないと思って声をかけたのです。ええ、もちろん初対面です。お二人の事をよくご存じの方から名前を伺っていましたので」

 質問しようとした事を先回りして説明された二人は、思わず顔を見合わせた。

「ハロウ先生、それって……」

「ああ」

 ハロウィンはうなずくと、顔をゾフィーに向けた。

「ゾフィー、君は我々の連れを知っている、という事だな?」

 もちろんゾフィーはうなずいた。続けて問われる前に自分からアプリリアージェ達との出会いの経緯をきわめて簡潔に説明した。

 話を聞いたハロウィンは、ゾフィーに対する警戒を完全に解いた。

「という事はエイル達はまだ別行動ですかね」

「彼はデュナンだ。問題はなかろう。どちらにしろリリアに会えば彼らについてもう少し詳しい話が聞けるはずだ」

 ハロウィンはそういうと何事かをつぶやいて、手にしていた精杖をボタンの姿に格納した。

「では、お言葉に甘えよう」

 ハロウィンの言葉に、ベックもうなずいた。

「こちらです。大丈夫だとは思いますが、念のために周りの警戒は怠らないで下さい」

 そう言ってくるりときびすを返すゾフィーの後に、二人は続いた。


 ハイデルーヴェンでアプリリアージェ達と合流できたのは、ハロウィン・リューヴアークことエウレイ・エウトレイカにとっては幸運と言えた。

 それはもちろん彼としては出来る事なら新教会の本拠であるヴェリーユに足を踏み入れずに済ませたかったからだ。

 エウレイの目論みとしては、自分自身はハイデルーヴェンに滞在し、ベック・ガーニーをヴェリーユに使いとして遣るつもりであった。

 もっともベックを連れてきたのはそれだけが目的ではない。彼が持っている調達屋としての知識、その立場で得られる情報、組合を通じて享受できるいくつかの特権など様々な点で便利な存在なのは確かだが、それよりも、エウレイがこれから行おうとしている交渉に有利になる駒だと判断したからである。

 エウレイの交渉相手とは、エルデ・ヴァイス。

 エウレイは既にエルデ・ヴァイスと名乗る賢者の正体にたどり着いていた。

 それはヴォールで《蒼穹の台(そうきゅうのうてな)》ことイオス・オシュティーフェに出会った時に閃いた「解」であった。勿論、謎のルーナー、エイル・エイミイ、いやエルデ・ヴァイスの正体についての、である。一度ひらめいた答えを元に、旅の途中で得たエルデに関しての情報を照らし合わせれば合わせるほど、導き出した答えに間違いはないという確信を深めていった。

 その導き出した答え、いや推測を聞いた時の三聖蒼穹の台の驚いた顔を、エウレイは一生忘れないだろうと思った。

 イオスを驚かせる事ができる人間などいないとエウレイは信じ込んでいたからである。ましてや目を見開いて口を半開きにしたイオスの顔を見た者など、おそらく自分以外はこの世にいないのではないかと思われた。

 エウレイが提供した情報のほとんどは、イオスにとっては未知のものではなかった。だが、彼をして「ありえない」事だと思っていたのだ。だが、旅を共にしたエウレイの口から別の視点で語られるエルデ・ヴァイスの姿は、イオスがたどり着いた答の先にあるもう一つの答えを確定させるに足る状況証拠になった。それを決定付けたのは、どう考えてもエルデ・ヴァイスが賢者ではないという説明であった。

 エウレイも、そしてイオスもそれを目にしながら気にもとめなかった事。すなわちエルデ・ヴァイスは三眼になっても元の瞳の色が変わらないという点において、この世の全ての賢者とは異なった存在であった。


 それはもうあまりに昔の話である。

 イオス自身、自分の幼少時の事に思いをはせる事などはなくなっていた。だからエルデのちぐはぐな色の目を見ても、すぐには「そう」だと気付けなかったのであろう。

 亜神は人の血をすする事で、本来の力を得る。そしてその力を得たという証拠が瞳の色の変化なのだ。人が『賢者の徴』すなわち亜神の魂の結晶体とも言えるあの眼と合体する事で生まれる賢者という『種族』は、三眼全てが赤くなる。

 つまり、左右の瞳が黒いままのエルデ・ヴァイスは亜神の生き残り。それもまだ本来持つ亜神の力を得ていない、すなわちかなり若い亜神と言えた。

 いったんエルデが亜神だとわかれば、イオスにとってその正体を特定するのはたやすい事だった。

《真赭の頤(まそほのおとがい)》ことシグ・ザルカバードが自らの命を省みることなく守ろうとした存在である。シグが『身内』であるはずの賢者達を手にかけたのも、三聖であるイオスに嘘をついたのも全てエルデ・ヴァイスの正体を知られない為なのだ。


「今上の《白き翼》か」

 イオスの口を突いて出たエルデのその名こそ、ザルカが守護するべき存在であったからだ。文字通りの守護者であるシグ・ザルカバードは、《白き翼》を自らの命を賭して守護して見せたのである。

 かつてファランドールには、亜神の筆頭である四柱の王が居た。

 彼らは四聖と呼ばれた。そして彼らは彼ら自身がマーリンと交わしたという法に則り、それぞれの役割をこなすために存在していた。

 だが三千年前に勃発した十年戦争がその柱の一角である《白き翼》の一族を滅ぼした。なぜなら《白き翼》の一族は、姿形が瞳髪黒色のピクシィであったからだ。

 とは言え普通の兵士達に簡単に滅ぼされるほど亜神である《白き翼》の一族が弱いわけはない。つまりそこには、ピクシィ狩りに乗じたなんらかの大きな陰謀があったと考えるべきであろう。そうでなければ圧倒的な腕力と知力、そして強力なルーンを持つ亜神の、それも一族郎党全てを消し去る事などできるはずがないのである。

 残された他の三つの王達は手を尽くして《白き翼》の一族の生き残りを捜したにちがいない。だがその痕跡はまったくなく、やがて「神が欠けることはまかりならん」との判断で「四聖」の名を歴史から抹消し、「三聖」がそれに代わったのだ。

《白き翼》が生き残っていたからといって今更「四聖」という言葉が蘇るわけではないだろう。だが亜神達にとって《白き翼》の名はそんな些細なことよりも、もっと大きな意味を持っていた。

 それをエウレイは知っていた。当然である。彼自身、長くファランドールを旅しながら、「歴史」を抹消もしくは改ざんしていた張本人の一人なのだから。




 イオスがエウレイに《白き翼》エルデ・ヴァイスを自分の元に招くように指示したのは当たり前と言えた。

 イオス自身が向かう方が確実であろう。だがエルデと落ち合う場所がヴェリーユである事に併せ、イオスには水精、すなわち水のエレメンタルであるルネ・ルーを封じておくという使命があった。

 正教会の本山であるヴェリタスに行けばそれなりの設備があるのだろうが、イオスには賢者会には自分の姿をしばらく隠しておきたいある理由があった。

 そうなると後はウンディーネ連邦共和国の首都島アダンにある正教会の治領を使うしかない。アダンには大賢者や三聖しか知らない空間が存在すると言われている。

 アダンならば常駐している正教会の関係者も人数はたかがしれている。身を隠しながらルネを匿うには都合が良かったのである。

 エウレイにエルデを連れてくる事を命じるにあたり、イオスはエウレイの目の前に大きなエサをぶら下げて見せた。それは「エルデを連れてきたら、褒美にルネに会わせてやる」というのものである。

 イオスがそんな取引、いや譲歩をする事はきわめて異例だと言えた。つまりは《白き翼》という名の存在とはそれほどの「もの」なのである。

 もちろんエウレイには選択肢などはない。まるで断ることが可能であるかのような「依頼」という形式をとってはいるが、三聖の命令を大賢者であるエウレイが断れるはずがない。だからそこに「褒美」があるのは望外であると言えた。

 イオスはそういう条件を出すことで、しばらくの間は水のエレメンタルをどうこうしようという意思はないのだとエウレイに対し暗に伝えたかったのかもしれない。イオスが自らの約束を守る為には、少なくともエウレイがエルデ・ヴァイスをつれて戻るまでの間はルネは生かされていなければならない事になるからだ。

 であれば、エウレイにとってその依頼はむしろ進んでやり遂げるべき仕事であった。

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